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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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振り返らず振り向かず 1

 父、いや、皇帝からの話に、ティトーヴァは酷くショックを受けていた。

 受け入れ難さに、息が詰まる。

 顔は蒼褪め、指先が震えていた。

 寝室は出たものの、私室からは出られずにいる。

 それほど平常心を失っているのだ。

 

 皇帝からの凄まじい怒りと憎しみ。

 

 認めたくない気持ちとともに、納得している自分もいた。

 もし同じ立場になったなら、と想像してしまう。

 果たして、カサンドラを奪った者を許せるか、それを画策した者に寛容になれるのか。

 

 許せるはずがない。

 寛容になどなれはしない。

 

 ティトーヴァは、父が父をやめたことにも、母や自分を遠ざけたことにも、納得してしまっている。

 カサンドラに心を惹かれる前であれば、違った。

 おそらく「それでも母の気持ちもわかってほしい」と望んだだろう。

 父を愛していたからこそ愚かな行動に走ったのだ、と。

 

 だが、今はティトーヴァ自身、母に寛容にはなれずにいる。

 カサンドラに、どう詫びればいいのか、わからないからだ。

 母の画策なくしては、カサンドラという存在はいなかった。

 だからといって「それを肯としろ」とは、とても言えない。

 

 彼女は、いったいどうやって耐えてきたのだろうか。

 

 カサンドラは、自らの出自を知っている。

 つまり、ティトーヴァの母がしたことも知っているのだ。

 その息子との婚約を、どう感じたか。

 

 ティトーヴァは突っ立ったまま、両手を握りしめる。

 目も、ぎゅっとつむっていた。

 

(ディオンヌに虐げられていることも、俺には言えなかったのだろう……俺が彼女を信じないとわかっていたからだ……俺の無関心さが……)

 

 どれほどカサンドラを傷つけてきたことか。

 

 あの日、彼女が態度を変えず、演技をし続けていたら、きっと気づかずにいた。

 ずっと無関心でいたはずだ。

 カサンドラの母を憎み続け、カサンドラこそが被害者だったのだとも知らず。

 

「俺との婚姻など……望むはずがない……」

 

 カサンドラが、母ネルウィスタを恨むのは当然だった。

 2年もの間、ティトーヴァは勘違いをしていたのだと、自分に呆れる。

 恨まれて当然の相手から、好意をいだかれていると思っていたのだから。

 

「すべて……演技だった……あの日、突然、俺に無関心になったのではなかった」

 

 無関心は、ある種の心の砦と成り得るものだ。

 ティトーヴァも、カサンドラに対して、そうしてきたから、わかる。

 相手をどうすることもできず、かと言って、憎しみを捨てることもできない。

 だから、心の砦が必要だった。

 

 それ以上、憎しみを募らせれば、殺したくなる気持ちを抑えられなかったのだ。

 カサンドラも同じだったのではないか。

 演技の影で、無関心さを貫いていた。

 そうでもしなければ、ティトーヴァを殺したいくらい憎んでしまうからだ。

 

 けれど、ティトーヴァを殺すことはできない。

 ティトーヴァもカサンドラを殺すことはできなかった。

 身分や立場、守るべきもののため、我慢せざるを得なかった。

 

 カサンドラが演技をやめたのは、母親が亡くなったからかもしれない。

 守るべき者がいなくなったので、演技をする必要がなくなったのだろう。

 あの日、地下牢に入れたければ入れろと、カサンドラは言っていた。

 己の身など、どうでも良くなったに違いない。

 

 彼女には、なにもなかった。

 守りたいものも、捨てたいものも。

 

 だからこそ、甘んじて罰を受けようとしたのだと思う。

 弁解ひとつせず、凛とした横顔のカサンドラが、閉じた瞼の裏に見えた。

 

「俺だけだった……たとえ彼女が嫌がったとしても……俺だけだったのだ……彼女を守ってやれたのは……俺だけだった……」

 

 なのに、守るどころか傷つけっ放し。

 皇宮中がディオンヌの味方をし、ティトーヴァにカサンドラの実情を報告せずにいた。

 ベンジャミンでさえもが、ティトーヴァの意思を尊重し、黙っていたのだ。

 

 全部、自分の招いたことだと、わかっている。

 結果、あの小さな小屋で暮らしていたことにも気づかずにいた。

 今さらに好意を寄せるなど、むしのいい話だ。

 勝手に手を差し伸べているつもりになって、愚かにもほどがある。

 

 どうすればいいのか、わからなかった。

 詫びてすむことではないが、なにも知らずにいた自分にも戻れない。

 

 『そうか……あの娘……やはり……話さなかったのだな……』

 

 不意に、父の声が蘇ってくる。

 同時に、カサンドラの言葉も思い出していた。

 

 『いいえ、私が話したくないというだけです』

 

 カサンドラは、最初「話したくない」と言ったのだ。

 その後も、一貫して「話したくない」「話さない」と言っている。

 つまり「話せない」のではなく、己の意思でもって話さなかった。

 その理由が、はっきりしない。

 

 ティトーヴァを信じていなかったというのはあるだろう。

 どうせ話しても無駄だと切り捨てていたのは間違いない。

 だが、それにしても、あれほど明確に「話さない」意思を貫く必要があったとは思えないのだ。

 

 その後、ティトーヴァは、何度もカサンドラと会っている。

 少しではあったものの、距離が縮まっていると感じてもいた。

 カサンドラとて、ティトーヴァの変化には気づいていたはずだ。

 今なら話しても大丈夫だとは、思わなかったのだろうか。

 

「それほど信用がなかったということか……」

 

 それもあるかもしれない。

 しかし、どうしても腑に落ちなかった。

 

 そっけなくはあっても、続いていた会話。

 ぞんざいに扱われはしたが、拒否されなかった日々の食事。

 

 あれは、いったいなんだったのか。

 カサンドラは、たいてい不機嫌そうにしていたが、憎しみという感情をぶつけてきたこともない。

 たった1回とはいえ、ティトーヴァの言葉に笑いさえしたのだ。

 

「あれほどのことがあったというのに……ああも平然としていたのは、なぜだ」

 

 様々なカサンドラの姿が思い返される。

 しばらくののち、ティトーヴァは、結論に思い至った。

 あまりにも惨めな結論だ。

 

 小さく、笑う。

 

 笑っていても、胸が苦しい。

 認められたいと思ってきた父のことも、自死を遂げた憐れな母のことも、頭にはなかった。

 頭に浮かぶのは、カサンドラだけになっている。

 

 両親が溺れた「愛」のなんたるかを、初めて知った。

 

 父に聞かされた事実が、ティトーヴァを愛に引きずり込んだのだ。

 同情ではない。

 ティトーヴァの生い立ちも、誇れるものではなくなっている。

 経緯はどうあれ、母親にだけは愛されていたカサンドラのほうがマシだと思えるくらいだ。

 だから、この気持ちが同情でないのは、はっきりしている。

 

 今、ティトーヴァが感じている苦痛や絶望を、カサンドラはずっと感じてきた。

 独りで耐えてきたことは、尊敬に値する。

 

 そして、そんな彼女が、ひどく愛おしかった。

 

 カサンドラを守り、これまでの人生を覆すほど幸せにしたいと思う。

 彼女の笑顔が見られるのなら、どんなことでもできるし、する。

 なんでも望みを叶えてやりたい。

 

 けれど。

 

「お前は……そこまで俺に無関心だったのだな……親子で片を付けろとは……」

 

 自分には関係ない。

 

 言葉以上に、彼女は、それを告げていたのだ。

 恨んだり、憎んだりするほどの感情すらいだかない、徹底した無関心。

 皇帝も皇太子も、母の画策も、なにもかもに、彼女は無関心だった。

 それが、ティトーヴァの出した結論だ。

 

 『強いて言えば、放っておいてほしい、ということくらいです』

 

 望みは、それだけ。

 

 なんでも望みを叶えてやりたいと思う、ティトーヴァへの返事でもある。

 また、小さく笑った。

 とんでもなく惨めな気持ちをかかえながら、ゆっくりと目を開く。

 

「俺は……お前の望みを叶えられない。もう……手遅れだ」

 

 憎まれることさえできないほど、カサンドラは遠くにいた。

 それを知ってなお、諦められない。

 どうしても手放せないと感じる。

 

 ティトーヴァは、大きく息を吐き出した。

 すべてを知ったと話し、それでもカサンドラを手放さないと言うのだ。

 少し前までは、嫌われたくないと思っていたが、その考えも変わる。

 たとえ憎まれることになろうと、無関心を貫かれるよりいい。

 

 そのほうが、ずっとずっと、彼女に近づける気がした。


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