表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
37/300

結果の是非 1

 

「あれ? あれれ?」

 

 カサンドラが、周囲を見回している。

 なにかに気づいたように、ティトーヴァのほうに顔を向けた。

 軽く首をかしげている。

 その姿に、思わず、口元に笑みが浮かんだ。

 なんとなく、カサンドラの気分が緩んでいるように感じられる。

 

「ベンジーは?」

 

 その呼びかたに、少しイラっとした。

 が、自分の手の中に、カサンドラの手があることで、気分が和らぐ。

 小声でティトーヴァの耳に囁いてくるのも心地良かった。

 演技も疲れるのだろう、気兼ねのない言葉遣いで話したいらしい。

 

「帝国の代表だ」

「え? 帝国も参加するんだ?」

「当然だろう。帝国主催の試合だぞ」

「そうだけどさ。不利なんじゃない? いや、そうでもないのか。帝国相手だと、周りが気を遣ってくれるよね」

「そんなことはない。これに国の威信がかかっているというのは、そうした気遣いが無用だからだ」

 

 基本的には、国の大小や上下に関わらず、対等な立場で戦う。

 属国が直轄国に従う必要はないのだ。

 規則上では、そうなっている。

 

「でもさ、それだとアトゥリノが統治権を持ってる従属国は、アトゥリノの代表を蹴落としてもいいってことになるけど……」

「お前の考えている通りだな」

「だろうね」

 

 属国は、直轄国を勝利に導くように動くのが常だった。

 そして、同じ属国同士では、いかに自国が直轄国の勝利に貢献したかが重要となる。

 今後の優遇措置に関わるのだから、これもまた命懸けだ。

 

「つまり、アトゥリノは5人で戦うわけか」

 

 アトゥリノが統治権を持っているのは4つの国、それとアトゥリノの代表であるルディカーンを含めると5人になる。

 同じく、リュドサイオは4人。

 

「それじゃ、デルーニャは? フィッツと3人で戦う……わけないよなぁ」

「デルーニャは、毎年、代表も含め帝国につく。帝国が4人で戦う構図だ」

「てことは、今年は、ベンジーとデルーニャの2人で、3人が帝国側の陣営になるじゃん。アトゥリノだけで5人もいるのに、フィッツは不利もいいとこだよ」

「アトゥリノはともかく、リュドサイオは手出ししないはずだ。ベンジーにも言い含めてある。アトゥリノ以外の2陣営は気にせずともよい」

 

 カサンドラが銅色の瞳に、ティトーヴァを映していた。

 顔が近づいていることに気づいて、心臓の鼓動が速くなる。

 今日の彼女は、ひと際、美しかった。

 いつもの姿が美しくないのではないが、身なりを整えた分だけ、美しさが増している。

 

 ディオンヌが用意していたらしきお仕着せのドレスは、カサンドラには似合っていなかった。

 故意ではあったのだろうが、贅を尽くしてはあっても品のないものばかりだったのだ。

 しかし、今日は、シンプルなデザインが、上品さを引き立てているドレスを身につけている。

 服飾、宝飾、美容と、皇宮ご用達の者を集め、厳しく言い聞かせておいた効果に違いない。

 

 もし、カサンドラを侮っているとティトーヴァが感じたら、出入り禁止にすると伝えてあった。

 しかも、ティトーヴァが、直々に申し渡したので「伝達漏れ」などという言い訳も通用しない。

 ディオンヌとのつきあいもある者たちだったため、念には念を入れたのだ。

 

「へえ、本当にセウテルを説得してくれてたんだ」

「すると言っただろう」

「そうだけどさ。セウテルは、私のこと嫌いみたいだから、あれこれ口実をつけて逃げるんじゃないかって思ってた」

「配下の1人も抑えつけられんようでは、次の皇帝にはなれん」

 

 次の瞬間、ティトーヴァの心臓が大きく跳ねた。

 周囲の音も遠ざかる。

 

 くすくすという小さな笑い声だけが耳に響いていた。

 

 カサンドラが笑っている。

 どうしてかはわからないし、どうでもよかった。

 演技ではなく、掛け値なしの笑顔であることに、大きく心を揺さぶられている。

 ここが公の場だというのも忘れた。

 

 無意識に、ぐっと体を乗り出す。

 そして、顔を近づけた。

 ティトーヴァの瞳の中で、カサンドラが大きくなる。

 心臓が、とくとくと鼓動を速めていた。

 

「ちょっと……くっつき過ぎだよ」

 

 ぺんっと、軽く腕を叩かれ、正気に戻る。

 カサンドラのしかめた顔に、渋々、体を離した。

 体が少し熱い。

 

(彼女は俺の婚約者だ。俺のものに、口づけをしてはならん理由など……)

 

 ティトーヴァは、自分の考えに、またもや混乱する。

 カサンドラに口づけようとしていたことに、気づいていなかったからだ。

 

(危うかった……危うく人前で……いや、人目など気にすることはない……だが、カサンドラに平手を……それは手を押さえれば……ああ、いや、違う……)

 

 カサンドラが抵抗しても、押さえつけるのは簡単だろう。

 とはいえ、無理に口づけるなんて倫理に反する。

 それに、と思った。

 

 絶対に嫌われる。

 

 それを、ティトーヴァは、無関心よりマシだとは考えられない。

 嫌われたくない、と思ってしまったのだ。

 混乱はおさまっていないが、わかったことがあった。

 

 自覚していたよりも遥かに、カサンドラに惹かれている。

 

 だから、嫌われたくない。

 今以上に、良い関係を築きたい。

 ほかの誰よりも親密な存在になりたい。

 

 握った手のぬくもりに、どきどきする。

 

 なんでもないと思っていたことが、なんでもなくなっている。

 ティトーヴァとて25歳の成人した男だ。

 女性とベッドをともにしたこともある。

 皇命で、カサンドラが婚約者になったあとの2年間は「清廉」な生活をしているものの、それはよけいな憶測を避けるために過ぎなかった。

 カサンドラを尊重したのではない。

 

 婚約者がいようと、王族や貴族は、女性との関係を続けることもある。

 だが、政敵から足元をすくわれる危険性も伴っていた。

 関係を持つ相手を間違えれば、皇太子の座を手放すことにもなりかねない。

 

 加えて、ティトーヴァが女性関係を清算したのは、危険を冒してまで、欲に執着する必要を感じていなかったからでもある。

 皇帝が皇后に夢中になり、政務を(おろそ)かにしていたため、忙しかったし。

 

 なのに、手を握っているだけで、どきどきしていた。

 隣にいるカサンドラを意識せずにはいられない。

 

 どうかしている。

 

 自分でも思うのだが、自制しようとしてもできないのだ。

 頭の中が、ぐるぐるしていた。

 

 この場からカサンドラを連れて、私室に戻りたい。

 口づけを交わし、邪魔なドレスを剥ぎ取りたい。

 そして。

 

「始まるみたい。みんな、出て来たよ。フィッツは、と……あそこだ」

 

 ぐるぐるが、ピタリと止まる。

 本当に「どうかしている」と思った。

 心を揺さぶる感情を、真剣に、必死で抑えこむ。

 そのために、名残惜しかったが、カサンドラの手を離した。

 直接的な肌の感触に耐えられそうになかったのだ。

 

「あそこを回るだけなんだよね?」

「そうだ。レーンを周回して、最初に到達した者が勝利者となる」

 

 努めて平静を装い、競技の流れを話す。

 操縦者たちが、楕円をしたレーンに横並びに揃っていた。

 そろそろ開始の合図が鳴る。

 胸の(うち)に、惜しいような、救われたような、不可解な感覚があった。

 

「何回?」

「3周目が最後だな。その際、同時とみなされた場合は、その者たちだけで、1周して勝負をつける」

「周回してる間に攻撃してくるんだろうけど、どんな攻撃?」

「見ていればわかるだろう」

 

 そっと、カサンドラから体を離す。

 近づきたいのはやまやまだが、近過ぎるのは危険だ。

 自分でも、自分がなにをしでかすか、わからない。

 なにせ「自制」が効かなくなっているのだから。

 

「事前に知っとけば驚かなくてすむのにさ。別にいいけど」

 

 つんっと、カサンドラが、そっぽを向いてしまう。

 慌てて言い訳をしたくなるのを我慢した。

 言い訳しようにも、口にできる言い訳がない。

 

 お前と密着しているとベッドに連れて行きたくなる、とは。

 

 ティトーヴァは、自分自身に落胆する。

 こんな不甲斐ない部分があるとは思いもしなかった。

 大層に情けない気分だ。

 

 レーンのほうを見ているカサンドラを、横目でちらり。

 あの日と同じく、凛としている。

 思わず、頬に手を伸ばしかけた。

 その時、場内で操縦者の紹介が始まり、歓声が沸き起こる。

 

(こうなってはしかたがない。認めるさ。俺は、彼女が好きなのだ。惚れている。この想いは……今宵の宴のあと、ベッドで伝えるとしよう)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ