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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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感情の機微とはいかばかり 4

 フィッツが、体を折り曲げ、カサンドラを、ぎゅっと抱きしめている。

 今日のフィッツは、様子がおかしい。

 

(混乱させちゃったかな。私も混乱してるけど……ていうか、フィッツのは、混乱じゃなくて錯乱かも……)

 

 たぶん、おそらく。

 

 こういうのは「ティニカ」らしくない。

 

 自分の言葉と「ティニカの使命」との間で、フィッツの思考回路が、異変をきたしているとも考えられる。

 フィッツは、使命のために作られ、そのためだけに生きてきた。

 なのに「ティニカらしくない」行動を望むようなことを言ってしまったのだ。

 

 大いに、フィッツは悩んだに違いない。

 フィッツの存在理由の元となっている「ティニカの教え」と、その教えの中心にいるカサンドラの言葉との間で板挟み。

 

 彼女の言葉に忠実であろうとすれば、ティニカの教えに背くことになり、使命を優先させれば、カサンドラの言葉を無視することになる。

 しかし、命の危険が伴うわけでもないのに、主の言葉を無視するのは、それこそ「ティニカの教え」に背くことになるのだ。

 

 フィッツには、自らが「どうしたい」がないので。

 

 その無限ループの中で、思考回路が、ぶっ壊れたのだろうか。

 いわゆる「ショート」「パニック」といった状態なのではなかろうか。

 

「あ……申し訳ありません、姫様……」

 

 サッと、フィッツが体を離した。

 なんとも言えない気分になる。

 

「フィッツ、ちょっと、ここに座って」

 

 ぽんぽんと、ベッドの上、自分の横を軽く叩いた。

 フィッツは、思考回路が、ぶっ壊れているのかもしれないが、そうとは見えないほど、あっさりと指定された場所に座る。

 

「フィッツは、私がヴェスキルの継承者だから大事にしてくれてるんだよね?」

「そうですね。それが、私の使命です」

「じゃあ、もし、今、私が、実はヴェスキルの血を受け継いでない、って言ったらどうする? 女王が、ラーザを離れたあと、本当に出産したかわからないでしょ。逃げる途中で、なにかがあって無事に産まれなかった可能性もある。そのあとで、たまたま捨て子を拾ったかもしれない」

 

 フィッツの中で、その可能性が何%くらいだと計算されているかは不明。

 だとしても、フィッツなら「無視できない」数値として存在はするはずだ。

 実際には今のは作り話であり、カサンドラは確かにヴェスキルの継承者なのだが、それはともかく。

 

「姫様がヴェスキルの継承者でなかったら……どうすればいいのかわかりません」

「だよなぁ。フィッツの使命は、ヴェスキルの継承者に対してのものだからさ」

「なぜ、そんなことを言うのですか?」

 

 フィッツは、うなだれるようにして、肩を落としている。

 アイシャに「破廉恥」と言われた時以上に、しょんぼりしているように見えた。

 

「私に、こだわりがないからだよ。継承者としての自覚なんてないしさ。ラーザの女王として生きることも考えられない」

「では、私のことは、どうするのですか?」

「ん?」

「私はヴェスキルの継承者を守り、世話をする者です。姫様が継承者でなければ、私は、どうなりますか?」

「どうって……」

 

 いよいよ、フィッツが、しょんぼりしている。

 フィッツの「使命」からすると、継承者ではないとなれば、すぐに見捨てられ、見殺しにされてもしかたがないと思っていた。

 わずかな「継承者ではない」可能性であっても見過ごしにはせず、今さらにでも確認しようと動き出すのでは、とも考えていたのだ。

 

 が、そういう反応は、まったくない。

 ただただ、しょんぼりしている。

 そのフィッツが、ぽつりとつぶやいた。

 

「姫様が、継承者でなければ……私が、姫様の(そば)にいる理由がなくなります……」

 

 え?と、肩を落としているフィッツの横顔を見つめる。

 そもそもフィッツはカサンドラに嘘などつかないが、嘘ではないとわかった。

 本気で「それ」を心配し、しょんぼりしているのだ。

 

「あ~、ええと……」

「私は、どうすればいいのですか? どうなるのですか? 姫様は99.98%、ヴェスキルの継承者です。ですが、0.02%、継承者ではない可能性も残されているので……その場合、私は、姫様の傍にいられる権利を失うではないですか」

「権利って……」

「ティニカは、その権利を有しています。それは、使命があるからであり、姫様が継承者であることが前提です。その前提が覆ってしまえば……」

 

 なにやら、思わない方向に話が向いている。

 気がする。

 

「フィッツは、私がヴェスキルの継承者でなくてもいいと思ってんの?」

「思いません。困ります。それでは権利の行使が……」

「あ、うん。わかった。言いかたを変えよう。えーと、私は、権利なんかなくても傍にいていいと思ってるよ。フィッツが、傍にいたいならね」

「いいのですか?」

 

 パッと、フィッツが顔を上げた。

 驚いているというか、信じられないといった顔をしている。

 きっと「ティニカの教え」にはないものだからだ。

 

「いいよ。私が継承者であってもなくても、使命とか権利とかに関係なく、私は、フィッツと一緒にいるのが楽しいし、傍にいてほしい」

 

 ぱぁっと、フィッツの表情が明るくなった。

 口元が嬉しそうにほころんでいる。

 初めて見る「笑顔」だ。

 

「フィッツ、ちゃんと笑えるじゃん」

「笑っていると気づきませんでした。笑みを浮かべる訓練はしていたので、それが出たのかもしれませんね。なぜ出たのかは、わかりませんが」

「そういうんじゃないと思う。私に、わざと笑う理由なんてないでしょ」

「それもそうですね」

 

 返事に、小さく笑う。

 思考回路が、ぶっ壊れたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

 フィッツは「ティニカの鎖」を、ぶち切ったのだ。

 まだすべてではないのだろうが、そのうち、すべての鎖をフィッツ自身の心で、断ち切るに違いない。

 

「でもさ、私は、フィッツといるのが楽しいけど、私って、一緒にいて楽しい相手とは思えないんだよね。なんで、そんなに一緒にいることにこだわるのか、わからないなぁ」

「私にも、よくわかりません」

「わかんないのか」

「はい。私は、自分が足手まといだと承知しています。姫様1人のほうが、安全に動けることも知っています。それでも、姫様と離れたくないのです。傍にいたいと思います。それに、姫様が遠くなると苦しくなります」

 

 置き去りにされるのを心配している、というふうには感じられなかった。

 なにか、もっと切実なものが伝わってくる。

 

「いっつも近くにいるでしょ? 私、1人で出かけたことないよね?」

「いえ、そういう距離のようなものではなく……夕べのように……姫様が……私に背を向けて……どう言えばいいのか……」

 

 思い出すと、その時の感覚がよみがえってくるのだろう。

 フィッツが無表情なりに、顔をしかめている。

 ちょっぴり眉を寄せているのだ。

 

(そっか。昨日は、私も自分のことでいっぱいいっぱいで、フィッツのこと、突き放しちゃったんだよね)

 

 自分の心を守ろうと必死で、そのための「壁」を作った。

 フィッツの言う「遠くなる」とは、心の距離のことだ。

 ようやく理解が追いついて、ホッとする。

 今朝は「フィッツと距離をとる」ことを考えていた。

 もし、実際にやっていたら、フィッツを傷つけていたに違いない。

 

(あ……全然、気づいてなかった……そうか、そうだよね……そうだよ……)

 

 フィッツは「人」であり、自我もある。

 そこまでは考えられたのに、肝心な部分には気づいていなかった。

 

 フィッツも「傷つく」ということに。

 

 自我があるのなら感情だってあるのだ。

 感情の中には、精神的な痛みや苦痛もある。

 他者の行動や言葉に傷ついたり、悲しんだり、自分の言動にすら人は傷つく。

 フィッツは、それがなにか学ばなかっただけで、感じていなかったのではない。

 

「じゃあさ、そういう時は、こうしよう」

 

 彼女は、両手を伸ばし、フィッツを抱きしめた。

 とくんとくんと、鼓動が伝わってくる。

 自分の体温が、フィッツのぬくもりとして浸透すればいい。

 同時に、思う。

 

 お互いに生きていて、だからこそ、あったかいのだ。

 

 背中に、そわっとフィッツが手を回してきた。

 ちょっぴり、おずおずといった感じに、口元がゆるむ。

 さっきは、がばっと来たからだ。

 

「あのさぁ、フィッツ」

「はい、姫様」

 

 少しずつ、自分もフィッツも変わっていけばいいのだと思える。

 自分の命にも、もっと執着できる気がした。

 継承者の血が途絶えるという理由ではなく、フィッツが寂しがりそうだから。

 

「もっと近づくための第1歩なんだけど、フィッツには頑張ってもらいたい」

「鋭意、努力します」

「できるかなぁ。できるといいなぁ」

「全力で、努力します」

 

 ほかの人にはなんてことなくても、フィッツには難しいことに違いない。

 けれど、またひとつ。

 ティニカの鎖が断ち切れればいい、と思いながら、言う。

 

「私の愛称は、キャスだよね。だから、私をキャスって呼んでみてよ」


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