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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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感情の機微とはいかばかり 2

 言うんじゃなかった。

 

 自分でも、なぜあんなことを言ってしまったのか、と思う。

 おそらく、フィッツとの2人暮らしが、楽しかったからだ。

 そこに「誰か」が入ってくるのを、フィッツは肯としているのか。

 思うと、腹が立った。

 

(八つ当たりだよなぁ)

 

 フィッツは悪くない。

 それはもう、心底、わかっている。

 フィッツがフィッツなのは、フィッツのせいではない。

 ティニカのせいだ。

 

 フィッツは、ああいうふうにしか生きられないように育てられた。

 少しは変わりつつあるが、根底にあるものを覆すのは難しいに決まっている。

 わかっているのに、フィッツが理解できていないことに腹を立て、八つ当たりをしてしまった。

 

 うつ伏せになり、ばすっと、枕に顔をうずめる。

 久方ぶりに、自己嫌悪にまみれていた。

 自分の性根が悪いのは自覚していても、さすがに、あれはない、と思う。

 ほとんどの場合、フィッツは、カサンドラに逆らわない。

 というより、たいていのことには、従う。

 

 皇宮を出て、帝都から逃亡すると言った時もそうだ。

 命の危険が伴うとして反対したりはしなかった。

 守りきる自信があったからには違いないが、それはともかく。

 

 常に、フィッツは、カサンドラの意思を優先する。

 拒否しない相手に「自分の相手をしろ」と強要したに等しい。

 それが、恥ずかしくも情けなかった。

 いくら腹を立てていたとしても、言ってはいけないことはある。

 

「意味わかんないって感じだよね、フィッツからすれば……」

 

 元々、彼女は恋愛に関心がない。

 婚姻やら出産やらにも、さしたる興味はなかった。

 家庭や家族を持つ自分を想像したこともない。

 自身の命にさえ執着していなかったのだから、当然だ。

 

「だいたいさ、私だって、フィッツと、そういうことをしたいのかどうか、わからないのに、なんで、あんなこと言っちゃうかなぁ」

 

 恋愛に関心がなかったので、性的な行為にも無関心。

 自分には関りがないと切り捨てていたため、知識さえ乏しい()(さま)だった。

 なんとなく、こういう感じなのだろうという曖昧な認識しかない。

 だが、性的な関係を持たなければ、子供はできないのだ。

 

 ヴェスキルの、たった1人の後継者。

 

 ラーザの民と関わることで、その血の重みは嫌というほどに知った。

 自分が彼らを巻き込んだとの思いもある。

 危うく鉱山にいたラーザの民は殺されるところだったのだ。

 義理堅い性格ではないが、ヴェスキルの血の継承以外、彼らに報いる手立てを、彼女は持たない。

 それはわかっているので、いずれは本気で考えなければならないと思っている。

 

「まぁ……フィッツならいいかって思ったのはあるけど……」

 

 皇太子と比べるのは違う気もするが、皇太子と行為におよぶのは絶対に嫌だ。

 対して、フィッツが相手となると忌避(きひ)感のようなものはない。

 誰かを選ばなければならないと考えた時、頭に浮かんだのはフィッツだった。

 ただし、積極的に、そうなりたいかは判然としないのだ。

 

(自分が、そういうことするなんて、考えたことなかったしなぁ)

 

 まるで想像ができない。

 それでも、想像しようとすると、出てくる相手は、フィッツなのだ。

 枕に顔をうずめたまま、ううっと唸る。

 

(そんなことより、これからどうするかってことじゃん)

 

 昨日は、ほとんど眠れなかった。

 罪悪感と自己嫌悪に打ちのめされ、ベッドを出たり入ったり。

 

 そして、作られた空間であっても、朝は来る。

 

 そろそろフィッツが起こしに来る時間だ。

 なんとも顔を合わせづらい。

 どんな顔をすればいいのか、なにを話せばいいのか、見当もつかなかった。

 

(いや、待てよ。フィッツは、いつも通りだよね。平然としてるはず)

 

 昨日、彼女は「冗談」だと言ったのだ。

 フィッツなら、言葉を言葉通りに受け止めたに違いない。

 だとすると、気にしているそぶりを見せるほうが状況を悪くする。

 話を蒸し返しかねないことは、()けるべきだろう。

 

(私も、いつも通りにすれば、気まずくならなくてすむんじゃない?)

 

 冗談だったということで終わりにできるはずだ。

 ふう…と、息をつく。

 夕べ、散々、自分を責め倒したことで、感情の抑制はできていた。

 もうフィッツに八つ当たりしたりすることはない。

 

 フィッツは、ああいうところがフィッツなのだから。

 

(欲張りになってたんだなぁ。ヴェスキルの継承者じゃなくても、私といて楽しいから一緒にいたいって思ってほしいとかさ)

 

 人は人に期待する。

 そして、期待通りにならないと「がっかり」する。

 

 そういうのが嫌で人と関わらずにいたはずなのに、自分が、その「嫌な」範疇に入ってしまっていた。

 わかりたいとか、わかってもらいたいとか思ったのが、そもそも間違いだったのかもしれない。

 そういうところから欲が出て、知らず知らずのうちに、自分の否定してきた領域に足を踏み入れてしまったのかもしれないとも思う。

 

 期待せず、望みもせずにいれば、落胆も裏切りもないのだ。

 

 フィッツとの適切な距離を考え直したほうがいい、と思った。

 フィッツは、基本的に、カサンドラの意思に従う。

 嫌も応も、本当にないのだ。

 だからこそ、危うい。

 

(フィッツには固有の意思がないんだから、私が間違っちゃ駄目なんだ)

 

 ひとまず、頭の中の整理はついた。

 よし、と体を起こす。

 そのタイミングで、ドアが叩かれた。

 

「入っていいよ。まだ着替えてないけど」

 

 ドアが開き、フィッツが入って来る。

 途端、なんだ?と思った。

 フィッツは、予想していたのとは違う反応をしている。

 室内に、一気に緊張感が高まるほどだ。

 

「なに? どうかした? なんかあった?」

 

 まさか昨日のことを、気にしているのだろうか。

 フィッツに限って、とは思うのだが、アイシャとのこともある。

 引きずっている可能性がなくはない。

 とはいえ、自分からは切り出しにくかった。

 見当外れだったら、つつかなくてもいい蜂の巣をつつくことになる。

 

「ひと晩、考えました」

「あ、うん……それで……」

 

 やはり、夕べのことらしい。

 それが明確になったことで、彼女まで緊張してくる。

 なにを言われるのかと、内心では動揺していた。

 

「本当に……冗談だったのですか?」

「え……ええと……冗談っていうか……そういう方法もあるかなって……」

 

 冗談か否か。

 

 冗談だと言ってしまえばすんだのかもしれない。

 だが、真剣な眼差しのフィッツの言葉を流してしまえなかった。

 距離を取ろうと決めたばかりなのに。

 

「あ、でもさ。そういうことって、使命ですることじゃないんだよ? 私の世話をするって言っても、限度はあるからね。私は性的な欲求が強くないし、夜の世話をしろなんて言わない。だから、フィッツも……」

「嫌だと思いました」

「え、あ、うん。だから、そういうのは……」

「姫様が、ほかの男と交わるのは嫌です」

「は……?」

 

 ぱく。

 

 口が中途半端に開きっ放しになる。

 動揺を通り過ぎて、混乱していた。

 

「私以外の者が、姫様の近くに(はべ)るのも嫌です」

「え? え?」

「私が、1番、姫様の近くにいたいのです」

 

 さらに混乱していると、フィッツがベッドの脇に歩み寄って来た。

 真剣というより、深刻といったほうがいい目つきをしている。

 

「ほかの者が介入するのが嫌でしかたありません。死ねばいいと、殺そうかと思うくらいに嫌なのです」

「な、な、なんで……?」

「わかりません」

 

 ぇえーという感じだ。

 フィッツ本人にもわからないと言われたら、どうすればいいのか、こっちこそ、わからないではないか。

 

「姫様」

「な、なに?」

 

 もう言葉の後ろにハテナしかつけられない。

 彼女も、ひと晩中、様々なことを考えた。

 だが、なにも思い出せなくなっている。

 

「私は、姫様にふれることが許されるのでしょうか?」

「え……?」

「相手を篭絡するための手段として教わりはしましたが、姫様は必要ないと言われました。ですから、私には関係のない話であり、実践したこともありません。ですが、そもそも私が姫様を篭絡する理由はないでしょう? それでも、許されることなのでしょうか?」

「え、えと……??」

「私が、姫様を抱きしめたり、口づけたり、肌にふれたりすることは、許されるのですか?」

 

 フィッツは、とても深刻な瞳で、彼女を見つめていた。

 喉が、こくりと上下する。

 

 ここは、間違えてはいけないところだ。

 

 夕べの自分の言葉を気にして、ティニカの使命感から言っているのだとすれば、拒絶すべきだと思う。

 そこに、フィッツの意思は介在していないのだから。

 

「フィッツがしたいかどうかだよ。私は嫌じゃな……」

 

 最後まで言う間はなかった。

 彼女の体を、フィッツが抱きしめている。


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