未知の覚悟 2
ティトーヴァは、ようやく帝都に帰りついていた。
行きよりもひどく、5日以上かかっている。
魔獣に襲われはしなかったが、食糧と水の調達に手間取ったのだ。
おかげでと言うべきか、知らなかったことを知ることになった。
(……よもや魔獣が食べられるとは……しかも、缶詰より美味かった……)
少しショックだ。
生死がかかっていたので、美味く感じられたのだ、と思うことにはしている。
が、また食べたくなるような味だったのは否めない。
魔獣が食べられるらしいと言ったのは、ティティだ。
魔物の国で、食事として出されていたのだという。
帝国の領土に入り、地下通路を使って、ティトーヴァは帝都に戻っている。
体調不良を口実に、私室には誰も入らせていない。
セウテルは、理不尽に医療管理室を責めることになり、さぞ困っただろう。
今後、多少は、医療管理室の予算を増やしてやらなければ、と思っていた。
なにしろ「仮病」で10日以上も帝都を空けたのだ。
そして、潜むようにして私室に戻っている。
いつ戻っても大丈夫なように、毎日、セウテルに窓の開閉を行わせていた。
1時間以上、開いていると、監視室から警告が入る。
部署により、警告までの時間は異なるが、皇帝の私室は別だ。
すぐに、セウテルに報告される。
もっとも、セウテルはティトーヴァが皇宮にいないことは知っていた。
なので、警告を無視することはできたのだが、頻繁に警告が入れば、さすがに、情報統括部から「報告」を要求される。
そのため、あらかじめ開閉時間を決めていた。
体調不良の皇帝のため、1日1回、30分程度、室内の空気を入れ替えている、という名目だ。
(セウテルには、面倒をかけたな。だが……こうなると、セウテルしか信用できる者がおらん……)
ベンジャミンの中には「魔人」がいる。
ゼノクルもそうだった、とカサンドラに言われた。
アルフォンソは、罪人としてセウテルが捕らえているはずだ。
ティトーヴァには、寄り添ってくれる者は誰もいない。
その中で、少なくともセウテルは「皇帝に忠実」という意味で、信用はできる。
(確かに……ベンジーの時と、今回……やりざまが似ている)
ベンジャミンは、ティトーヴァのために、カサンドラを殺そうとしたようだ。
当時の自分を振り返ると、有り得ることだと感じた。
カサンドラを追うためなら帝位を捨ててもかまわない、とティトーヴァは思っており、ベンジャミンは、それが現実になることを危惧したのだ。
そこを、ロキティスに利用された。
要は、ベンジャミンのティトーヴァに対する「思い」が原因となっている。
今回も、それに似ていた。
アルフォンソの、兄への「思い」が原因なのだ。
同じ「魔人」が企てたことなら、納得できる気がした。
チェスの駒運びにも、それぞれ「癖」が出る。
得意な戦法もあれば、不得手な戦法もあるものなのだ。
その「魔人」は、精神干渉などしなくても、人を操れる。
(人を、というより、人の心を操るのが、そいつの得意とするところか)
ゼノクルには、すっかり騙されていた。
操られていた、とさえ言えない。
心を動かされたのだ。
魔人であるはずなのに、人の感情や心を読むのが上手いのだろう。
ティトーヴァは、ファツデを起動し、窓の桟にワイヤーを引っ掛ける。
しゅるっと、体を引き上げ、窓の上に降り立つ。
夜半、前もって、この辺りの警備を緩めている時間帯だ。
中で、セウテルが待っているのは、わかっていた。
いつティトーヴァが戻るかと心配し、眠ることもできずにいたかもしれない。
しゅるん。
窓の上に立ったまま、ティトーヴァはワイヤーを下に伸ばした。
下にいた者の体に、くるんと巻きつけ、引き上げる。
ちゃんと立っているのを確認してから、ワイヤーを外した。
そして、開いた窓から、中に入る。
顎で、ついて来いと、後ろに示した。
「陛下……っ……ご無事で、なによりでございます!」
セウテルは、やはり待っていたのだ。
即座に跪き、頭を下げる。
安堵の様子が、ありありと見て取れた。
「心配をかけたな、セウテル。思いのほか、移動に時間がかかった」
「それは夏場で…………陛下……その者は……」
「かまうな。時間がないのだ、セウテル」
「は! かしこまりました」
ティトーヴァの後ろで、ティティは小さくなっている。
どうしたらいいのか、わからずにいるのだ。
皇宮の者たちとは違い、自らの立ち位置など意識したこともないだろうから。
「……ベンジャミン・サレスの監視は?」
「申し訳ございません、陛下」
「逃げられたのだな」
「陛下が出立されて間もなく、姿を消しております」
あの日、ティトーヴァは、ベンジャミンを訪ねた。
そのあとから、監視をつけさせている。
ティトーヴァがサレス邸を出たのと入れ替わりに、アルフォンソがやってきた。
そこまでは、ティトーヴァも把握している。
サレス邸を出たアルフォンソは、ルティエ侯爵家には戻らなかった。
それは、なにも珍しいことではない。
帝国騎士団の隊長には、別途、皇宮に執務室があるのだ。
たいていは、そこで寝泊まりしている。
そこに、親衛隊を踏み込ませた。
ほとんど抵抗もできないまま、アルフォンソは捕縛されている。
証拠と証人は押さえていたため、アルフォンソについては手続き通りだ。
だが、ベンジャミンは、そうはいかなかった。
ティトーヴァの「感覚」だけでは、証拠にならない。
アルフォンソのしたことに関与していたかどうかも不明。
そんな状態で捕らえたりすれば、サレス公爵家も黙ってはいなかっただろう。
ティトーヴァは、貴族たちを粛清したが、正当な理由あってのことだ。
ベンジャミン・サレスは、自分の友「ベンジー」ではない。
などと言えば、頭が変になったと思われ、反発されるに決まっている。
サレス公爵家は、帝国貴族でも高位の貴族だ。
皇帝の「理不尽」に、追随する貴族も出てくる。
かと言って、すべての貴族家を血に染めるわけにもいかない。
こればかりは、セウテルにも「実際のところ」は話せずにいた。
どんなに皇帝に忠実だったとしても、信じてはもらえないと思ったのだ。
そのため、どうしても、単独行動が必要だった。
確証があれば、ベンジャミンを「ベンジー」として扱う必要はなくなる。
ティトーヴァの気持ちの問題としても、振り切ることができる。
友としてではない対処の方法を考えられるのだ。
「帝国全土を捜索範囲としておりますが、未だ消息はつかめておりません」
「簡単には見つからんさ」
「アルフォンソ・ルティエの捕縛中、すでに姿を消していたようです」
硬い口調でセウテルが言う。
これもセウテルには言えないが、相手は「魔人」なのだ。
しかも「人を読む」のを得意としている魔人だ。
すぐにではなかったものの、ティトーヴァの嘘に気づいたに違いない。
(そうか。ゼノクルにも、同じ魔人が入っていた。セウテルであれば、見つけ出せないはずがない、と察したのだな)
いったい、その魔人は、いつから「ゼノクル」だったのか。
ベンジャミンになったのは、目覚めてからなので日が浅い。
けれど、ゼノクルが、いつ魔人になったのかは、想像もつかなかった。
公の行事で会うこともあったし、それなりに会話もしている。
突然に変わったのなら、ベンジャミンの時と同様、違和感をいだいたはずだ。
「とにかく、急いで探せ。なにを言われても、聞く耳を持つな。だが……殺してはならん。生かして捕縛するのだ」
「かしこまりました。必ずサレス卿を、帝都にお連れいたします」
セウテルは、ティトーヴァに気遣い「捕まえる」とは言わずにいる。
ティトーヴァの心中が穏やかではないことを察しているらしい。
ちらっと、セウテルは、ティティを一瞥したあと、ティトーヴァに深く会釈して出て行った。
「おそらく、見つからん」
言いながら、私室のソファに、どさっと体を落とす。
ゆっくり湯につかりたかったが、体を動かすのもだるかった。
ソファの背もたれに首を乗せ、頭をそらせる。
その視界に、ティティの突っ立っている姿が映った。
「お前も、こっちに来て座れ」
「で、ですが……ソファが、汚れます……」
「俺が座った時点で汚れている。掃除をする仕事がなければ、その者は食い扶持を失うのだ。汚すのが親切になることもある」
「……皇宮とは……不思議なところですね……」
そろそろと、ソファに近づき、ティティが、ゆっくりと腰をおろす。
沈む感覚に、びっくりしたように、目をしばたたかせていた。
当然だとは思うが、こういう場所は初めてに違いない。
アルフォンソからの報告では、ほとんどの中間種は、倉庫のような場所に、隔離されていたと聞かされていた。
壁は堅固で、狭い室内に押し込められていたそうだ。
その上、すべての部屋は錠前で硬く閉ざされていたという。
「魔物たちを返すとなると、また、うるさく言われるのだろうな」
「貴族、ですか?」
「魔物が攻めてきたらどうすると、大騒ぎになる」
「……攻めて来ない、と思います……」
「俺も、そう思う。向こうは、人になど関りたくないのだ」
カサンドラは「この国に関わるな」と言った。
魔物は人との関わりを望んでいないから、だ。
「へ、陛下は、ご存知では、なかったのですから……」
「俺は皇帝だ。知らんでは、すまされんこともある」
「よけいなことを言って……すみません」
「かまわん。よけいなことでもない」
往復で12日ほどの時間を、ティティと過ごしている。
行きより、帰りのほうが、気にかけていたとの自覚はあった。
食糧と水を分け合った仲でもある。
ティティは遠慮していたが、同じものを食べるよう言ったのだ。
「ティティ、元の姿に戻ってみろ」
「……ま、魔力は尽きていません。食事もしていたので、隠し続けられます!」
「俺が、お前を切り刻むと思っているのだろ?」
そう思うのも無理はない。
ティトーヴァは、行きの道中、魔物を罵ってばかりいた。
中間種を見下す態度で、取るに足らない存在だと言い放ったこともある。
「お前本来の姿を、ちゃんと見ておきたいだけだ。殺したりはしない」
ティティは、不安そうにしつつも、ティトーヴァの言うことに従った。
髪の色や体つきは変わらず、頭に2本の角が出てくる。
瞳は銀色、瞳孔が赤く変わっていた。
角を不快に感じていたので、最初は、瞳までは気づかなかったのだろう。
「さほど違いはないな。ほかの者がいる時は注意が必要だが、俺だけの時は、その姿でかまわん。楽にしていろ」
予想以上に「不快」は感じずにいる。
意思疎通ができ、危害を加えようとするどころか、ティティは、ティトーヴァを気遣ってばかりだ。
カサンドラの「人と同じように」という言葉を、実感していた。
(中間種と言っても……人と変わりないではないか……なにも、変わらんのだ)




