日々どうでもいいことばかり 3
バサッと、服が投げつけられる。
いつものことなので、別に驚きもしない。
足元に、たった今、投げられた服が落ちていた。
うつむき加減で、それを見つめつつ、カサンドラは背中に手を回す。
ドレスを脱ぐためだ。
ここは、カサンドラの部屋。
ではあるが、カサンドラの部屋ではない。
ソファに座る女性と、その女性を取り囲むようにして立っているメイドたち。
全員が、カサンドラに悪意のこもった視線を投げている。
本来、着替えはメイドが手伝うものだが、カサンドラを手助けする者はいない。
ここに来てからずっと、そうだった。
彼女自身、手伝いを期待してはいないのだ。
ドレスくらい自分で脱げる。
人前で脱ぐことについても屈辱感などいだかずにいた。
ドレスの下には、袖のないワンピース型の肌着を着ている。
両腕と、両足の膝下は素肌が見えるが、それだけのことだ。
手早くドレスを脱ぎ、床に落ちている服に手を伸ばす。
その間、周りの者たちは、嫌な笑みを浮かべていた。
おそらくカサンドラが屈辱と羞恥に耐えているとでも思っているのだろう。
(そこまで繊細じゃないんだよね)
思いつつも、彼女らの期待している通りの姿を演出する。
平然としていると、新たな嫌がらせをされるのは間違いない。
どういった類の嫌がらせかはともかく、相手をするのが煩わしかった。
なので、体を縮こまらせ、怯えている「フリ」をし、そそくさと服を着替える。
カサンドラは、つい2年前までは、平民として暮らしていた。
平民とは、高貴な「ご令嬢」に、無条件で頭を下げる立場の存在だ。
室内にいる女性たちは、そのことを知っている。
現状、カサンドラが、デルーニャ王国の王女であろうと関係ない。
そして、元ラーザ国女王の娘、すなわち本物の「王女」でも無意味だった。
ラーザという国は、すでに消え去っている。
ティトーヴァ・ヴァルキアに滅ぼされた。
「今日は、殿下と夕食をとらなかったのね」
冷たい声に、カサンドラは体をすくめてみせる。
怯えてはいないが、演技は必要なのだ。
「なぜかしら?」
顔は上げない。
うなだれた「様子」で、足元にだけ視線を向けている。
表情に出さないことはできるが、危険は避けておきたかった。
万が一にも、瞳に宿る無関心さを読まれるわけにはいかない。
「……食欲がなくて……」
メイドたちが、小さく嘲笑する。
クスクスという笑い声には悪意しか含まれていなかった。
カサンドラが「まとも」な食事ができるのは、皇太子との夕食のみ。
そう思っているのだ。
もちろん、彼女も、そう思っている。
皇宮に連れて来られはしたが、カサンドラを「まとも」に扱う者はいない。
実のところ、衣食住さえ正当には与えられずにいる。
この別宮にある部屋は、皇太子が用意した。
カサンドラの部屋として、だ。
だが、カサンドラは、ここでは暮らしていない。
この部屋を使っているのは、ソファに座っている女性だった。
艶のある美しく長い金色の髪と、場合によってはどこまでも冷たく光らせることのできる青い瞳を持った女性。
ディオンヌ・アトゥリノ。
皇太子の従姉妹であり、アトゥリノ王国の第2王女だ。
アトゥリノは、いち早く帝国に従属し、周辺諸国との征服戦争にも加勢した。
そのため、現帝国に属する3つの王国の中でも、大きな勢力となっている。
現皇帝の側室だった皇太子の母も、アトゥリノ出身だ。
ディオンヌは、18歳のカサンドラより2つ年上。
皇太子より5つ年下の20歳。
未だ婚姻せずにいるのは、皇太子妃となるために違いない。
カサンドラという婚約者がいることなど、問題にもしていないのだろう。
それについては、彼女もディオンヌと同意見だ。
自分が皇太子妃、もしくは皇后になるなんて考えたくもなかった。
というより、絶対に嫌だと考えている。
なりたいのであれば、ディオンヌがなればいい。
望んで婚約者になったわけでもないのだし。
無駄に目の敵にされて、いい迷惑だ。
ディオンヌは、カサンドラを問題視はしていないが、敵視はしている。
殺そうと考えたこともあったかもしれない。
だが、事が露見すれば自身が危うくなるため、直接的な手段は講じられなかったと察せられた。
皇太子の心情を、ディオンヌは正しく理解している。
ゆえに、危険をおかしてまで排除するほどの問題ではないと判断しているのだ。
皇太子がカサンドラを大事にしていたら、ディオンヌも楽観していられなかっただろうけれども。
「そうね。あなたの気持ちは理解できるわ」
ディオンヌの言葉に、ちきっとした苛立ちを感じる。
カサンドラの母が亡くなったのは、半月ほど前。
母の幸福の邪魔になりたくなかったカサンドラは、2年間、あまり母とは会っていなかった。
長い時間を経て、ようやく愛する人と結ばれたのだ。
少しでも失われた時を取り戻したくなる気持ちになってもしかたないと思える。
そもそも、カサンドラは望まれて産まれた子ではない。
それでも、母はカサンドラを大事に育てた。
ひとつの国の女王であった母が平民に身を落とし、休むことなく働いて、生活を支えていたのだ。
貧しいながらも平和な日々。
とはいえ、母が男性を寄せつけずにいたのは、その心には、たった1人の人しかいなかったからだと、カサンドラにもわかっていた。
それは、カサンドラの父ではない。
皇帝キリヴァン・ヴァルキアが、母の愛する男性だ。
同じく皇帝にとっても、母は唯一の女性だったらしい。
皇后の座がずっと空いていたのが、その証だった。
そして、皇帝は、母と再会するや皇后として迎えている。
そんな2人の邪魔にはなりたくない。
2人きりで過ごさせてあげたい。
そう思うのは、カサンドラにとっては、自然なことだったのだ。
だから、自分の身の上を、母には語らずにいた。
皇宮で虐げられている、とは、けして。
母に会うのは、月に2,3度。
ディオンヌが用意したドレスに着替え、何不自由のない暮らしをしている振りをし続けている。
母が皇帝との婚姻を悔やむことがないようにとの想いからだ。
カサンドラは、母の前では、いつも笑っていた。
きっと母は、娘が幸せだと信じて旅立っただろう。
それで良いと、カサンドラは思っていた。
「殿下が、いつまであなたをお呼びになるか、さぞ心配でしょう」
皇后という後ろ盾を失ったため、皇太子が皇命を退ける可能性が出てきたと言いたいのだ。
だが、彼女にとって皇太子など、どうでもいい存在だった。
心配でもなんでもない。
呼ばれなければ呼ばれなくともかまわなかった。
清々する。
「もういいわ。あなたの場所に帰りなさい」
彼女が返事をしなかったせいか、ディオンヌが冷たい口調で命令した。
早目に解放してもらえて幸いだ。
深々と頭を下げ、部屋を出る。
ドレスを脱ぎ、宝石も外したので、体が軽い。
メイドよりも貧相な服装で、人目につかないよう、そっと裏口に向かった。
そこには警護の者もいない。
ディオンヌが、あえて人ばらいをしている。
裏口から外に出て、少し離れた裏庭に、カサンドラの「家」があった。
かなりのボロ小屋だ。
さりとて、屋根があり、雨風がしのげれば十分だと思う。
一応は取りつけられている錠前の鍵を取り出し、ドアを開いた。
中は暗く、どんよりとしている。
ドアを締めてから、彼女は呆れてつぶやいた。
「こういう状況になってるって気づかないなんて、皇太子って馬鹿だよね」