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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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擦過の思惑 4

 メイドたちに(かしず)かれ、カサンドラが入って来る。

 皇太子宮に近い宮のひとつだ。

 その宮にある、多くの客室の中でも、最も格の高い部屋だった。

 婚約者というカサンドラの立場を慮ったのだ。

 

 室内には、皇太子からすれば、必要最小限の人員しか入れていない。

 皇太子とディオンヌ、ベンジャミン、皇太子専属近衛隊の騎士3名、それと、今カサンドラとともに入ってきたメイド3人。

 メイドらに発言させるかどうかは、このあとのカサンドラ次第。

 場合によっては、メイドの証言が必要となるため、この場に残した。

 

 視線を、カサンドラの手に走らせる。

 見覚えのある指輪だ。

 ティトーヴァは、隣に座るディオンヌの横顔にも視線を投げる。

 かなり落ち込んだ様子で、両手を膝の上で握り締めていた。

 

 カサンドラは、豪奢なソファに座る2人とは異なり、突っ立っている。

 ティトーヴァが、座るよう促していないからだ。

 婚約者であっても、立場は対等ではない。

 なんであれ、帝国の皇太子であるティトーヴァの許しが必要だった。

 

「ディオンヌから指輪を取り上げたらしいな」

 

 数日前のことだ。

 顔色の良くないディオンヌに声をかけた。

 

 ディオンヌは従姉妹であり、つきあいも長い。

 皇宮への出入りも自由にさせている。

 賓客扱いとし、皇太子宮の一角を提供していた。

 そのため、カサンドラよりも、遥かに顔を合わせる機会は多いのだ。

 

 最初、ディオンヌは、ティトーヴァに理由を話そうとしなかった。

 しかし、よけいに気になり、時間をかけて説得し、話を聞き出している。

 

「お兄様、カサンドラ王女様は、お母様を亡くされて間がございません……」

 

 理由を聞き出した時も、ディオンヌは同じことを言っている。

 だから、カサンドラに「悪意」はなかったのだと、擁護していた。

 カサンドラがティトーヴァの婚約者であるため、気を遣っているのだろう。

 この婚約が皇命だと、ディオンヌも知っている。

 

「だが、人の物を強制的に奪うのは罪だ」

 

 立っているカサンドラを、冷たい視線で射抜いた。

 そのカサンドラの指には、大きな青色の宝石のついた指輪がはめられている。

 アトゥリノでしか取れない貴重な宝石だ。

 大きさを見れば、王族以外が身につけられるような代物ではない。

 前に見た時には、アトゥリノの商人から買ったのだと思っていた。

 

 別宮の財務報告書を見る限り、カサンドラはおおいに贅沢を満喫している。

 それについて、ティトーヴァは注意も意見もせずにいた。

 金で解決のつく話だし、自分の気を惹こうとしているのなら無駄だと示すつもりだったのだ。

 注意や叱責という関わりかたをするのでさえ避けてきたのだけれども。

 

「それが、大事な人の形見であれば、なおさら罪深いと言わざるを得ない」

 

 ディオンヌの顔色が優れなかったのも理解できる。

 その指輪は、代々アトゥリノの王女が受け継いできたもので、早くに亡くなったディオンヌの母の形見でもあるという。

 

(母親譲りということか……なにもかもを欲しがる)

 

 地位、権力、そして、愛。

 

 カサンドラの母は皇帝の寵愛により、地位と権力を手に入れた。

 さらに寵愛を利用し、次なる野心のため、娘を皇宮に送り込んだ。

 帝国を手中にする目前で命を落とすのは、さぞ無念だっただろう。

 だが、その野心は、娘に引き継がれているらしい。

 

「……私は……指輪さえ戻ってくれば、それで良いのです。どうか、お兄様、事を荒立てないでくださいませ」

 

 ディオンヌは、昔から気の弱いところがあった。

 よく泣いている姿を目にし、そのたびにティトーヴァが問題を解決している。

 

「この皇宮内で、人の財が奪われるなどあってはならないことだ」

 

 メイドに正しい振る舞いをされなくても、文句も言えない。

 それが、ディオンヌなのだ。

 相手なりに理由があるのだろうと、庇おうとする。

 大人しく、心優しい従姉妹を守るのも、自分の責任だと考えていた。

 ディオンヌを賓客としたのは、ティトーヴァだからだ。

 

「ですが……お兄様……本当にカサンドラ王女様に悪気は……」

「ディオンヌ、悪気があったかなかったかではない。なにが起きたかが重要だ」

 

 この部屋に入って以来、まだカサンドラは、ひと言も発していない。

 弁解の余地がないからなのか、釈明すらできない頭の出来だからなのか。

 うつむき、顔を上げようとしないため、表情は見えなかった。

 

「言いたいことがあるか?」

 

 いくら頭が悪くても、状況が不利なことくらいは理解しているはずだ。

 水を向けてやったのだから、弁明のひとつもするだろう。

 耳を貸す価値があるかはともかく。

 

「なにもありません」

 

 うつむいたまま、カサンドラが小声で答える。

 ティトーヴァの眉が、ぴくっと吊り上がった。

 なんらか「慈悲」を乞うと思っていたからだ。

 

 曲がりなりにも、カサンドラは婚約者。

 許しを請うのなら、ディオンヌの言うように「事を荒立てず」に対処することも考えていた。

 厳重注意と警告程度が落としどころだろうと。

 

 弁明という名の言い訳をまくしたて、慈悲を乞う。

 ティトーヴァは、カサンドラの、そういう姿を期待していた自分に気づいた。

 

 それが、本来、カサンドラのあるべき姿なのだ。

 

 帝国を混乱させている元凶とも言える存在。

 身の程を知り、床に這いつくばっているのが似合いの女。

 にもかかわらず、なにを期待してかはともかく、ティトーヴァに恋情をいだいている愚かで煩わしい女。

 

 だが、カサンドラは醜くわめきたてることはせずにいる。

 言い訳も謝罪もしない。

 言うことは「なにもない」と答えたのだ。

 

「では、こちらを、お返ししましょう」

 

 小さな声で言い、指輪を抜き取り、近くにいたメイドに手渡す。

 渡されたメイドは、どうすればいいものかといった顔でティトーヴァを見ていた。

 手で合図をし、ディオンヌに、それを返させる。

 

「返せばすむという話ではない」

「いいえ、お兄様、私は、これさえ返ってくれば……」

「この者は、人から強制的に宝飾品を奪った。これは盗みに等しい行為だ」

 

 ディオンヌは不安そうに瞳を揺らがせている。

 ティトーヴァとカサンドラとの関係に不和が生じるのを望んでいないのだろう。

 とはいえ、お(とが)めなしとはできない。

 なにもなくすませば、カサンドラに頭が上がらないと思われる。

 

「ディオンヌに謝罪しろ」

 

 ティトーヴァの面目の問題以前に、謝罪は当然だ。

 母親を亡くしたのは、カサンドラだけではない。

 ディオンヌは幼くして亡くしているし、ティトーヴァの母も亡くなっている。

 時間が経っていても、境遇は同じと言えた。

 

(ディオンヌが大人しいからといって、好き放題はできないと、知らしめておかなければな。図に乗られては迷惑だ)

 

 ティトーヴァと会っている際、カサンドラは、ほとんど会話をしない。

 物静かな女性のように感じていたが、見せかけだけだったようだ。

 強い立場の者には迎合し、弱い立場の者には強く出る。

 そういう手合いが少なくないと、ティトーヴァは知っていた。

 

 ただ、彼は皇宮に長く居過ぎたのだ。

 王族や貴族の視点で、物事を判断する傾向にある。

 そのため、比較する対象が皇宮の者に限られていた。

 

 カサンドラは平民出身なのに。

 

 ティトーヴァの基準となっている者とは、そもそも「異なっている」とは、考えてもみない。

 17歳で出征はしたものの、たかが半年。

 その時以外、ティトーヴァは帝国から出ていなかった。

 皇宮で過ごすばかりの時は長く、視野が狭くなってしまったのだ。

 皇太子として見えるものだけが、彼の世界となっている。

 

「謝罪をしろと言ったのが、聞こえなかったのか?」

 

 返事をしないカサンドラに苛立った。

 室内は、2人きりではない。

 カサンドラの「謝罪」がなければ、終わりにすることができなかった。

 

(悪いと思っていないのなら性質(たち)が悪い。この2年で大きな勘違いをさせたことになる。皇太子の婚約者であれば、傲慢な振る舞いが許されると思っているのか)

 

 苛立ちと不快感に、眉をひそめる。

 じっと視線をそそぐカサンドラが、わざとらしいほどゆっくり顔を上げた。

 ティトーヴァの視線を、まっすぐに受け止めてくる。

 そして、困ったような表情を浮かべて、言った。

 

「なにを謝罪しろと言われているのか……私にはわからないのですが」


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