各々の基準 2
フィッツは、カサンドラのために、お茶を淹れていた。
ちょうど、部屋から欠伸をしつつ、カサンドラが出て来る。
当然だが、目を覚ます様子を見ていたので、あらかじめ準備をしていたのだ。
これは、フィッツの日課となっている。
「おはようございます、姫様」
「おはよう、フィッツ」
まだ眠そうにしながら、カサンドラがソファに座った。
すかさず、お茶を差し出す。
受け取る姿を、じっと見つめた。
今日も、自分は役に立てているだろうか。
カサンドラは、フィッツを置き去りにはしない、と言った。
だが、置き去りにしたがっているのは、知っている。
自分がいなければ、カサンドラは「穏便に」皇宮の外に出られるのだ。
それを、フィッツは、重々、承知していた。
カサンドラが「能力」を使うことが「穏便」かどうかはわからない。
ただ、人を殺すのとは違う。
フィッツが動けば、人が死ぬのだ。
それしか、やりようのない自分の未熟さが厭わしかった。
カサンドラは、自分に「人殺し」をさせないため、一緒に行動することを選んだに過ぎない。
それも、わかっている。
わかっていて「置き去りにしないでほしい」と頼んだのだ。
フィッツは、カサンドラに仕える生きかたしか知らないので。
「姫様。今日は、午後から出かけることになりました」
「いつものことでしょ? 今日は魚? 肉?」
食材調達に、フィッツは午後に出かけることが多かった。
たいていは、魚や動物の狩りをしに行く。
けれど、今日は食材調達に外出するのではない。
最近では、食材調達の必要は、ほとんどなくなっていた。
皇太子が無駄に持ってくるからだ。
皇宮料理人の作った料理を、カサンドラが「たまにでいい」と言ったあとから、料理ではなく、食材を運ばせることにしたらしい。
昼や夕方に訪ねて来るのは変わらないので、「無駄に」皇太子の分まで、食事を用意するはめになっている。
「今日は、狩りではなく、皇宮に行ってきます」
「偵察?」
「いえ、呼び出しを受けました」
「呼び出し?」
お茶を飲むのをやめ、カサンドラが、横に立っていたフィッツを見上げてきた。
女王が亡くなって以降、頓にカサンドラの表情は薄くなっている。
以前は、落胆や悲哀の感情が見えていたが、最近はまったくない。
憂鬱そうにしていることはあっても、怒ったり嘆いたりすることはなかった。
なので、今も、なにを考えているのか、いまひとつ不明瞭だ。
「誰から?」
「ルディカーン・ホルトレです」
「誰、それ」
「帝国騎士団の隊長ですよ」
「なんの用?」
「聞いていません。朝方、部下の者が来て、午後に顔を出せと言われました」
むうっと、カサンドラが顔をしかめる。
これは、さすがにわかった。
呼び出しについて、カサンドラは、面白くない、と思っている。
「用件も言わずに呼び出すなんて、怪しい」
「そうですね」
「断れば良かったのに」
「怪しいので、行くことにしました」
「そういうことか。フィッツは抜かりがないね」
「恐れ入ります」
ルディカーン・ホルトレは、帝国騎士団の隊長だが、それよりも気になっていることがあった。
ルディカーンは、ディオンヌと同じく、アトゥリノ出身なのだ。
おそらく、政治的なバランスもあったのだろう。
皇帝直属の親衛隊長がリュドサイオ出身のセウテルとなれば、直轄国の序列1位であるアトゥリノの者も要職につけなけば具合が悪い。
序列3位のデルーニャと他2国との間には、歴然とした差があるため、まだしも無視できるのだろうが、アトゥリノとリュドサイオ間の軋轢は避けたいところだ。
つまらないことでも、内乱の火種と成りかねない。
「どんな奴? 事前情報は持ってるよね?」
「アトゥリノ人らしい青色の目に、アトゥリノ人らしくない赤褐色の髪の男です。歳は33で、5年前に、帝国騎士団隊長に任命されたようですね」
「そうじゃなくて、人柄っていうのかなぁ」
「セウテルとは対照的に、好戦的な人物です」
フィッツは、皇宮内のあちこちを「偵察」している。
その中に、訓練場も含まれていた。
ルディカーンを実際に見て、戦闘体質だと感じたのだ。
部下を相手に、自らが満足するまで叩きのめす。
ルディカーンは、その間ずっと楽しげに笑っていた。
平和な帝国では、めずらしい部類かもしれない。
「フィッツが強いって、バレた?」
「それはないと思います。向こうは、私の存在すら意識していなかったので」
「あいつが、なにか頼んだのかな?」
「それもないと思います。皇太子とルディカーンは、さほど親密ではありません。皇太子は、まだ帝国騎士団の指揮権を持っていませんから」
カサンドラが面白くなさそうな顔のまま、小さく唸った。
カサンドラの同意なく、呼び出しに応じるべきではなかったかもしれない。
今後の逃亡に備え、ルディカーンがなにをしようとしているのか確認すべきだと判断したのだけれども。
「あのさ、フィッツ」
「はい、姫様」
カサンドラは、フィッツを見つめ、真面目な顔をする。
今度は、感情を読み取れなかった。
表情が薄くなっている。
「もし闘いを吹っ掛けられたら、どうする?」
「叩きのめされます」
下手に抵抗すれば、目をつけられる恐れがあった。
逃亡を企てている最中、わずかにも疑われる行為は避けなければならない。
よって、ルディカーンが訓練を理由に突っかかってきたとしても、大人しくやられてやるつもりだ。
「いいよ、やっちゃいな」
「やる……とは?」
「黙って、叩きのめされたりするなって意味」
「ですが、反抗すれば目をつけられます」
「つけられても、かまわない」
フィッツは、少し混乱する。
カサンドラは「穏便」で「面倒くさくないこと」を主義としていた。
というより、そうなのだろうと、フィッツ自身が判断していた。
目をつけられると面倒なことになるのでは?
その疑問が顔に出てしまったらしい。
フィッツは、ほとんど無表情なのだが、カサンドラは驚くほどに細かな表情まで読み取ってくる。
自分に気の緩みがあるのではと感じてしまうほどだ。
それを知ってか知らずか、カサンドラが、軽く肩をすくめた。
「だって、もう意味ないじゃん。あいつが、連日、ここに入り浸ってんだから」
「それもそうですね」
「そうだよ。すでに目をつけられてるから、呼び出されたんじゃないかな?」
「確かに。アトゥリノの王女のこともありますし、それは考えられます」
「でしょ? だったら、黙ってやられることないよ。まぁ、でも、殺すのは駄目。手加減してあげて」
こくり。
フィッツがうなずくのを見てから、カサンドラは、お茶を口にする。
やはり表情を確認しても、なにを考えているのかはわからなかった。
貴族や高位の騎士たちのように表情を隠そうとしているのではない。
そういう不自然さすら、まったくないのだ。
「なにがあったとしても、私は、フィッツが怪我しなければ、それでいい」
「わかりました」
「それから、嫌なことを言われたら、言い返しなよ? 我慢しないのが、私のためだと思ってさ」
「わかりました」
なぜ、それがカサンドラのためになるのかは不明だが、カサンドラの意思に従うことにする。
ただ、フィッツには「嫌なこと」というのが判然としない。
自分は、なにを言われたら「嫌だ」と感じるのか。
それが、フィッツにはわからないのだ。
周囲を意識するようになって以来「嫌だ」と感じるようなことがなかった。
邪魔だとか厄介だとかは思ったりするけれども。
「私もついて行きたいなぁ」
「それは駄目です」
「言うと思った。フィッツは、大概、過保護なんだよ」
言われても、自分が過保護だとの認識はない。
カサンドラの意思であっても、従えるものと従えないものがあるだけだ。
とくに「危険」に対しては。




