想定であって想定でなし 4
訊きたいことは、たくさんある。
けれど、疑問に感じていることを口にしてみた。
「フィッツは、私を連れて逃げると思ってた」
「そうするつもりでいましたよ」
フィッツが、さらりと答える。
が、表情が、いまひとつ芳しくない。
納得がいっているような、いないような、そんな顔をしている。
ように見えるのだ。
「なら、なんで、そうしなかったの?」
使命を最優先するティニカの価値観を、彼女もわかっている。
なぜ「そう」なのかも、知ってしまった。
だから、フィッツなら、当然そうするだろうと考えたのだ。
「自分でも判然とはしませんが……姫様が喜ばないと思ったからでしょうか」
「私が?」
「はい。姫様は、鉱山の者を犠牲にするのを肯とはしていなかったはずです」
「あ~……うん……まぁ、それはそうなんだけど……」
それは、利己的な理由からだった。
良心の呵責などという美しい感情からではない。
罪悪感はいだいただろうが、単に「自分のせい」になるのが嫌だっただけだ。
人の死を悼んでのことではない。
彼女は、自分を、そんな「純粋」な人間だと思っていなかった。
だから、フィッツの言葉に、居心地が悪くなる。
「私のせいで人が死んだって言われるのが、嫌だっただけだよ。自分が悪者になりたくないって感じ」
「悪者になっても、姫様は姫様です。私には、なにが問題なのか、わかりません」
肩から、ふわりと力が抜けた。
フィッツは、どこまでもフィッツなのだ。
カサンドラが、どういう人間でもおかまいなし。
以前は、重たいとしか感じなかったことが、今は安心に繋がっている。
我ながら、打算的だと思った。
フィッツに頼ることを覚えたがゆえの「安心」なんて都合が良過ぎる。
わかっていても、彼女の中で、フィッツは、誰とも違う存在になっていた。
絶対の味方であるフィッツ。
無条件で信じられる相手。
「私が面倒くさがりで良かったかもなぁ」
「なぜですか?」
「帝国をぶっ潰す、とか考えないからだね」
「3年ほど時間をくだされば、やり遂げられますよ」
「やり遂げる気ないって。面倒なことはしたくない」
フィッツが言うと、本当に「やり遂げる」ことができそうで困る。
3年という言葉には、根拠があると感じた。
散り散りになったラーザの民を呼び集めたりとか。
「……鉱山の人たち、大丈夫なんだよね」
フィッツが「先に逃がした」と言っていた。
フィッツに手抜かりはない。
わかっている。
「ラーザの民以外は宿舎に戻ったでしょうが、ラーザの民は、逃げたと思います。とくに管理人は目をつけられたはずですからね」
「そっか……これからの生活もあるのに……」
「ラーザの民は優秀です。領土を離れたあとも、ああして生き延びて来ましたし、今後は土地を変えるだけのことですよ」
先のことを心配するのはやめることにする。
逃亡中の身で彼らと関わりを持ち、巻き込んだのは自分だ。
今さら、今後の生活の心配なんて、偽善に過ぎる。
ディオンヌに殺されるのを阻止できただけで良しとすべきだった。
「フィッツは、人質を取られることも想定してた?」
「ひとつの可能性として想定はしていましたが、直前までは、人質に成り得るとは考えていませんでしたね」
フィッツは、カサンドラだけを連れて逃げようと思っていたのだろう。
仮に「誰それを殺す」と言ったところで、フィッツの使命からすれば、なんの枷にもならない。
カサンドラを守れさえすればよかったのだから。
「なら、あの爆破は? 事前に仕掛けてたものじゃないの?」
「あれは、ラーザの民の備えです。この坑道に気づかれそうになった時のために、設置しておいたものですよ。ラーザを離れた際の教訓でしょう」
ラーザに抜ける坑道を造っていると気づかれそうになった時の隠蔽のため。
そして、気づかれた時に、技術が帝国に渡らないようにするため。
その2つの理由から、坑道を爆破する仕掛けも準備していたのだろう。
結果、鉱山の人たちは殺されずにすんだ。
(それも、私が選んだことじゃないけどさ……)
自分は選択から逃げ、フィッツに選ばせている。
選択するのを嫌がっていると、悟られたせいだ。
彼女は、フィッツの胸の鼓動を頬に感じる。
フィッツは強くて、なんでもできて、けれど、少々、頭のイカレた男だった。
それでも胸は鼓動を打っていて、ちゃんとぬくもりもある「人」なのだ。
痛みに強くても、蹴られれば怪我をし、血を流す。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
ぎゅっと、なぜか胸が詰まった。
彼女は、人に関わるのが好きではない。
一定以上、踏み込まず、踏み込ませず、適当にあしらってきた。
そのほうが楽だからだ。
人には人の考えかたがある。
当たり前のことだった。
分かり合えるなんて幻想で、分かり合えた気持ちになっているに過ぎない。
自分のことをわかってもらおうだとか、相手のことをわかろうだとかするのは、無意味だと思っている。
それどころか、害になるとさえ考えていた。
人は人に「がっかり」するから。
自分と同じ価値観ではないというだけで、相手を理不尽に攻撃することもある。
わかってもらえなかったというだけで、裏切り者扱いすることだってある。
人と自分は違うのだと、そんな当たり前を受け入れようとしない者も多い。
ならば、もとより、関わらないほうがいいのだ。
そう思ってきた。
「私は、フィッツが大好きだよ」
「そうですか」
思わず、吹き出してしまう。
前に「魚より肉が好き」だと言ったことがある。
フィッツにとっては、その程度の認識なのかもしれない。
正直、やっぱりフィッツの考えていることはわからないし、ティニカの価値観は受け入れがたいものがある。
それでも。
「フィッツが、なに考えてるのかとか、どう思ってるのかとかさ。これから、私はじゃんじゃん訊いていこうと思う」
「私のことを?」
「そう。私は、フィッツのことが知りたいんだよ。数値で表せないことをね」
暗闇でも、フィッツが首をかしげているのが見えた。
フィッツには理解できないのだろう。
なぜ彼女がフィッツのことを知りたがるのか。
(ほかの人はまだ微妙だけど、フィッツとは関わってみたい。全然わからないより少しでも……わかりたいなぁ。だってさ……)
フィッツは、自分の意思を汲んでくれたのだ。
フィッツ自身も「判然」としないのにカサンドラが喜ばないと思い、ティニカの価値観を捻じ曲げてくれた。
本来、ティニカであれば、取って当然の行動を取らなかったのだ、フィッツは。
(歩み寄ってくれた、みたいな? そういうことだよね)
だから、自分もフィッツに歩み寄りたい。
わかってあげられることなんて、なにもなくても、努力するつもりだ。
少し前に、どうせ理解できないからと説明するのを放棄するのはやめようと決めていた。
けれど、これからは、もっと積極的に関わっていこうと思う。
「私も、姫様にお訊きすることが増えそうです」
「そうなんだ」
「はい。姫様の考えていることや思っていることを、私も知りたいので」
胸の奥が、きゅうっと痛くなった。
きっと嬉しいのだ。
彼女は、素直に、それを口に出す。
「それは、嬉しいなぁ」
これが皇太子なら、面倒くさいと感じたに違いない。
思って、また少し笑った。
「これで、あいつ、諦めるかな」
「諦めないと思います。可能性としては……」
「数字にはしなくていい。数字にされると、実感しちゃうからさ」
「わかりました」
「いい加減にしてほしいよ。しつこく追いかけて来る意味がわからない……いや、わかってるんだけど、わかりたくないって意味ね」
好感度云々を言われる前に、それを制しておく。
やはり、皇太子は、あの皇帝の息子に間違いない。
坑道で考えたことが、また頭をよぎった。
「どうせ追われるのであれば、皇太子を誘き寄せたほうが、ラーザ内に、兵をばら撒かれずにすむと考えていました。餌に食いついて、追って来ていたようなので、運が良ければ、坑道内で死んでいるでしょうが」
「それって、私の運? だったら、私は運が悪いってことになる」
「そうですね。おそらく、皇太子は生き延びています」
死んでくれとは思っていない。
だとしても、ちょっぴり怪我でもして帝都に戻ればいい、とは考えてしまう。
そもそも、彼女は皇太子に、1ミリの好意もいだいてはいないのだ。
むしろ、絶対に許さない、と思っている。
「ですが、痕跡は途切れることになるでしょう。この横穴を抜けるのが、ティニカの隠れ家への最短距離となりますが、もう塞がっていますからね」
今いる横穴にも、なにか仕掛けがあるのだろう。
フィッツは抜かりないので、坑道を爆破しなかったとしても、横穴は塞いだに違いない。
「姫様、早速ですが、お訊きしたいことがあります」
彼女もフィッツに訊いておきたいことがあった。
ディオンヌのこととか、フード男のこととか。
だが、フィッツの質問を先に受けることにする。
「姫様は、どちらに向かうつもりですか?」
少し言葉に詰まった。
自分の最終目的地がラーザではないと察していたようだ。
その問いは、どこまでもついて行くという意思を、明確に伝えている。




