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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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残像の切端 3

 

「緊張することはありませんよ、姫様」

 

 フィッツと並んで歩いている。

 すでに夜は明けていた。

 昨日は、野宿をしている。

 とはいえ、フィッツが簡易的なテントを用意してくれたので、その中で寝た。

 

 隠し通路は、皇宮の敷地の外にある森に繋がっていたのだ。

 皇族の狩猟地として、あえて「森」の姿で残しているらしい。

 夜通し歩き、早く帝国から出たかったが、狩猟地と言われるのも納得の広範囲におよぶ森を、ひと晩で抜け切るのは無理だった。

 フィッツにも止められたし。

 

「でもさ、皇宮に私がいないっていうのは、バレてるよね?」

「それはそうでしょうね」

「だったら、隠し通路から逃げたっていうのもバレてるんじゃない?」

 

 皇太子が思い出すかもしれない、と思う。

 彼女は「地下牢」に行きたがっていた。

 あの時は単なる話の流れですませていただろうが、ふと思い立つこともあるかもしれない。

 

「だとしても、あの通路は途中で枝分かれしています。彼らが真っ先に向かうのは街に通じる側の出口。これも3つほどありますが」

「街って、帝都の?」

「はい。私たちが使った道より距離はあっても、帝都の街裏に出られる通路もありました。帝都から逃亡を図るのなら、そちらを選ぶのが一般的です」

 

 ということは、追う側も同じことを考える。

 それを見越して、フィッツは森のルートを選んだのだろう。

 しかし、少し不思議には感じた。

 

「人が大勢いる街のほうが隠れ易くない?」

 

 ということだ。

 カサンドラの小屋周辺に千人規模で警備を敷けるくらい人員がいる。

 同程度か、それ以上の人数で、森狩りでもされたら、不利なのではなかろうか。

 ならば、大勢の人が行きかう街に潜伏するのが安全に思えた。

 

「いえ、街は監視室の管理下にありますし、民の中には諜報員もいます。そういう者の目に()まれば、監視室の情報との差異を見抜かれる可能性が高いのですよ」

「たとえば?」

「いるはずのない人間が、そこにいるとか、ですね。街で情報操作するには、少し時間がかかります。皇宮ほど事前準備が完全ではないので」

 

 つまり、人の目で少しでも「怪しい」と思う人物を発見した場合、監視室と情報の整合性を取り、差異が生じていれば捕まる。

 監視室の情報では「いない」と認識されているのに、目の前には、その人物が、確かにいるのだから、それは「おかしい」となるのは当然だ。

 

「森には、そういうのはないわけ?」

「少なくとも、本格的に追っ手がかからない限り、人の目はありません」

「監視室は、どうにかなるの?」

「森は巡回探査機による監視しかされていないので、誤魔化す程度なら、私だけで十分、対処可能です。しかも、ここは、皇族関係の狩猟地です。誰でもが入れる森ではないので、ばったり人と出くわす心配もありませんからね」

 

 フィッツの説明に納得する。

 そもそも、フィッツに抜かりがあるはずもない。

 ほんの少し不思議に思ったので、聞いてみただけだ。

 当初の「彼女の」計画では、追いかけられる心配なんてしていなかったし。

 

「追いかけて来るかな?」

「来ます」

「でも、あんなもの作ってたくらいだし、清々してるってことはない?」

「ないですね」

 

 う…と言葉に詰まる。

 フィッツの「お世話」の中には、やはり「気遣い」は含まれていないのだ。

 躊躇なく即答してくる。

 

「最初は腹を立てて、あの婚約解消届出書を作成していたようですが、最近は単に忘れていたのでしょう。なくなっていても気づかないくらい、意識から消えていたのではないかと推測できます」

「そういえばさ、あれって有効になってんのかな? 婚約解消すれば、お尋ね者にならずにすむと思ったんだけど」

 

 皇太子の婚約者という立場で逃げ出せば、ある種の「契約不履行」となり、罪に問われるのは間違いない。

 皇宮から出られても「お尋ね者」として追われる懸念があった。

 だから、逃げる際は、婚約を解消してからにしようと考えていたのだ。

 

 皇太子が、あれを作っていたのを、彼女は知っていたので。

 

 結局、フィッツが取って来てくれたのだが、初めは自分でなんとかして手に入れようと思っていた。

 サインをして、婚約解消を成立させてしまえば、それですむ。

 皇太子がカサンドラを追うことはない。

 そして、晴れて帝国を出られると、割と簡単に考えていた。

 

「姫様がサインをされたと同時に有効になっています。ああいう行政的な書類は、機械的に処理されるので遅延はありません」

「やけに、あっさりしてるね」

「届出書の類は、普通の用紙ではなく、機械処理用の特別用紙だからですよ。登録された複数のサインと照合し、本人確認できさえすれば自動的に有効となります」

「便利だけど撤回したくなった時に困らない?」

「基本的に撤回はできません。どういうものにしろ再申請が必要です」

 

 簡単だが、面倒くさい気もする。

 いくら機械処理されるとはいえ、それでは処理の量も馬鹿にならないだろう。

 手続きが簡単だと、婚約や婚姻を気軽にしたり、解消したりしてしまいそうだ。

 

「ただし、解消などについては再申請時に制限がつきます」

「制限?」

「同一の申請が、向こう1年間提出できないといったような制限です」

「あ~なるほど。それなら簡単に出したり引っ込めたりはしないか」

「そうですね。再婚したくても、最低1年は待たなければいけませんから」

 

 そこまでして婚姻を破棄したいのか。

 再婚するにしても、相手は待っていてくれるのか。

 いろいろと悩みどころはありそうだ。

 

「ま、私は悩む必要なかったけどさ」

 

 1年間、婚約できなかろうが、婚姻できなかろうが、どうでもいい。

 そんな予定もないし、考えられもしないため、関係なかった。

 お尋ね者として追われる事態を防いでおきたかっただけだ。

 どの道、皇太子と婚姻するつもりなんて、さらさらなかったので、爪の先ほどの罪悪感もいだかずにいる。

 

「それでも追いかけられちゃうのか」

「姫様、あの時点での皇太子の姫様に対する好感度の上昇率は……」

「具体的な数字は出さなくていい」

「皇太子が、どこまで強い意思を持って追って来るかは、あの婚約解消届出書が、皇太子に与えた精神的ダメージの大きさに寄るでしょう。通常、好感度が高ければ高いほど、かなりの打撃になり、追う意思を失うはずです」

「相変わらず、えぐいこと言うなぁ、フィッツ」

 

 フィッツが意地悪で言っているのではないと、ちゃんとわかっていた。

 フィッツは、状況から計算し、導き出した予測を話しているのだ。

 だが、フィッツの淡々とした様子を見ながら、自分の性根の悪さを、しみじみと感じている。

 

 彼女は、皇太子の精神的ダメージなんて気にかけていない。

 

 皇太子が傷つこうが、傷つくまいが、知ったことではないのだ。

 距離が縮まっていたとも思っていなかった。

 彼女は、皇太子に対して、とことん無関心でいる。

 

 会話もしたし、食事もした。

 ダンスを踊り、手も繋いだ。

 

 それでも。

 

 だから、なんだ、という気分。

 彼女の意識の埒外に、皇太子は存在している。

 カサンドラへの態度が変わったからといって、彼女自身は、なにも変わらない。

 

「じゃあさ、あいつが追っかけて来る可能性は、どのくらいだって予測してる?」

「非常に言いにくいのですが、百%を超えています」

「いや、百%以内で計算してよ。確率って百超えないでしょ、普通」

「確率で計算した予測ではなく……たとえば、リンゴが1個しかないのに、2人の者が欲しがるという……」

「ああ、2百%くらい可能性があるってことだね」

 

 こくり。

 

 うなずいてほしくないところでも、フィッツは躊躇(ためら)いなくうなずく。

 はあ…と、大きく息をついた。

 

「さきほど、好感度が高ければ追う意思を失うはずだと言いましたが……」

「それは、一般論で、あいつにはあてはまらないんでしょ?」

「はい。おそらく、より執着が増すのではないかと想定しています」

「むしろ、ダメージ弱のほうが、追われなかった?」

「それだけ姫様への関心が薄かったということになりますからね」

 

 まったくもって迷惑な話だ。

 すっかり予定が狂ってしまった。

 お尋ね者でもないのに、追いかけられるはめになっている。

 こんな状況を望んでいたのではない。

 

「あいつのことなんかどうでもいいけどさ。私のことなんか忘れて、別の人と婚姻して、皇帝になって、つつがなく平和な帝国を築いていってほしいよ」

 

 そうすれば、自分も皇太子に無関心なまま、忘れていける。

 お互いに、2度と会わないのが最善なのだ。

 とはいえ、追いかけて来る可能性が「高い」以上、逃げなければならない。

 ひとたび皇宮に連れ戻されば、再び逃げる機会が与えられるとは思えなかった。

 それこそ、皇太子の執着の度合いによっては、閉じ込められかねない。

 

「姫様……」

 

 不意に、フィッツが静かに動き、背中に彼女を庇う。

 かすかに木の枝がこすれるような音が聞こえた。


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