いつかの空をきみと 2
ようやく生活も落ち着き始めている。
キャスは、部屋の窓から外を眺めていた。
部屋は2階で、比較的、遠くまで見える。
地面の上で暮らせているのは、みんなのおかげだ。
あれから1年が経っている。
キャスは、20歳になっていた。
今年の秋には、21歳になる。
元の世界の歳にすれば27歳だが、もう元の世界のことを基準にするのはやめようと思っていた。
この世界に来てから、2年半ほど。
いろんなことがあった。
ここは、魔物の国の北東。
コルコの領地から百キロ程度離れた場所だ。
周りは、ほとんど山だった。
山脈に囲まれた盆地、というところ。
(正直、冬は越せないかと思ったよ。コルコは、そんなに雪は降らないのにさぁ。やっぱり山の影響なのかなぁ)
フィッツが「まずは地下」と言うので、地下に住める場所を作った。
正解だった。
魔物の国では雪が降り始めたのは、だいたい3月頃。
なのに、ここでは「ちゃんと」12月の終わりくらいから雪が降る。
季節感は、元の世界と似ているが、新生活を始めるにあたっては、喜ばしいとは思えなかった。
地上での生活も視野に入れつつ、準備を整えなければならなかったからだ。
そして、4月前まで5ヶ月近くも地下生活を余儀なくされた。
(でも、あったかくなってからは、あっという間にだったっけ)
資材やら、地盤慣らしやら、下準備をしていたからか、雪解け後は、さくさくと地上生活への工程が進んでいったのだ。
見る見るうちに、家が建っていく光景に、キャスは驚かされている。
技術の力というのは、良し悪しはともかく、偉大だ。
「おはようございます、陛下!」
キャスは、びくっとしてから苦笑い。
まだ、ちっとも呼ばれ慣れていないので、つい体が先に反応する。
整備された道で足を止め、こちらを見上げている女の子に手を振った。
ぺこっと、頭を下げ、少女が駆けて行く。
キャスは、ラーザの女王になったのだ。
ここには、大勢のラーザの民がいる。
帝国から移住してきた民たちだった。
念のため、希望は訊いている。
帝国に残るか、厳しい土地柄だが、新しい「ラーザ国」で暮らすか。
(まぁ……ラーザの民だからね。わかってたけどね。そりゃ、全員、来るよね)
帝国にいたラーザの民、約3万人。
地位も立場も職も家も、すべてを投げ打ち、この北東の国にやって来た。
キャスは望んでいなかったが、場合によっては「伴侶」すら捨てた者さえいる。
相変わらず、ラーザの民は、ヴェスキルに妄信的なのだ。
それでも、比較的、小さな子供たちは、あまり仰々しくない。
大人に諫められたりもしていたが、そのたびに「大丈夫」だと言ってきた。
少しずつでもヴェスキル王族を「崇め奉られる」存在ではなくしていきたい、と思っている。
(私は、本物じゃないしさ。結果、こうなっただけで、女王なんてガラじゃない)
とはいえ、血統は血統として否定もできない。
『魂が違っていようが、その体には、私とフェリシアの血が流れている。きみは、その体がカサンドラではないと言えるかい?』
いつだったか、ラフロに言われた言葉だ。
いつになろうと、その言葉を、キャスは否定できずにいた。
この体は「カサンドラ・ヴェスキル」から押し付けられたものではある。
さりとて、そんなことは「ラーザの民」には関係ない。
最初は、女王どころか「姫様」にだってなる気はなかった。
今だって、女王をしたい、とは思っていない。
ただ、自分のしたことに対する責任は取らなければ、との思いはある。
その覚悟と決断により、あの日、キャスは引き金を引いたのだから。
(半月、だったな……ホントに……)
ラフロとした「取引」は、成立した。
ラフロは約束を守ったのだ。
半月後、キャスが「壊した」者たちは、目を覚ましている。
もちろん、その中には、ベンジャミンも含まれていた。
正直、フィッツを殺したベンジャミンを許せない気持ちはある。
だが「因果応報」を終わらせたかった。
魔物ほどには強くなれないとしても。
(私は心配だったけど、フィッツは心配してなかったよなぁ)
クヴァットが、フィッツに乗り移ろうとして失敗した際の経験からかもしれない。
キャスは、元通りにならなかったらと心配していたが、フィッツは相変わらずの調子で「88%の確率で元に戻りますよ」なんて言ったのだ。
どうやって計算したのかはわからないが、それはともかく。
なんでもフィッツが言うには、脳に損傷を受けていても、記憶が消失しているわけではなく、取り出す機能が壊れている可能性が高い、ということだった。
思考が働かないのも、体が動かないのも、指示系統の損傷だろうと。
なので、ラフロが「治す」ことで元通りになるはずだ、と説明してくれている。
そして、フィッツの説明通り、ほとんどの者が元通りになった。
中には、記憶が欠けていたり、いわゆる「リハビリテーション」が必要だったりした者もいたようだけれども。
最善ではないが、できるだけのことはした、と自分を納得させている。
その代わり、今後「言葉の力」は使わないことにした。
いずれラーザもヴェスキルに妄信的ではなくなる予定なのだ。
あの力では、ラーザの民は守れない。
そもそも、ここにファニを呼び集めてしまうことになるかもしれないし。
女王を名乗った時、キャスにはラーザの民に対しての責任が生じている。
なので、彼らの生きる場所として、新たな国を建てた。
(どうせ奴らは俺の言うことなんぞ聞かん。皇帝を無視する奴らなど、帝国民ではない、とか言っちゃってさあ。案外、簡単に許可してくれたんだよなぁ。やっぱりベンジーが元に戻ったのが嬉しかったのかもね)
元々、キャスが原因ではある。
が、治したことを理由に、ラーザの民が帝国を離れることを許可するようにと、キャスは、ティトーヴァに申し入れをした。
仮に、断られるようであれば「壁」のことで圧力をかけようか、とも思っていたのだが、その必要はなかったのだ。
そうしたことがあっても、キャスは、ティトーヴァへの認識を改めてはいない。
けれど、少しは「マシ」になる可能性もゼロではない、程度には思えた。
この1年、中間種を生かし、魔物の国を荒らしてもいなかったし。
(もう、あんなことは起きないようにしないと……)
犠牲になった3百人を蘇らせることはできない。
死んだ魔物も、帝国の兵も戻ってはこない。
ラフロができるのは「治す」ことであって「戻す」ことではなかった。
1度、喪われた命は、本来、取り戻すことはできないのだ。
(フィッツが例外だっただけなんだよね……私は……恵まれてるんだ……)
思った時、コンコンというノックの音が聞こえてくる。
女王と言えど、ほかの民たちより、少し大きいという程度の家に住んでいた。
まだラーザは復興中。
自分だけ豪勢な城に住みたいとは思わない。
いや、むしろ、もっと「普通」でいい、と思っている。
というわけで、ドアも木製。
頑丈な鉄扉ではないので、ノックの音も軽い。
ドアの向こうにいるのが誰なのかもわかっているし。
「どうぞ~」
ドアが開き、フィッツが入って来た。
相変わらずな服装だが、夏なので違和感はない。
じっと見つめ、なるほど、と思う。
(これか……これだったんだ。白Tが似合うカッコ良さって……)
元の世界で、会社の同僚が、そんなような話をしていた。
聞いた時には「はあ?」と思って、聞き流している。
が、こうしてフィッツを見ていると、しみじみ実感した。
シンプルな服装ほど、地の格好良さが際立つ。
「おはようございます、陛下」
フィッツが、恭しく会釈をした。
そのことに、ムっとする。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、陛下」
さらに、むむっとなった。
キャスは、ちょっぴり口をとがらせる。
フィッツの行動は、正しい。
正しくはあるが、気に入らない。
「私しかいないのに、なんで、陛下なのさ」
「陛下は陛下ですので」
「そりゃあ、そうだけど! でも、2人だけなんだし……」
もう少し砕けた口調でもかまわないのではないか。
そう言いたくなってもしかたがなかった。
魔物の国ではともかく、ラーザ国ができてからというもの、フィッツはキャスをほとんど愛称で呼ばずにいる。
(人目があるんなら、わかるよ? フィッツが、ティニカしてなきゃいけないっていうのはね。じゃないと、傍にいられなくなっちゃうからさ)
以前、言われていたが、ティニカには、ヴェスキルの継承者に対する使命があるため「傍にいる権利」を有しているのだと。
つまり、キャスがヴェスキルの継承者でない、または、フィッツがティニカではない場合、いずれも「傍にいる権利」がなくなる。
少なくとも、ラーザでは、そういう「法」のようなものがあった。
だから、フィッツは、ティニカではないが「ティニカしている」のだ。
それは、わかっている。
だが、どうにも、よそよそしく感じてしまう。
(どうせ、誰も見てないのに……ケーチ、フィッツのケチケチケーチ)
心の中で、ふてくされた。
自分で選んだこととはいえ、これは「想定外」だ。
キャスとしては、フィッツと、もっと近い距離でつきあいたい。
(だいたいさ、フィッツ、気づいてないからね。そういうところは、前と変わってないからね。自分のことには鈍いんだよ、フィッツは!)
内心が、かなり表情に出ているのだが、キャスは、それこそ気づかずにいる。
感情が淡泊だった頃は、内心が表情に出ることはなかったし、指摘されることもなかったので、自覚がないのだ。
キャスの感情は、以前に比べ、めっきり豊かになっているというのに。
「陛下」
フィッツが、つかつかっと近寄って来る。
途端、心臓が、ばくっとした。
内心でふてくされていたのも忘れる。
キャスは、こういうことに、慣れていない。
なにしろ、フィッツが「初恋」なのだ。




