想定であって想定でなし 2
顔まで、すっぽりと覆った黒いフードが、いかにも怪しい。
服装だけで「追っ手」ではないとわかる。
皇太子の配下に、こんな怪しげな者がいたら、フィッツが気づいていたはずだ。
相手は、4,5人、うち1人は小柄だった。
中心にいた人物が、暑苦しいとばかりに、フードを手ではらう。
見慣れた顔に、カサンドラは驚きを隠せずにいた。
さすがに、表情にも出てしまう。
「なんで、ここにいるわけ?」
「とても不本意だけれど、あなたを追ってきたのよ、カサンドラ」
相手も、もう「演技」はやめたらしい。
というより、なりふり構わない、自棄気味ともとれる、ぶっきらぼうな口調で、言い捨ててくる。
ここは皇宮ではないので、取り繕う必要もないのだろう。
「私がいないほうが、都合がいいんじゃない?」
「都合がいい? 殿下が私を選ぶ可能性を潰したのは、あなたよ。今だって殿下があなたを探してると知っているくせに、よくそんなことが言えるわね」
顔を晒したのは、ディオンヌ・アトゥリノ。
しかも、カサンドラたちの前方から現れたのだ。
かなり距離が縮まるまで、フィッツでさえ気づかずにいた。
どうやってかはともかく、隠蔽する装置かなにかを持っているのかもしれない。
「それなら、私を殺しても無意味だね。あいつ……皇太子が、あなたを選ばないと決めてるんでしょ? なのに、なにしに、ここに来たのさ」
カサンドラの言葉遣いが乱れていても、ディオンヌは気にしていないらしかった。
元々、カサンドラが平民出だからか、それすら、どうでも良くなっているのか。
なにか差し迫った事情があるようにも思えたが、彼女には関係ない。
追っ手が迫っている現状、行く手を阻む、ただの邪魔者に過ぎなかった。
(この人数なら、フィッツがやられっこない。十分、対処できるはず)
彼女の内心を察したかのように、ディオンヌが口元を歪めて笑う。
声を出してはいないものの、自らが「有利」であることを、確信しているような笑みだった。
なにか嫌な感じがする。
ディオンヌは、彼女から言わせれば、頭脳明晰とは言い難い女性だ。
あんなにすぐにバレるような危うい真似ができていたのも、ひとえに皇太子が、カサンドラに無関心だっただけのこと。
実際、ひとたび皇太子が彼女に小さな興味をもっただけで、ディオンヌの信頼は完全に瓦解している。
「とにかく、私、急いでるから、退いてくれない?」
「私には後がないのよ。あなたよりも、ずっとね。だから、引けないわ」
「なら、どうする気?」
再び、ディオンヌが、口の端を吊り上げて嗤った。
後がなく切羽詰まっているらしかったが、そんなふうには見えない。
楽しんでいるようにさえ感じられる。
「その従僕を寄越しなさい」
「あなたの狙いは、私でしょ? フィッツは関係ないじゃん」
「私には、彼がどうしても必要なのよ。彼、あなたの命令なら、従うわよね?」
生憎、フィッツはカサンドラに「絶対服従」はしない。
優先順位の1番は「カサンドラの命の確保」なのだ。
それに反する指示を出しても、フィッツが承服しないと知っている。
何気に、ちょいちょい無視されることもあるし。
「あんたに必要だって言われても、私にだってフィッツは必要なんだよね。それに寄越せって言われてもなぁ。フィッツは物じゃないんだよ。あげたりもらったり、売ったり買ったりできるはずないでしょ」
ディオンヌと話しながらも、彼女は、違和感を覚えていた。
カサンドラを背中に庇ったまま、フィッツが動かないのだ。
ディオンヌ以外は、体格からして、おそらく全員が男だろう。
そのフード男たちを牽制するに留めている。
なにかが、おかしい。
フィッツらしくない、と感じていた。
フィッツの「不利」な状況なのかもしれないと思う。
およそ見当もつかないけれど、それはともかく。
「よく聞きなさい、カサンドラ」
ディオンヌの口調が、さらに冷たくなった。
青色の瞳が異様なほど、きらきらと光っている。
「その従僕を渡さなければ、あなたに関わった者全員を始末するわ」
「私に関わったって……皇太子殿下とか?」
「ふざけるのもいいけれど、私たちは、昨日から、ここにいたのよ」
「昨日から……」
「こんな薄暗くて空気の悪い場所に、1日中いたということ」
ディオンヌは、カサンドラたちと前後して、この坑道に辿り着いていた。
だが、休息のため、カサンドラは、昨日は宿泊施設で過ごしている。
その隙に、ディオンヌたちは、坑道に入り、先回りしていたらしい。
「あなたが、どうしても2人で逃げるというなら、それでもかまわないわ。でも、ここに来るまでに、あなたが会った人は、みんな、死ぬことになるわね」
「なんで、そんな……知り合いでもないのに……」
「関係ないのよ、カサンドラ。どうでもいいの」
無意識に、フィッツのシャツを掴んだ。
頭の中が混乱している。
動揺もしていた。
ディオンヌのやりかたは、あまりに無茶苦茶だ。
カサンドラと軽く挨拶をしただけの者でも殺す、と言っているのだから。
「少なくとも、今、鉱山にいる者たちは皆殺しってことになるわね」
一昨日、ここに着いた時から、カサンドラの元には大勢の「ラーザの民」が挨拶に来ている。
ある程度の歳をとった人、子供連れの若い女性、様々な人たちが、カサンドラの前に跪き、言葉をかけるたびに、涙を流すほど喜んでいた。
昨日1日、休息を取るとしつつも、彼女はラーザの民との会話を1度も拒まずにいたのだ。
そこまでは知られていないようだったが、ディオンヌにはどうでもいいらしい。
もちろん、どうでもいいに違いなかった。
ここはリュドサイオで、ディオンヌの故郷ですらないのだ。
長く暮らしていた帝国本土でもない。
リュドサイオに、親しみを感じてはいないのだろう。
ディオンヌの言葉に、本気を感じる。
逃げるのは簡単かもしれない。
だとしても、逃げれば、間違いなく鉱山にいる人たちは殺される。
しかも、ラーザの民以外の者たちでさえ例外なく。
「簡単な話だというのに、どうしたのかしら? あなたの従僕を、私に寄越せば、誰も死なずに済むのよ?」
「なんで、フィッツ? フィッツをどうするつもり?」
「あなたの意思であろうとなかろうと、あなたは私から殿下を奪った。今度は、私の番というだけのことね」
心の中に、葛藤が渦巻いていた。
ディオンヌが「本気」だと、確信している。
フィッツを渡さなければ、鉱山の人たちは死ぬ。
とはいえ、渡せば、フィッツに、なにをされるかわからない。
だいたい、フィッツが、自分の言葉に従うかどうかも不明だ。
初めて突きつけられた、命の天秤。
その重さに、彼女は恐怖をいだく。
はっきり言って、そんな選択はしたくない。
簡単に選べるようなものではなかった。
(私は善人じゃない。人の命が尊いとか、同じ重さだとか……そういうのも、よくわからない。自分のせいで人が死んだって思いたくないだけで……)
鉱山にいたラーザの民は、カサンドラを敬い、とても良くしてくれている。
けれど、ずっと一緒にいたのは、フィッツだ。
これが一昨日までなら、フィッツを選んでいたと思う。
実際に、鉱山の人たちと会い、話していなけれは「見知らぬ人たち」で括れた。
「姫様」
フィッツが振り向かない。
どうしよう、と焦る。
フィッツは使命を果たすために、自分を連れて逃げる気だ。
きっとフィッツなら、ディオンヌたちを振り切れるに違いない。
「私が行きますので、姫様は後ろに退がっていてください」
「え……?」
言葉を失っているうちにも、フィッツがスタスタと歩き出す。
ディオンヌのほうへと、近づいて行く姿が見えても、どうすればいいのかわからなかった。
引き止めたいのに、引き止められない。
ただ、フィッツが彼女の内心の葛藤を察したことだけは、わかっている。
命の天秤に、誰かを乗せたくなくて、怯えているのを感じ、代わりにフィッツが答えを出してくれたのだ。
「そこに跪きなさい」
黙って、フィッツがディオンヌの足元に両膝をついた。
その光景に、体が震える。
ディオンヌには、散々、虐められてきたが、どうとも思わなかった。
自分のことなら平気でいられたのだ。
なのに、フィッツを跪かせていることに、怒りがわいてくる。
「あなたは、なにをするかわからないから、頭を地面につけて、大人しくなさい」
心臓が、ばくばくと嫌な音を立て始めた。
フィッツは、またもディオンヌの言葉に従う。
頭を下げ、額を地面につけていた。
そこに、2人のフード男が近づき、フィッツの手を後ろで押さえつける。
「自分のものを奪われるのって、嫌なものでしょう、カサンドラ?」
ディオンヌが、こっちを見て、冷たい笑みを浮かべた。
そのディオンヌの足には、皇宮では見たこともない、踵のない靴。
ガッ!
「フィッツっ!!」
ディオンヌが、フィッツの下げた頭を、上から踏みつけていた。




