悩みつつ進みつつ 2
ザフイの宿を出て、3日目の夜。
そろそろリュドサイオ本国に入る。
もちろん検問所を避け、湿地帯を抜けることになっていた。
今夜は、手前の草原で野宿だ。
フィッツの作ったテントは小さく、1人用。
とはいえ、気遣いは無用なのだろうな、と思う。
逆に、気を遣えば遣うほど、恐縮されてしまうに違いない。
いずれにせよ、フィッツもアイシャもテントで寝たりはしないのだ。
(まだ気にしてんのか。意外と、繊細なところもあったんだなぁ)
暖房の役割を果たす動力石をかかえ、隣に座っているフィッツに視線を向ける。
火を熾すと誰に見つかるかわからないので、焚火はしていない。
そのため、辺りは真っ暗だったが、昨日、目薬をさしたので、視界は良好。
おかげで、フィッツの姿も、良く見える。
しょんぼりしているフィッツの姿が。
食事と着替えをすませたあと、アイシャは付近の警護に出た。
あれ以来、身の回りのことはアイシャがしてくれているが、警護能力はフィッツのほうが、遥かに上だ。
夜間や移動中は、今まで通り、フィッツが傍にいる。
(エガルペのアイシャは常識がある。てことは、ティニカに常識がない?)
ティニカが、どういう家かは知らない。
ただ「一般常識」を教えない家だということは、わかった。
そもそもフィッツは感情の機微に疎いところがある。
だが、それ以前の問題だったのだろう。
たとえば、絶品料理を作ることはできても、その食材を食べる相手がどう思うかまでは考えない。
だから、平気で「ドブネズミの肉を殺菌処理して、砕いた骨と煮込んでスープにしました」と言えてしまうのだ。
言われた側が、驚いたり不快になったりする意味が、フィッツにはわからない。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
心なし、声に覇気がなかった。
アイシャに「破廉恥」と言われたのが、相当、堪えたようだ。
自分がまさか、そんな「破廉恥」な真似をしていたとは思いもしなかったので、衝撃も大きかったというところ。
「フィッツの家……家門は、ヴェスキル王族を守るためにあるんだよね」
「その通りです。当家は、名を戴いた時より、そのためだけに存在しています」
「フィッツの両親や親戚も、そうだったわけ?」
フィッツが、こっちを見て、首をかしげる。
それから、予想外のことを口にした。
「私には、両親も親戚もいません」
「いない? いないって、どういう……えっと……亡くなったの、かな?」
ラーザは征服戦争には巻き込まれていない。
皇太子がラーザ侵攻をするまで、放置されていたからだ。
そして、ラーザ侵攻の折も、領土を捨て、散り散りに逃げたという話だった。
ザフイで世話になった宿屋の2人からも「戦争」で死んだ者はいない、と聞いている。
「いえ、もともと存在していない、という意味です」
「存在してないわけないじゃん。フィッツがいるんだから、親はいるでしょ」
「いません」
病気や事故で亡くなった、というのなら理解できる。
けれど、フィッツは、はっきりと「存在しない」と言ったのだ。
彼女は、その意味がつかめずにいる。
「でもさ……フィッツに、いろいろと教えてくれた人はいるよね?」
「主たる知識は、先代当主から教わりました。なにをすべきか、どう行動すべきかということですね。ほかに、各専門分野の指導者がおり、技術や装備などについて教わっています。ティニカにしか継承されていない技術もありますので」
どくっと、心臓が音を立てた。
ラーザの技術は、帝国よりも優れている。
単純でありながら、進化形と言えるものだ。
帝国はラーザの技術を模倣しようとして、逆に退化させている。
訊かないほうがいい。
理性は、そう訴えていた。
なのに、言葉が口から出てしまう。
「ティニカでは、どうやって子供は産まれるの?」
「産まれるというより、作られると言ったほうが適切ですね」
ざわざわざわっと、体に震えが走る。
これまでのフィッツの言動すべてに納得がいった。
フィッツは、ヴェスキルの継承者を守るためだけに「作られた」のだ。
フィッツが「使命」と言い、ともすれば「自死」を口にする理由。
それしか、フィッツにはないからだ。
生きる意味どころか、生まれてきて、ここにいることさえも、ヴェスキルの血のためでしかない。
「ティニカの血の優れた者を寄り集め、種を作り、疑似子宮で成長させるのです。ただ、問題なのは、成長速度は変えられないため、時間がかかることなのですよ。こればかりは、長年、研究しても成果が得られなかったそうです」
淡々と話すフィッツに、どう答えればいいのかわからなかった。
自らの「成長過程」を、フィッツは不思議とも思っていないのだろう。
ティニカでは、それが当たり前だから。
これまで、いったいどういう育ちかたをしたのか、と思うことはあった。
よく「親の躾」という言葉が使われるが、彼女にとっての当たり前は、そちら側だったのだ。
生死や状況にかかわらず、子供には必ず「親」がいる。
意識することなく、そう思ってきた。
けれど、フィッツは違う。
どういう育ちかたもなにもない。
こういうふうにしか生きられない育てられかたをしたのだ。
こういうふうに生きるためにこそ「作られた」のだから。
胸が、ぎゅうぎゅうと締め付けられて痛い。
それでも、涙を堪える。
たとえ作られた存在だとしても、フィッツは生きているのだ。
ちゃんと「人」として生きている。
可哀想などではない。
だから、泣いてはならないと思った。
それは、ただの自己満足だ。
フィッツの「生存理由」を否定することにもなる。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
フィッツは、呼ぶと必ず返事をしてくれるのだ。
常に、傍にいてくれたし、傍にいてくれる。
自分がそうであるように、フィッツの生い立ちなど関係ないのだ。
フィッツは、少々、頭のイカレた男。
そして、絶対の味方。
それでいい。
そう思った。
「ホント、私のこと置いてかないでよ? フィッツがいなきゃ困るんだからさ」
「私が姫様を置いて行くなど、有り得ません」
「だったら、もうしょんぼりするの、やめてくれないかな」
途端、フィッツがうなだれる。
立てた両膝の間に、視線を落としていた。
「フィッツにだって知らないことがあってもいいと思うよ?」
「ですが……この先、アイシャを連れて行くことができなくなる時が来ます。その時に……私は、どうすればいいのか……」
「今まで通りでいいじゃん」
「姫様を目視することになります」
「ずっとそうだったよね。今さら気にしてもなぁ」
フィッツは迷っているのか、後悔しているのか。
少し滑稽ではあるが、おそらく「ティニカの教え」と「破廉恥」の間で葛藤でもしているのだろう。
「フィッツならいい。ほかの人、とくに男の人は駄目。それで良くない?」
パッと、フィッツが顔を上げた。
ごくわずかだが表情に変化が見られる。
なんとなく喜んでいる気がした。
ほとんど無表情とも言える顔つきだが、それはともかく。
「わかりました。私以外の者が、姫様の裸身を見ることは許しません」
「そうしてくれると助かるよ。私だって、誰彼かまわず全裸を披露したいわけじゃないからね」
こくり。
フィッツが、いつものようにうなずいた。
しょんぼり症候群が治った様子に、彼女は笑う。
「フィッツだけなんだしさ。ちゃんと守ってよ」
「もちろんです、姫様」
フィッツは、こういう生きかたしか知らない。
だとしても、長く一緒にいれば、変わるかもしれないのだ。
実際、アイシャの言葉に落ち込んだり、葛藤したりするようになっている。
以前のフィッツからは考えられなかった。
(どうせわかんないからって、諦めるのはやめよう。フィッツにも感情があって、自我だってある……誰にも教えてもらえなかっただけでさ)
もしかすると、それは危険なことかもしれない。
ティニカが「常識」を教えなかったのは、そこから起きる感情が、足手まといになるからかもしれない。
それでも、いつかフィッツが笑える日が来ることを、彼女は願う。




