未知の覚悟 1
ザイードの部屋に寝かされているフィッツを、キャスは見つめている。
ザイードは、狭くてもかまわないと言い、フィッツの部屋を使っていた。
フィッツは、まだ目覚めない。
あれから、また5日。
フィッツの傍に、キャスはいる。
時々、胸に頬をあて、呼吸を確かめていた。
鼓動や胸の上下する様子に、少しだけ安心して、時間が経つと、また同じことを繰り返している。
「フィッツは、まだ目覚めぬか」
ザイードが部屋に入って来た。
キャスの隣に正座する。
腕組みをして、フィッツを見ていた。
ザイード自身、まだつらいだろうに、と思う。
キャスだって、なにひとつ割り切れてはいない。
3日前、犠牲になったものたちを、弔ったばかりだ。
シュザが庇ったからなのか、ノノマの鱗が硬かったからなのか。
ほかのものたちより、ノノマはノノマとして判別できる状態だった。
けれど、遺体はコルコの炎で焼かれ、灰も残っていない。
魔物の弔いとは、そういうもののようだ。
人との戦いで犠牲が出た時、キャスは「弔い」には加わらずにいた。
キャスの身近なものたちは、無事だったからだ。
そのことに安堵していた自分が、後ろめたかった。
だが、今回は、最も身近だったものが犠牲になっている。
ノノマを見送らずにはいられなかった。
「シュザ……あんなに気弱なくせに……」
「臆病ではあっても、大事なものを守るのが、ガリダの男ぞ」
「守ってましたよ、ちゃんと……」
キャスは、その光景を見ている。
シュザがノノマを庇う姿だ。
勇気などという言葉で、ひと括りにはできない。
いろんな想いが、そこにはあっただろう、と思う。
「最初に会った頃のこと、覚えていますか?」
今度は、キャスがザイードに問うた。
フィッツを喪い、打ちのめされていた時のことだ。
ザイードに言われた通り、助けられたのを迷惑に感じていた。
なので「生きなければならない」と言われ、腹が立ったのだ。
「その時に、ザイードが言ってくれたことを、思い出しました」
「死は、肉体の滅びだけに非ず。誰の記憶からも忘れ去られた時にこそ、真の死が訪れ、どこにもおらぬようになる。まるで生まれて来てもおらぬように、その命も生もなかったことになる、なぞと言うたのではなかったか」
「そうです。だから、私は生きていなきゃいけないんだって思いました。忘れたいと思うのは、私の甘えや弱さで、逃げてるだけだって言われましたからね」
「それは……ちと厳し過ぎたと、余も反省しておるのだ」
キャスは、小さく笑う。
ザイードが、声をひそめて、申し訳なさそうに言ったからだ。
キャスもザイードも、心は、悲しみと寂しさに満ちている。
それをお互い知っているので、嘆きの中でも、こういうやりとりができるのだ。
悲しみをわずかにでも紛らわせるための笑みであり、軽口だと、わかっている。
その日、ザイードから聞かされたのは「魔物の理」だったのだろう。
だからこそ、厳しかった。
なのに、優しかった。
今なら、わかる。
その意味も、魔物の強さも。
『ずっと、悲しんでおればよいではないか。嘆き続けておればよいのだ。日々、思い出して、泣けばよい。時が経てば、悲しみが癒えるなぞとは言わぬ。いつまで経っても、つらいものはつらかろうし、悲しかろう。だが、そなたの想いだけが、そのものを生かすのだ』
きっと、今、ザイードも同じ気持ちでいる。
ラシッドを忘れはしないし、ずっと悲しみ続けるのだろう。
時が経っても、その悲しみは癒えず、いつまでも悲しみは残り続ける。
それでも、ザイードが覚えているから、ラシッドも生きていられるのだ。
産まれてきたことも、そこにいたことも、消え去りはしない。
だから、キャスも、ノノマやシュザ、ラシッドを忘れずにいる。
ずっと悲しいし、思い出すたびに泣くだろうけれども。
(元の世界だと、悲しみ続けてても死んだ人は喜ばないって台詞、よくあったな。でも、なんでそんなことわかるんだろって思ってたっけ)
そのせいか、どこか納得できていなかった。
死んだ人が見ていたら、自分が忘れ去られていくのを、本当に肯とできるのか。
自分を忘れて幸せになれて良かった、という思いがあったとしても、寂しくないはずがないのに、と思ったのだ。
人は、人の想いを勝手に解釈する。
こう思っているはずだとか、そんなことは望まないだとか。
わからない人の想いににまで、平気で踏み込む。
それが、なんだか嫌だった。
相手が死んでいて肯定も否定もできない中で解釈づける、その無神経さが。
けれど、ザイードに言われた言葉は、心に落ちてきたのだ。
フィッツが、どう思っているかはわからないし、関係ない。
その前提で、ザイードは話している。
そして、キャスの「嘆き」を受け止めてくれた。
あっていいものなのだ、と。
キャスがいだいていた悲しみや嘆きを、1度も否定しなかったのだ。
逆に、死んでそこから逃げようとするのは、甘えと弱さだと言われた。
あの日から、キャスは、1日、もう1日と、命を繋いでいる。
死にたくはあったが、意味のある死を望むようになった。
そして、今はもう、死にたいとは思っていない。
生きよう、と思っている。
たとえ、フィッツが、このまま目覚めなかったとしても、だ。
自分には覚えておきたいものたちがいる。
生きていなければ、覚えていることさえできないのだ。
「なるべくしてなった、とは、やっぱり思えませんけど……でも、私たちにできることは、ひとつしかありませんから」
「そうだの」
行き止まりが見えたら、別の道に進む。
来た道を引き返すことはできない。
前に進んでいるのか、遠回りをしているのか、それだってわからない。
それでも、命という名の道を歩いて行く。
「あいつから、まだ連絡が来ないんですよ」
ふっと、キャスは話題を変えた。
次の道を、彼女は選んでいる。
また行き止まりかもしれないが、選んだ道の先は、まだ見えない。
「使者から奪った通信機か?」
「奪ったなんて……提供してもらったんです」
「さようか。そういう言いかたもあろうな」
ティトーヴァが連れていた中間種は「エイティ」と呼ばれていたはずだ。
キャスは、ナニャから、そう聞いていた。
それが、帝国で使われている「番号」だと知っていたが、説明はしていない。
元の世界での英語と似た発音ではあっても、実際には少し違う。
発音として、そう聞こえているに過ぎない。
(ロキティスは、番号で呼んでたんだろうな)
あの中間種は、最初にイホラのものに名を訊かれて、そう答えているのだ。
それが「名」だと思っていたのに違いない。
だが、ティトーヴァは「ティティ」と呼んでいた。
魔物の絶滅を口にしていた男が、と思わなくもない。
「帰るのにも、苦労しておるのではないか?」
「来るのに、5日かかったみたいでしたね」
「あの男なれば、魔獣に食い殺されることはなかろうがな」
「とりあえず、今は食い殺されては困ります」
ティトーヴァには「約束」を守ってもらわなければならないのだ。
一方的にした約束だが、ティトーヴァは承諾した。
帝国にいる魔物たちを解放する日が決まったら、連絡が入る予定になっていた。
なので、その約束が果たされるまで、死んでもらっては困る。
「しかし、あの男、単独で来ずとも、護衛くらいつければよかろうに」
「つけられなかったんですよ」
「皇帝がか?」
「皇帝だから、ですね」
ティトーヴァは、帝国の皇帝だ。
ザイードの言うように、通常、皇帝が単独で動くなど有り得ない。
警備も厳重だし、常に親衛隊に取り囲まれている。
どうやってセウテルを説得したのか、わからないほどだ。
「人には魔力が見えません。それに、聖魔に精神干渉を受けることは知ってても、体を乗っ取られることがあるなんて知らないんですよね。おまけに、壁ができて、聖魔は入って来られない」
「知っておる者が知らぬ者になったなぞ、頭がイカれておると思われるか」
「そういうことです。皇帝の頭がおかしくなったなんて、一大事ですからね。かと言って、証拠も見せられませんし……それに、あいつ自身、確証がないと認められなかったんじゃないかと思います」
ボロ小屋で不機嫌そうな顔をしながらも、いつもティトーヴァについて来ていたベンジャミンを覚えている。
ティトーヴァも、ベンジャミンには気楽に話していたようだった。
ベンジャミンが自分の知る「ベンジー」ではないと確信しつつも、ティトーヴァは、どうしても「確証」がほしかったのだろう。
だが、それを知っているのは、キャスだけだ。
おまけに、具体的な内容は、セウテルにさえ話せない。
頭がおかしくなったと医療管理室に連れて行かれかねないし、少しでも外に漏れれば、帝国自体が揺らぐ。
直轄国の統治が安定してきたとはいえ、盤石ではないはずだ。
属国が手を結び、反旗を翻す可能性もある。
だから、どうしても極秘で、しかも単独で、ティトーヴァ自身が来なければならなかったのだ。
政治というのは、本当に厄介なものだ、と思う。
「皇帝となれど、さような労をかけねばならぬのか。人というのは、ようわからぬ生き物だの。無駄なことばかりしておる」
「そうですね。とても窮屈で、狭い世界で生きているので……」
人は小さい頃から、無意識に「異端」を嫌うところがあった。
多数を正とし、少数を認めないことが多い。
ゼノクルの言う通り「みんな」の意思で、世界を動かしている。
が、その「みんな」とは誰のことなのか。
おそらく誰も知らない。
キャスは思う。
人と魔物の理は違うのだ。
けして、共存は、できない。




