肩の荷は増すばかり 1
フィッツは、指先を軽く動かす。
皇宮に仕掛けていたものより性能は落ちるが、それなりに「眼」と「耳」を取り戻す装置を持っている。
装置といっても、非常に小さなものだ。
戦車試合で使ったものと同じく、仕掛ける際にも、一瞬の光にしか見えない。
が、すぐさま考え直す。
装置の予備は、あまりない。
これからの旅は、それなりに時間がかかるのだ。
軍隊を相手にするのでもない限り、無駄に使うのは得策ではない。
相手は1人。
足音でわかる。
1人なら、制圧するのは簡単だった。
目視で十分に対応できる。
カサ。
木々の間から現れた姿に、フィッツは目を細めた。
2人を見ても、相手は驚いていない。
怯えもせず、近づいて来る。
武器は装備しているが、攻撃してくる気配はなかった。
「ん? この人……」
フィッツが黙っていたからか、カサンドラが後ろから、ひょいと顔を覗かせる。
そして、ちらっとフィッツを見上げて来た。
カサンドラに、小さくうなずいてみせる。
フィッツの頭には、顔も名もきちんと記憶されていた。
「アトゥリノの属国ジュポナのアイシャ・バレスタンです」
名を口にしている間にも、アイシャは近づいて来る。
制圧しようとした瞬間、アイシャが、がばっと平伏した。
フィッツに、ではない。
「崇高なるヴェスキルの継承者、我が心の主カサンドラ王女様。お目にかかれて、これほどの至福はございません」
アイシャは、地面に頭をすりつけていた。
カサンドラが、フィッツの腕を、ちょいちょいと引っ張る。
視線を交えると「どういうこと?」といった戸惑いが見えた。
フィッツは、アイシャに視線を戻す。
「名を言え」
「は! アイシャ・エガルベにございます、ティニカ公」
それで、納得した。
エガルベは、ラーザの貴族の家名だ。
アイシャの生い立ちはともかく、今もラーザの民として生きているのだろう。
ふっと、力を抜いた。
「姫様、この者はラーザの民です。心配はいりません」
「フィッツが言うなら危険はなさそうだね」
「エガルベは、ヴェスキル王族の守護騎士の家門ですから」
「そうなんだ……えーと、アイシャ?」
声をかけられ、アイシャがビクッと体を震わせる。
が、顔は上げない。
フィッツからすれば、当然だ。
女王が亡くなった今、カサンドラはラーザ女王に等しい。
アイシャの年恰好を見て、ラーザ生まれではないと推測できた。
だとしても、エガルベの者から、ラーザの民として育てられている。
だからこそ、カサンドラの足元に即座にひれ伏したのだ。
ヴェスキルの血の権威を、アイシャは知っている。
「姫様、私が話をしてもいいですか?」
「そうだね。任せる」
カサンドラが話そうとしても、アイシャは委縮してしまうに違いない。
言葉を選ぼうとして、もたもたするのは目に見えていた。
はっきり言って、アイシャに使う時間がもったいないのだ。
さくさくと会話を進め、止めた足を動かす必要があった。
「顔を上げろ。話にくい」
「かしこまりました、ティニカ公」
「今は、フィッツと呼べ。それから、会話は端的に」
こくっと、アイシャがうなずく。
ホバーレの腕が悪くなかったのも、ラーザの民として育てられたからだと悟る。
同様に、理解力も高い。
すぐに本題に入る。
「問題か?」
「身の程知らずにもティトーヴァ・ヴァルキアが高貴なる御身を追っております。森狩りも始まっており、半時もすれば、ここに辿り着くかと」
「それで、お前にできることは?」
「すべて、なにもかも」
「わかった」
「ちょっといい?」
カサンドラに声をかけられ、フィッツは振り向いた。
アイシャは、素早く、また顔を伏せている。
エガルベが守護騎士の貴族家門であっても、アイシャ自身は、まだ任命を受けていないのだ。
カサンドラを直視できる立場ではないと自覚している。
「アイシャに、なにさせる気?」
「そうですね。ひとまず囮にします。騎士たちを相手にするのは面倒ですからね」
「囮って……1人で?」
「姫様と私が、2手に分かれたと思わせるためですよ。向こうは、こちらが3人で動いているとは知りません」
「いや、そうじゃなくて……森狩りってことは、大人数で押しかけて来てるんじゃない? 1人で囮なんて、危ないよね?」
カサンドラの言いたいことは、なんとなく理解している。
フィッツにさえ「怪我をするな」と言うくらいなのだ。
アイシャの身を案じているのだろう。
カサンドラの、こうした反応に、フィッツは「別人」との言葉に納得する。
ラーザの民にとってヴェスキル王族が絶対的な存在だと、ヴェスキルの血を持つ者は、明確に認識していた。
そのため、女王も以前のカサンドラも、民が命を懸けることを拒絶しなかった。
当然、自分たちより、ほかの者の命を優先したこともない。
それが、当たり前だからだ。
ラーザの民が簡単に領土を捨て、散り散りになったのも、女王の言葉ありき。
たとえ「皇帝」が無に等しい存在でも、女王が「帝国と争うな」と言ったので、従っている。
そして、王女がいると知っていたからに過ぎない。
いつか自分が役に立つ日が来るかもしれないとの思いだけで生きているのだ。
「危険がないとは言えません」
「だったら、やめようよ。ほかの手を……」
言いかけたカサンドラの言葉が止まる。
理由は、わかっていた。
平伏したまま、アイシャが、ぶるぶると震えているからだ。
その姿に、カサンドラは戸惑っている。
「アイシャ、言いたいことがあるなら言え」
「わ、私が……私が、あの戦車試合で足手まといになったので……」
「確かに、足手まといだったな」
「フィッツ!!」
カサンドラの焦ったような制止の声に、フィッツは口を閉じた。
なにかよけいなことを言ったらしい。
事実ではあっても、カサンドラが肯としないのなら、言うべきではないのだ。
「こ、今度こそ……今度こそ、お役に立ってみせます……! ですから、なにとぞ機会を……今一度、私に機会を、お与えください……っ……」
戦車試合の日、隣で震えていたアイシャを覚えている。
あの時は、命を失うのが恐ろしいのだろうと思っていた。
だが、アイシャはエガルベとしての役をまっとうできるかが不安だったのだろう。
女王が姿を隠して以来の、守護騎士としての役目が回ってきたのだ。
当然、アイシャにとっては初仕事でもあっただろうし、緊張するのも理解できる。
(その結果が、あれではな。姫様を前に、自決していてもおかしくはない)
思うフィッツの後ろから、カサンドラが出て来て、アイシャに歩み寄る。
それから、平伏しているアイシャの前で膝をついた。
「顔を上げてくれる、アイシャ?」
カサンドラ直々の言葉には、アイシャも従う。
上げた顔は、蒼白だ。
目には涙が光っている。
「役に立つとか、足手まといとかは気にしなくていい。囮を引き受けてもらってもいいよ。ただし、死ぬのは駄目。逃げ切れる自信がないなら、その策はやらない。死んだら、今後、アイシャが私の役に立てる日は来ないんだからね」
途端、アイシャが、ハッとした顔をした。
フィッツも似た経験をしているので、気持ちはわかる。
死ねば「今後、仕える」ことはできなくなるのだ。
アイシャも、それは嫌だと感じているに違いない。
「か、かしこまりました。必ずや帰還いたします。ですから、なにとぞ、私に囮の役目をお与えください。なにとぞ……」
「わかった。でも、本当に、絶対だよ? もしアイシャが死んだら……そうだな、エガルベには守護騎士から降りてもらう。いい?」
「もちろんにございます、崇高なる御身のご命令を完遂できない者が、守護騎士を名乗るわけにはまいりません」
カサンドラが、がくっとうなだれた。
そして、大きく息を吐き出したあと、アイシャの手を取る。
アイシャは、大きく目を見開いた。
その瞳から涙が、はたはたっとこぼれ落ちる。
「なんという……これほどのお慈悲を賜れるとは……光栄の極みにございます」
「うん、わかった。それじゃ、立とうか」
アイシャを立たせたカサンドラが振り向く。
かなり憂鬱といった表情を浮かべていた。
(アイシャが役目を果たせるか、心配されているのだろう)
それは、大きな勘違いなのだが、フィッツには、わからない。
そのフィッツに、カサンドラが言った。
「作戦はフィッツに任せる。アイシャの退路も考えといて」




