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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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今さらだったとしてもなお 2

 実を言うと、とても怖い。

 

 怖いというと語弊があるかもしれないが、怖いとしか表現のしようもない。

 だから、フィッツにしがみついていた。

 早く、ここを抜けてしまいたいと思う。

 脱出ルートは設備の一部だったからか、坑道とは違い、辺りは明るい。

 道もきれいだ。

 

 けれど、抜け切るまでは、どうなるかわからない。

 自分のことはともかく、フィッツが気がかりだった。

 

 フィッツは、命懸けでカサンドラを守ろうとする。

 

 ヴェスキルの継承者でなくても、今となっては同じだ。

 それが、怖かった。

 自分のために、フィッツになにかあったらと、考えてしまう。

 

 あの日の、フィッツの涙を、なぜか思い出した。

 

 カサンドラに「置き去りにしないでくれ」と言って、こぼした涙だ。

 無表情なのに、ほろほろと涙するフィッツの姿が目に焼き付いている。

 今は、自分が、そんな気分になっていた。

 

「大丈夫だよね?」

「はい。もうすぐ出口ですよ、姫様」

 

 なぜ、そんな気分になるのかは、わかっている。

 しがみついているフィッツの体から、チリチリとした緊張感が伝わってくるからだ。

 こんなことは、1度もない。

 隠し通路の時も、崖を登った時も、坑道を走った時でさえ、フィッツが、これほど緊張感を露わにすることはなかった。

 

 平然と、淡々としていたのを覚えている。

 そのフィッツが緊張を押し隠せないほどなのだ。

 程度まではわからないが、危険が差し迫っているのは間違いない。

 たいていのことなら、フィッツは、どうにでもできる。

 つまり「たいていのこと」ではない、ということ。

 

「外に出たら、どうする?」

「このまま、走り続けます。1キロほど先まで」

「そこを抜けたら安全なんだね」

「そうですよ」

 

 実際には、安全かどうかなどわからなかった。

 フィッツでさえ行ったことのない場所のはずだ。

 もちろんカサンドラも行ったことはない。

 単に、聞いて知っていただけだった。

 

 けして、安全が約束された地ではないと、知っている。

 むしろ、危険が待ち構えている可能性のほうが高い。

 それでも、ここで捕まるよりはマシだ。

 

(生きるも死ぬも……フィッツと一緒がいいよ。捕まったら、フィッツだけ殺されそうだし、あいつと婚姻させられるのも嫌だしさ)

 

 そんなことになるくらいなら、2人で危険に対峙することを選ぶ。

 まずは辿り着くのが先決だけれども。

 

「フィッツ、今、なに考えてる?」

「新しい場所で暮らすには、まず食料の調達をどうするかと考えていました」

「私も、狩りができるようになっとけば良かったなぁ」

「姫様に、そんなことはさせられません」

「でも、住むところも見つけないとだし、色々、大変じゃん。2人で力を合わせていかないとさ」

 

 これまでは、フィッツに頼り切りだった。

 その自覚はある。

 だが、これからは、それではいけないのだ。

 甘えっ放しでは具合が悪い。

 隠れ家のように全自動というわけではないのだから、人手が必要になるだろう。

 

「私も、できることはしたいんだよね」

 

 ただし、その「できること」がないのが現実だ。

 フィッツは有能で、なんでもできるので、手伝おうとすることで、足手まといになりかねない。

 自分1人でできることを考えても、フィッツよりも上手くできそうなことが思いつけなかった。

 

「では、姫様にしかできないことをしてくれますか?」

「え? なになに? なんでもするよ」

 

 自分にしかできないことがあるのかは不明。

 とはいえ、フィッツが言うのだから、きっとあるのだ。

 

「私を抱きしめてください」

「え? そういうこと?」

「姫様にしかできないではないですか」

「そりゃそうだけどさぁ」

「駄目ですか?」

「駄目ではないよ。いつでもするよ」

 

 ぎゅっと、さらにフィッツに強くしがみつく。

 こうするだけでも、なにかフィッツにしてあげられているのだろうか。

 嬉しいと思ってくれていたりするのだろうか。

 

「姫様は、ずっと遠い存在だったので、安心しますね」

「そっか。でも、前より、ずっと近くなったでしょ?」

「なりました。ただ、最近の私は、欲張りになったらしく、もっと近くにと、そればかりを考えてしまうのです」

「フィッツが1番なんだけどなぁ。フィッツより近い人なんていないよ」

 

 すりっと、フィッツが頬を擦り寄せてきた。

 走りながらだというのに、とても器用だ。

 ティニカの鎖に縛られていたフィッツでは考えられない仕草だった。

 とはいえ、本人に自覚があるとは思えないけれども。


 ようやく、ほんの少し不安がおさまってきた。

 正直、フィッツと一緒にいられるのなら、それだけでいいと思える。

 どうせ衣食住にこだわりなどないのだ。

 あのボロ小屋より貧相な暮らしになったとしても、かまわない。


「言葉で言っても伝わらないなら、行動で伝えることにする。ここを出たらね」

「行動ですか?」

「そう。行動」

 

 彼女自身、よくわかっていないことが、なんとなく理解できていた。

 人は、相手に自分の思いや感情を伝えるために言葉を使う。

 けれど、人の心には、確かに「言葉にならない想い」が存在しているのだ。

 では、それをどうやって伝えるのか。

 

 言うだけなら、言葉は言葉でしかない。

 

 それが嘘でも本当でも、確かめるすべは限られている。

 言葉を「真実」にするのは、それに則った行動だけなのだ。

 

 守れもしない約束を、人は簡単にする。

 守れないとわかっていてすら、平気で口にする。

 

 せめて守ろうとしたという行動くらいは見せてほしいと思ってきた。

 彼女がアイシャに「またね」を言わなかったのは、そのためだ。

 「またね」がないとわかっていたから。

 

「新しい場所に着いたら、キスしよう」

「え……ですが、私はまだ……」

「いいんだよ。私に1番近いのは、フィッツなんだって証なんだから」

 

 ずっとわからずにいた。

 理解もできずにいた。

 

 キスや、それ以上のことを、なぜしたがるのか。

 

 愛情表現だと言われても、まったく実感がなかったのだ。

 恋愛に関心がなかったせいもある。

 誰かにふれたいとか、ふれられたいとか、考えたこともない。

 だから、愛情表現というのは建前に過ぎず、単なる「性的な欲求」に過ぎないと切り捨てていた。

 

(言葉じゃ伝わらなかったり、伝えきれなかったりすることもあるんだなぁ。そういうの、初めてわかった気がする)

 

 フィッツが抱きしめられて安心するなら、いくらでも抱きしめる。

 ふれあうことで、想いが伝わるのなら、ふれあいたいと思う。

 お互いに、お互いが「特別」なのだと伝え合いたい。


「姫様は、嫌ではないと言ってくれましたよね」

「嫌じゃないよ」

「姫様は、どう思っていますか?」

「私? そうだなぁ」

 

 くっついた体のぬくもりが、心地よかった。

 もっと近づきたい、と思う自分がいる。

 フィッツは「欲張りになった」と言っていたが、それなら自分も欲張りだ。

 

「勝手に決めちゃったけどさ。私は、フィッツを抱きしめたり、キスしたり、肌にふれたりすることが許されるのでしょうか?」

「ひ、姫様……それは……」

「あれえ? フィッツ、恥ずかしがってんの?」

 

 ははっと、声をあげて笑った。

 ようやく「羞恥」側の恥ずかしさを、思い知らせることができたようだ。

 フィッツの肩口に顔をくっつけているので、顔は見えない。

 なのに、フィッツが笑っている気がする。

 

「納得しました」

「なにに?」

「姫様は、意地悪です」

「そうだよ。そう言ったじゃん」

「ですが、優しいかたです」

 

 う…と言葉に詰まり、顔を強く押しつけた。

 そんなふうに言われてしまうと、身の置きどころがない。

 羞恥心の経験値が、フィッツより高いので。

 

「姫様」

「なに?」

 

 訊いた彼女の耳に、ふっと息がかかる。

 

「許しますよ」

 

 ひそっと言われた言葉に、顔が熱くなった。

 これは大変だ、と思う。

 無自覚には違いないのだろうが、それがタチが悪い。

 

「フィッツには、女たらしの素質がある」

「そのようなものは持ち合わせていません」

 

 即座に否定されたが、単にフィッツが無自覚なだけだと思う。

 心臓をどきどきさせつつ、それでも、フィッツといれば長生きも恋愛も悪くないと感じていた。


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