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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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擦過の思惑 2

 ティトーヴァは、このひと月あまり、執務室に籠りきりになっている。

 皇后の死以来、彼の父である皇帝は、自室から出て来ようとしないのだ。

 誰との謁見も拒絶している。

 息子であっても例外とはならなかった。

 

「まさか、このような事態になるとは予想外でした」

 

 ベンジャミンの言葉に、ティトーヴァは手を止め、額を押さえる。

 そして、深く溜め息をついた。

 

「あの女さえいなくなれば、目を覚ましてくださると思っていたのだがな……」

 

 野心家で勇壮な父の姿は、おそらく2度と見られない。

 幼い頃、あれほどに憧れ、追い続けた背中は、今ではティトーヴァの記憶の中にしか存在しないのだろう。

 

 たかが「愛」なんてものに溺れたばかりに。

 

 父は、冷たい人だった。

 父親としての愛情を感じたことなどなかった。

 それでも、国を統べる者として、皇帝としては尊敬していた。

 だが、現状、腹立たしくてたまらない。

 父に対し、もう憎しみと虚しさしか残っていないと感じる。

 

「政務を放棄するほどのことか。人は誰だって死ぬ」

 

 ティトーヴァに薄っぺらな愛情を注いでいた母も死んだ。

 皇帝に見限られたと知るや、死を選んでいる。

 息子を遺していくことに、少しの躊躇(ためら)いもなかったらしい。

 母もまた「愛」なんかのために身を滅ぼした。

 

「殿下は、どうなさるのですか?」

 

 カサンドラについて聞かれている。

 婚約関係を維持し、このまま婚姻するのかどうか、だ。

 ティトーヴァは、ちらりと書斎のほうへと視線を向ける。

 

 カサンドラとの婚約という皇命がくだされたあと、あまりの腹立たしさから作成した書類が、そこにはあった。

 選択の余地がない決定への、せめてもの憂さ晴らし。

 

 婚約解消届出書。

 

 カサンドラの署名さえあれば、即刻、婚約解消が成立するように出来ている。

 だが、2年前に作成して以来、ずっと書斎にある本の間に挟みこまれたままだ。

 皇命に真っ向から歯向かうことができず、結局、カサンドラに突き付けられずにいる。

 

「どうするもなにもない」

 

 皇命を覆そうにも謁見がままならない状況では、説得すらできない。

 カサンドラとの婚約を(そそのか)したであろう皇后がいなくなろうが、現状は維持される。

 周りがどう考えているかは関係なかった。

 それが皇帝の権力というものだ。

 

 帝国は、現皇帝が、一代で築き上げている。

 直轄の貴族だろうと、属国の国王だろうと、意見できる立場にはない。

 次期皇帝と目されているティトーヴァも例外ではなかった。

 むやみに皇帝と反目すれば、逆に足をすくわれかねないのだ。

 

 ティトーヴァは皇太子ではあるが、次期皇帝の座を狙う者は少なくなかった。

 全盛期の皇帝には人を無条件で従わせる力があり、周囲の者たちは、その魅力に従ったに過ぎない。

 単に「皇帝の息子」というだけでは、次期皇帝の根拠には成り得ないのだ。

 実際、納得していない者がいると知っている。

 

「むしろ、現状を鑑みれば、皇命が覆ることはないだろう」

「殿下は、どうなさりたいのですか?」

「わかっているはずだぞ、ベンジー。俺が、どうしたいかではない」

 

 ティトーヴァは、母譲りの銀色の瞳で、ベンジャミンに警告を与える。

 たとえ2人きりの時であっても、危険の伴う会話はすべきではない。

 

 自分がしたいことと、皇帝の命令と。

 

 どちらに重きがおかれるかは明白だ。

 皇命を覆せる可能性は3つ。

 ひとつは、皇帝自らが覆すこと。

 2つ目と3つ目は、同義ではあるが、まったく違う意味を持つ。

 

 現皇帝の譲位か退位により、ティトーヴァが新皇帝となり、新たな皇命をくだす。

 ただし、譲位は現皇帝が、その座を自ら退かねばならない。

 誰にも指図はできないことだ。

 そして、退位とは、皇帝の崩御を示している。

 

 ティトーヴァが皇命に背く意思を見せるということは、現皇帝の死を望んでいると言っているに等しい。

 少しでも話が漏れれば、皇帝の座の簒奪(さんだつ)を目論んでいると騒ぎ立てられる。

 ティトーヴァを引きずりおろしたがっている者たちに、「叛逆」との大義名分を与えたくはなかった。

 

 たかが女ごときのことで、命を脅かされるのは馬鹿らしい。

 

 腹立たしさはあるものの、今のところカサンドラは邪魔になってはいなかった。

 皇宮での贅沢暮らしに満足しているのか、大人しくしている。

 積極的に、会いたいとも話したいとも思わないし、煩わしく感じもするが、それでも「邪魔」ではない。

 

「そういえば……」

 

 ティトーヴァは、口元に軽く手を当てる。

 半月前のカサンドラの様子を思い出したのだ。

 

「あの日は、食欲がないと言っていたな」

 

 そう言って、カサンドラは初めてティトーヴァとの夕食を断っている。

 あの時は、母親の死に落ち込んでいるのだと思っていた。

 だが、こうして思い返すと、どうにも腑に落ちなくなってくる。

 食欲がないと言いながら、新しい宝石を彼女は身に着けていた。

 

 母親の死を宝飾品で紛らわせていたのか、ほかの意図があったのか。

 

 漠然とした違和感がある。

 カサンドラの漂わせていた雰囲気、目つき、物腰。

 どれも、それまでとは異なっていた気がするのだ。

 なにか決然としたものがあったようにも思える。

 

「俺の勘違いでなければ、あの女は俺に好意をいだいていたと思うが……お前は、どう思う?」

「殿下に恋愛感情を持っているのは間違いないかと」

 

 少し気後れした様子を見せながらも、カサンドラは、ティトーヴァに会うと瞳を輝かせていた。

 彼は、それが煩わしかったのだ。

 

 不本意な婚約。

 

 カサンドラは、その相手でしかない。

 恋愛感情をいだかれても、迷惑だった。

 どんな期待も持たれたくなかったし、期待に応える気もなかったからだ。

 皇帝をたぶらかし、母を死に追いやった女の娘に、好感が持てるはずがない。

 むしろ、猜疑心と憎しみしかいだけずにいた。

 

「きっと皇太子妃になるのを夢見ていることでしょう」

 

 ベンジャミンが、そっけなく言う。

 ティトーヴァと同じくらい、カサンドラを快く思っていないのだ。

 平民出身で、国や政治について知らない彼女が、ティトーヴァを支えられる妃になれるとは考えられないからだろう。

 

「そうか……だとしても、まだ1年は猶予がある。その間に、謁見の機会が訪れることを期待するとしよう」

 

 やはり自分の思い過ごしだったのか。

 

 ベンジャミンの同調に、ティトーヴァは違和感を無視することにした。

 カサンドラに好感をいだかれたいとは思っていない。

 ただ、いつもと違う様子が、わずかながら気にかかっただけだ。

 それも「母親の死」で理屈はつけられる。

 

「1年は、祝い事を自粛する必要がありますからね」

 

 周りが認めていようがいまいが、皇后は皇后だった。

 崩御に伴い、帝国中が、向こう1年間の自粛期間となる。

 自粛とはいえ、国の行事のみならず民に至るまで、祝い事は事実上の禁止。

 毎年の祭事も、ほとんどできないのだから、損失はどれほどになるだろうか。

 

「側室の死には、誰も喪に服そうなどとはしなかったのにな」

 

 つい本音が漏れる。

 ティトーヴァの母が自死しても、日常は、なにも変わらなかった。

 自死という事実が隠され、小規模な葬儀が行われただけだ。

 ティトーヴァの前で弔意は示しても、今回のように自粛をした者は誰もいない。

 

 『ティティ……あなたがいれば、きっといつかお父様も変わってくださるわ』

 

 幼いティトーヴァに、母は毎日のように、そう言っていた。

 結局、そんな日は来なかったけれども。

 

 愚かだ、と思う。

 父も母も、愛に(すが)りつくという愚かさで身を滅ぼした。

 そんな2人の狭間で育ったティトーヴァには「愛」に対する良い印象はない。

 自分が、誰かを愛する姿も、当然に想像できずにいる。

 

「俺の邪魔にならない限り、夢を見させておけばいい。俺は義務を果たすだけだ」


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