事実の是正 4
「姫様、お待たせしました」
フィッツが、バルコニーに現れる。
皇太子の出て行く様子を見ていたのだろう。
見計らったように、ではなく、見計らっていたに違いない。
「あのまま私室に連れてかれたら、どうしようって思ってたよ」
「そうなれば、皇太子を昏倒させるつもりでした」
やっぱり。
予想通りの答えだ。
2人は逃亡計画を立てている。
何事も起きないに越したことはないが、起きたら対処するしかない。
そして、その方法は限られている。
「早く行こう。あんまり時間もなさそ……」
言い終わる前に、バルコニーのドアが音を立てた。
咄嗟に、口を閉じる。
すいっと、フィッツが前に出た。
「こちらにおいででしたか、カサンドラ王女様」
知っていて来たはずなのに、ぬけぬけと言うロキティスに呆れる。
見た目はいいし、物腰もやわらかいが、信用ならない雰囲気が漂っていた。
競技場で会った時から、胡散臭いと感じていたのだ。
笑顔が笑顔に見えない。
「なにかご用ですか?」
「そうだ、きみが今日の勝者だったね。僕も見ていたが素晴らしかったよ。ルディカーンには猛省させなければならないな」
ロキティスが、フィッツに微笑みかける。
背筋に、ぞぞっと悪寒が走った。
前に立っているので、フィッツの表情は見えない。
フィッツのことだから、無表情なのだろうけれども。
「恐れ入ります。ところで、ご用件は?」
ロキティスもロキティスで、表情を変えずにいる。
フィッツの態度は、ひとつの国の王子に対するものではなかった。
言葉遣いも、口調も、ただ「丁寧」なだけだ。
敬意には欠けている。
不躾と言ってもいいくらいだった。
「カサンドラ王女様が公の場に出て来られたのは、初めてなのでね。少しばかり、お話がしたいと思っているのだよ」
「それは承諾できません」
ロキティスが、小さく声を上げて笑う。
気味が悪いとしか言いようがない。
ロキティスは、アトゥリノの第1王子なのだ。
従僕風情に、上からものを言われるような立場ではない。
だが、フィッツの無礼を軽く受け流している。
それも、寛容さや優しさから許しているとは思えないのが、気持ち悪かった。
フィッツを見る目も気に入らない。
カサンドラと話したいと言いながら、ロキティスは、ずっとフィッツだけを見ている。
(もしかして、この人、そっち系の人? 王族や貴族には、少なくないんだっけ)
薄金色の髪に茶色の瞳、痩せ型だが引き締まった体躯。
雄々しくはないが、凛々しくはある風貌。
男性を好む嗜好の相手から、望まれそうな気はした。
思い返すと、フィッツ自身、どっちでもいいというようなことを口走っている。
必要な情報を入手するためなら、男女の別なく、とかなんとか。
(いや、厭えよ……って、別に、こいつ相手に引き出したい情報なんてないから、フィッツが篭絡する必要もないのか)
「きみの承諾が必要かな?」
「私の、ではありません」
ほんのわずかだが、ロキティスが圧をかけてくる。
それにも、フィッツはたじろがない。
きっぱりとした拒絶を示していた。
自分が前に出るべきだろうか、と思う。
(一応、私、デルーニャの王女って立ち位置だし、今のところは、あいつの婚約者でもあるわけだし)
デルーニャがアテにならないのは、わかっていた。
だが、皇太子の婚約者であることは、ひとつの武器になる。
フィッツに頼るのに慣れてしまっているが、頼りっ放しになるのも良くない。
これでも、自分はフィッツの「主」なのだし。
「ロキティス殿下」
フィッツの後ろから、少しだけ前に出た。
ロキティスが、カサンドラを見たが、明らかに眼差しが違う。
同じように微笑んでいても、興味のなさが伝わってくるのだ。
ロキティスの目当てがフィッツだと、確信するほどに。
「女性は、とかく噂好きで困ります」
「どういう意味でしょうか、王女様?」
からかうような口調に、わざと溜め息をついてみせる。
挑発に乗ってやることはないと、割り切っていた。
「ここが、どういう場所かは、殿下もご存知なのでは?」
「いくらか私的な意味合いを持つのは知っています。ですが、2人きりというわけでもありませんしね」
「噂というのは、たいていは大袈裟になりがちです」
ロキティス相手に、言葉を選び損なうと、窮地に立たされかねない。
無理難題を吹っかけてくるに違いないし、そのツケはフィッツが払うことになる。
慎重に、隙を与えないように言葉を選んだ。
「仮に、私と殿下の間に良からぬことがあったかのような噂が立った場合に、その責任を取るお覚悟はおありですか? 私が、皇帝陛下や皇太子殿下の前で、殿下を擁護するとは思われないでしょう?」
ぴくりと、ロキティスの細く整った眉が吊り上がる。
皇太子のみならず、皇帝まで持ち出したことが気に障ったらしい。
が、彼女は、わざとロキティスに微笑み返す。
「それに、皇太子殿下から、私室で待つようにとの、お言葉をいただいておりますので、長話はできかねるのです。皇太子殿下を、お待たせすることになってはいけませんから」
こうやって逃げ道を用意してやれば、ロキティスも引き易くなるはずだ。
理屈をつけることで、自尊心も保てるだろう。
ロキティスの自尊心など、どうでもいいが、変に刺激して、食い下がられるのはごめんだった。
時間という差し迫った問題もある。
皇太子が謁見中に、2人は姿をくらまさなければならない。
ロキティスに言った以上に「長話」はできないのだ。
「そういうことであれば、いたしかたありませんね。次の機会には是非」
「ええ。皇太子殿下と3人でということであれば、問題はないかと」
軽くうなずき、ロキティスが、サッと体を返した。
いかにも不愉快といった態度に、軽く肩をすくめる。
「私が、のこのこついて行くと思ってたみたいだけど、なんでだろ」
「アトゥリノの王女から事前に情報を渡されていたのではないですか?」
「ああ、それはあり得る。ディオンヌから聞いてたとすると、私が大人しくついて行くって思っても、しかたないかもしれないね」
ディオンヌの前では、少ししか「本性」を見せていない。
臆病で弱々しい印象が根強く残っていたとしても不思議ではなかった。
2年間も、それで通してきたのだ。
一朝一夕に、認識を変えるのは難しい。
(パッと変えてきた、あいつのほうがおかしいんだよなぁ)
皇帝とカサンドラが謁見した日以降、皇太子は考えを変えている。
明らかな態度の変化に「認識を変えた」と感じた。
それは、自虐趣味でもあるのかと疑うくらい、大きな変化だったのだ。
気づかないはずがない。
「もう出ても大丈夫です」
フィッツに促され、バルコニーを出る。
ともあれ邪魔者はいなくなった。
会場内にロキティスはいたが、こちらを見ようともしない。
よほど腹に据えかねたのだろう。
(3人で会うことなんてないんだよ。次は来ないんだから)
集った人々は、それぞれにダンスや会話に忙しそうだ。
試合の勝利者だというのに、フィッツには見向きもしなかった。
同様に、皇太子の婚約者であるカサンドラに声をかけてくる者もいない。
フィッツは平民で、カサンドラは「皇太子ありき」の婚約者だからだ。
「ベンジーもいないね。あいつについてったのかな?」
「少し遅れて、後を追って行きましたね」
どこにいても、フィッツは状況把握を忘れない。
これだから、ついつい頼ってしまうのだと、彼女は、内心で苦笑いをもらす。




