結果の是非 2
カサンドラは、レーンに並んでいる操縦者たちを眺めている。
フィッツの姿が、真ん中にあった。
試合開始とともに、いかにも「なにか」仕掛けられそうだ。
(公平さの欠片もないね。どうせ両隣はアトゥリノ勢なんだろうなぁ)
各国の代表者たちは、物々しいとも感じられる格好をしている。
まるで戦場にでも赴くような出で立ちだ。
騎士団の制服は、動き易いようにか、比較的、軽装だった。
腰に剣や銃を下げている姿は、皇宮でも見慣れている。
けれど、彼らは兜をかぶっていた。
頭だけは強固に守る必要があるからなのだろうが、それが全体的に物々しく見せているのだ。
フィッツ以外は。
フィッツは、騎士団服ですらない。
いつものように、白い半袖シャツに薄手の生成色をしたズボン。
煤けた茶色の靴は、革で編まれているが、指や踵を覆う部分はなかった。
競技場全体に空調が入っているので、外より暖かいが、季節を考えると寒そうにしか見えない。
(私は小屋から出ないし、小屋の中はフィッツが暖房機材を使ってくれてるから、あったかいけどさ。あの格好で、狩りに行くんだもんなぁ、フィッツは)
寒い、暑いとの感覚はあると聞いている。
ただ、その感覚を「無視」するすべを身に着けているのだとか。
精神力なのか身体的な能力なのかは知らない。
訊いても理解できるか怪しかったので、訊かなかったのだ。
なにかにつけ、フィッツは「人間離れ」しているし。
(赤褐色……あれがルディカーンか。有利なとこにいるよね。裏で、お金や権力が動いてんのかな。ベンジーも大外にいるみたいだしさ)
兜をかぶっているので、顔は見えない。
けれど、最も内側にいる操縦者の兜の下には、赤褐色の髪がなびいていた。
顔を見たことはないが、フィッツが、確か「赤褐色の髪」だと言っていたので、間違いないだろう。
ベンジャミンは、体格から予想をつけている。
体つきだけで言えば、フィッツと似ているのだ。
上背があるにもかかわらず、瘦せ型。
なのに、背筋がピンとしていて、ひょろっとした印象がない。
(フィッツ、目立つよなぁ)
フィッツは、ただ1人、兜をかぶっていなかった。
短い薄金色の髪が、風に小さくなびいている。
剣も銃も身に着けていないと知っていた。
必要があれば「奪う」のだろうけれど、それはともかく。
「デルーニャ代表、フィッツ」
紹介の声とともに歓声がやみ、そこここから嘲笑が聞こえてくる。
憤慨してもいいところだが、彼女は気にしない。
フィッツが気にしていないとわかっているからだ。
そんな些末なことで、喜色満面になっている者たちを愚かだと思う。
自らが、どれほど小さな世界の住人かを、彼らは知らない。
帝国の中でしか通用しない身分で、すべてを図れる気になっている。
手のひらサイズの物差しで、山の高さは図れないというのに。
「お前の従僕は平民だったか。知っていれば、名を与えてやったのだが」
「いいよ、そんなの。フィッツはフィッツだから」
カサンドラは、フィッツの名を知っていた。
ラーザでは知らない者がいなかったというほどの家名だという。
フィザルド・ティニカ。
それが、フィッツの正式名だった。
今では、誰にも呼ばれることのない名でもある。
けれど、カサンドラが、ありがたくもない「デルーニャ」の名を押し付けられたみたいに、名を与えられることなど、フィッツは望まない。
それに、彼女にしても、フィッツはフィッツでしか有り得なかったし。
「名が重要じゃないとは言わない。大事にするべき名もあると思う。だけど、人の名を笑えるのは、身分くらいしか持ち物がないんだって言ってるようなものだよ」
「だが、格別に美味い果物には、特別な名が与えられたりするだろう?」
「そうだね。でも、同じ名だからって、全部が全部、美味しいわけじゃない」
「確かに、それは一理ある。名しか誇れるものがない、か……」
感慨深げに言いながら、皇太子が辺りを見回している。
釣られて、周りに視線を向けた。
そして、ふぅん、と思う。
(あの2人は笑ってないな)
アトゥリノとリュドサイオの「第1皇子」たちだ。
2人は、むしろ厳しい表情を浮かべている。
平民という身分だけで、フィッツを判断していないようだった。
この会場内で、少なくとも、ロキティスとゼノクルは愚か者ではないらしい。
「まぁ、あのようなナリで出て来られたら、只者ではないと思うのが普通だがな」
「みんな、物々しい格好してるもんなぁ。って、あれ?」
「どうした?」
「いや、あのフィッツの隣の人、ほかの人に比べると小さくない?」
「女だからな」
「へ……っ?」
予想外の答えに、思わず皇太子のほうに顔を向ける。
身を乗り出すと、皇太子が、気圧されたように体を引いた。
だが、驚いていて、皇太子の動きになど気づきもしない。
「女の人も参加できる競技なの、これ?」
周りは体格のいい男ばかりだ。
しかも、競技と言いつつ、かなり荒っぽい。
禁止されている攻撃もないようだし、疑似戦争的な要素もある。
女性の騎士もいるだろうが、この試合に出るのは無謀ではなかろうか。
「あれは、捨て駒だ。アトゥリノの勝利に貢献するのを期待して選出されたのではない。だから、ジュポナが選ばれたのだな」
「捨て駒って?」
彼女の瞳が揺らいでいることに、皇太子は気づいていない。
なぜか目を見て話していないからだ。
視線をレーンのほうへと向け、その「ジュポナ」の操縦者について語る。
「ホバーレをぶつけてでも、お前の従僕を止める役目だ。動きを止めてしまえば、周りを囲み、集中砲火を浴びせることができる。人数に利のあるアトゥリノが、よく使う手だ」
「じゃあ、あの人はどうなるわけ?」
「運が良ければ生き残る」
つまり、ほとんど「死ぬ」ということだ。
死んでもかまわないと、アトゥリノ陣営からは思われている。
それが「捨て駒」の役目。
「心配することはない。そのような仕掛けが、お前の従僕に通じるとは思えん」
もちろん、フィッツは難なく躱すに違いない。
簡単に体当たりなんてされるはずがなかった。
集中砲火だって浴びはしないだろうけれども。
「あんた、よく平気で、そんなこと言えるね?」
皇太子が、視線をレーンからカサンドラに戻す。
わかっていないのが丸分かりで、苛立ちを覚えた。
皇太子は、まるきり「きょとん」という顔をしている。
「そんなこと、とは、なんだ?」
「人の命だから、平気で捨て駒なんて言えるってことだよ」
「俺は戦略として……」
「だったら、自分の命、懸けてみな」
彼女は、自分の命に執着はしていない。
とはいえ、それはあくまでも「自分の命」だからだ。
人の命の責任を負いたくないのは、誰かにとって、その人の命が、重いものかもしれないからだ。
人の命の価値なんて、はかりようがないからだ。
博愛主義思想からでも、正義感からでもない。
はかりようのない命の重さにかかる責任を、恐ろしいと感じる。
しかも、取りようのない責任なのだから、なおさらに恐ろしい。
いとも簡単に「人の死」を口にし、命を切り捨てている皇太子に、嫌悪感をいだかずにはいられなかった。
皇太子がなにか言おうとしてか、口を開く。
その前に、試合開始の鐘が鳴った。
ハッとして、レーンに視線を投げる。
フィッツのほうへと、小柄な操縦者が向かっているのが見えた。
皇太子の言ったようにフィッツの足止めをしようとしたらしい。
体当たりを試みたのだろうが、案の定、フィッツは軽々と躱す。
再び、近づく、そのホバーレの横に別のホバーレが並んでいた。
小柄な操縦者はフィッツを追うのに必死なのか、気づいていない。
あっと思った時には、横に並んだアトゥリノの者と思しき操縦者が、味方のホバーレを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされたホバーレが、大きくバランスを崩した。
崩しながら、フィッツのほうへと倒れこんでいく。
が、それも、フィッツは予測済みだったのだろう、容易く避けた。
小柄な操縦者を乗せたホバーレが横倒しに、地面に転がる。
地面にぶつかり、操縦者は投げ出されていた。
兜が脱げ、薄い赤色をした長い髪が広がる。
まるで血のようだ。
「フィッツッ!!」
フィッツの身の安全を第1に考えるはずだったのに、思わず、彼女は叫んでいた。




