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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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吹けば飛ぶで良しとす 4

 競技場は広かった。

 全体は巨大な円形をしており、実際の競技が行われる部分は楕円になっている。

 そこを階段状に観覧席が並んでいた。

 

 皇族や王族専用の観覧席は、最前列より、やや後方に位置している。

 当然、席よりも前の場所は空いており、観覧の邪魔をするものは、なにもない。

 護衛騎士たちは、貴賓を取り囲み、周囲を警戒していた。

 様々な騎士服姿が見えることから、各国の騎士たちが、自国の王や王子を守っているのがわかる。

 

「これは従兄弟殿、いや、皇太子殿下とお呼びすべきですね」

 

 カサンドラの隣に座っていた皇太子に、誰かが声をかけてきた。

 見れば、皇太子と変わらない年頃の男が立っている。

 暗い金色の髪と銀色の瞳ではあるが、どことなしディオンヌに似ていた。

 たぶん、アトゥリノの関係者だろうとあたりをつける。

 

「かまわん。従兄弟であるのは事実だ。好きに呼ぶことを許す」

「寛容なお心に感謝いたします」

 

 皇太子は、いつもより仰々しい。

 公の場では「皇太子然」としていなければならないようだ。

 思っていると、皇太子の従兄弟とやらが、こちらに視線を向けて来る。

 柔和な笑みを浮かべているが、なんとも気色が悪い。

 

(いかにも腹黒って感じがする。面倒だけど、皇太子の面子を立ててやるかぁ)

 

 皇太子の面子もだが、ここで騒ぎになれば、この後の計画に支障をきたす。

 面倒でも、この場を、やり過ごすことだけを考えることにした。

 立ち上がり、相手に向かって「ちゃんとした」挨拶をする。

 ドレスの裾を軽く持ち上げ、頭を下げた。

 

「初めて、お会いいたします、カサンドラ・デルーニャにございます。こうして、ご挨拶でき、大変、光栄に存じます」

「貴女が、皇命を直々に受けた殿下のご婚約者様でしたか」

 

 隣に座っているのだから、それくらいわかるだろう。

 わからないのなら、相当な馬鹿者だ。

 

 とは、言わない。

 代わりに、緩やかに微笑んでみせた。

 隣で、皇太子が肩を震わせている。

 いつもの彼女を知っているだけに面白がっているに違いない。

 

 ぶん殴ってやりたい。

 

 ここに来なければならなくなったのも、窮屈なドレスを着なければならなくなったのも、昨日1日がかりで「身支度」を整えなければならなくなったのも、すべて皇太子のせいなのだ。

 ごわごわの髪をサラサラになるまで梳かされ、ピカピカになるまで爪を磨かれ、悲鳴を上げるほど体をゴシゴシこすられた、あの苦痛を忘れはしない。

 

 それでも、皇太子の面子を守ってやろうと、彼女は演技をしている。

 なのに、笑うとは何事か。

 

「カサンドラ、私の従兄弟ロキティス殿だ。アトゥリノの第1王子でもある」

 

 ということは、ロキティスはディオンヌの兄だ。

 どことなく似ていると感じたのは間違いではなかった。

 

「28にもなって皇太子の指名も受けられずにいる無能ですけれどね」

 

 ロキティスは言うほど気にしていないとばかりに、軽く笑う。

 けれど、それは皮肉も交えた言葉だ。

 すでに皇太子となっているティトーヴァに対する牽制に違いない。

 嫌味な性格だ、と思う。

 

(羨ましいなら、素直に、そう言えばいいのにさ。皇太子になるのって、そんなに重要なのかなぁ。私には、わからない世界だよ)

  

 特定の身分の者にとっては、ひとつの国の国王になることは、重要なのだろう。

 帝国ほどではなくとも、強い権力を持つのは確かなのだ。

 権力志向のない彼女には「くだらない」としか思えない。

 

 だいたい、ロキティスとは初対面だ。

 有能か無能かの判断はできない。

 分かるのは、良い性質の人間ではなさそうだ、というくらいだ。

 そして、つきあいたくない相手だと判断するには、それだけで十分だった。

 

 カサンドラが黙っていたからか、ロキティスが言葉を続ける。

 彼女の思考とは、まったく別の方向から、つらつらと。

 

「アトゥリノには7人もの王子がいるのですよ、カサンドラ王女様。長子が王位を継ぐと決まってはいません。現に、国王から有能だと認められて、末弟が皇太子となった例はいくらでもありました。今のところ、私は弟たちよりも秀でていると、認められていないわけです」

 

 知ったところで意味のない情報に、内心、うんざりしていた。

 こういう政治的な話は、自分に関係がない限り、聞くのも億劫なのだ。

 しかし、黙っていると、さらに「つらつらと」身の上話をされるかもしれない。

 うんざりしつつも、ゆったりと微笑む。

 

「ご兄弟が多いと、ご苦労なさいますね。いずれ、その苦労が報われる日が来るのではないでしょうか。世の中には、苦労知らずで皇太子になるかたもおられます。きっと、今の試練は第1王子殿下の糧となりましょう」

 

 ロキティスは、なにやら微妙な表情を浮かべたあとに、大袈裟とも言える仕草で会釈をしてきた。

 理由は不明だが、これ以上、身の上話を聞かずにすみそうではある。

 長々しく語られると、言わなくてもいい言葉を言いたくなったはずだ。

 

 くじでも引け。

 

 7人も王子がいて迷うくらいなら、誰でもいいではないか。

 彼女からすれば、その程度の意識しかない。

 どこのだろうが、国の後継者問題に興味はなかった。

 

「殿下が、妹を選ばなかった理由が理解できましたよ」

「そうだろうとも」

 

 答えるなり、皇太子が、カサンドラの手を握って来る。

 ぎょっとしたが、振りはらうわけにもいかない。

 皇太子の面子を慮ったのではなく、騒ぎを起こしたくなかったのだ。

 せっかく立てた計画が台無しになる恐れがある。

 顔が引き攣りそうになるのを、必死で耐えた。

 

「カサンドラが良き皇太子妃になると、私は確信しているのでな」

「そうですね。彼女であれば、どこの国であっても、その立場に見合った相応しい妃となれるでしょう」

「ロキティス、そろそろ席に着いたらどうか。競技が始まる」

 

 会話を打ち切るためだろう、皇太子が、この場を離れるように促している。

 ロキティスは、皇太子に向かって深く頭を下げた。

 

「つい長話が過ぎました。それでは、またのちほど」

 

 顔を上げる際、ちらっと視線を向けられ、反射的に軽く会釈を返す。

 微笑みを残したまま、ロキティスが背を向けた。

 少し離れた席に移動し、座る姿が見える。

 ともあれ、事なきを得たようだ。

 

「苦労知らずで皇太子になったとは、俺のことか?」

「ほかに、誰かいる?」

「人前で、俺を愚弄するとは、いい度胸だ」

「愚弄したつもりはないよ。あの人の話を早く終わらせたかっただけ」

 

 手を引っ込めようとしたが、皇太子は強く握って離そうとしない。

 ロキティスとの会話に怒っているのかもしれない、と思う。

 だからと言って、機嫌を取る気もないのだが、それはともかく。

 

「あのさ、手を……」

「殿下、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」

 

 声に、不満を口にすることができなくなる。

 見れば、また違う男が立っていた。

 今度は、皇太子より年上に見える。

 

 暗い灰色の髪と薄い緑色の瞳。

 

 その瞳は、とても特徴的だ。

 色は違えど、雰囲気は、そっくりだった。

 カサンドラを無視するところも。

 

(絶対、リュドサイオの人だ。セウテルと同じ匂いがする……)

 

 カサンドラの手を握ったまま、皇太子が鷹揚にうなずく。

 それから、こちらに顔を向け、わざとらしいほど愛想良く、微笑んだ。

 

「この者は、リュドサイオの第1王子のゼノクル、セウテルの兄だ」

 

 また第1王子か。

 

 帝国は皇太子が決まっているが、ほかの国は、そうでもないらしい。

 おそらく、様々に、ややこしい事情があるのだろう。

 心底、皇族や王族には関わりたくない、と感じた。

 

(皇宮暮らしも今日で終わり。あと少しの我慢。逃げ切ることだけ考えよ)

 

 競技が始まると皇太子は言ったのに、後から後から挨拶に来る者が絶えない。

 皇太子が、いちいちカサンドラを紹介するので、そのたびに、演技をしなければならなかった。

 競技前だが、逃げ出したくなる。

 けれど、フィッツとの約束があるし、計画上、ここにいる必要があった。

 

(試合が終わったら、貴賓は宴席に移動……私は、フィッツと合流して逃げる)

 

 頭の中で、フィッツと立てた計画をなぞりながら、何度か、手を引いてみる。

 が、結局、皇太子がカサンドラの手を離すことはなかった。


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