人であり人でなし 3
魔物の国を出たのは、陽が落ちかけた頃だった。
話すことがなくなった途端に追い出されたからだ。
食事どころか、水の1杯も与えられていない。
だが、怒る気にもなれずにいる。
アルフォンソがしたことは、明らかな停戦協定違反だ。
帝国の皇帝として、魔物の子を返すと約束をしている。
その約束を勝手に違えた。
それ以上に、ティトーヴァの承服できるようなことではなかった。
『人間で言えば、まだ4,5歳の子供だったんだよ?』
カサンドラの言葉が耳に残っている。
言われるまで、ティトーヴァは、魔物の子を「子供」だと思っていなかった。
魔物に感情があるのは知っていても、自分たちと同じだと考えたこともない。
厭わしい、下等な生き物だと認識していたからだ。
カサンドラが攫われたと思っていたこともあり、危険があるなら、むしろ、排除するのが当然だと思っていた。
絶滅させたところで、誰も困らない。
躊躇う理由がなかったのだ。
(子供……子供、か……)
ずきっと、頭が痛む。
カサンドラに「攻撃」されたことを思い出した。
もっと憎しみがわいてきてもいいはずなのに、なぜか胸が痛む。
カサンドラは、聖者との中間種。
自分が彼女にいだいた感情は、精神干渉を受けたものだったのかもしれない。
現に、彼女はベンジャミンを「壊して」いる。
とはいえ、それでは辻褄が合わないのもわかっていた。
カサンドラが皇宮を逃げ出したからだ。
攫われていたのだとすれば、自分が操られていた可能性も有り得る。
カサンドラ自身は望んでいなかったが、皇宮を出ざるを得なかったのなら、だ。
ティトーヴァに執着心をいだかせ、皇后の座におさまろうとしていたが、攫われたがために予定が狂ったのだと説明がつく。
だが、彼女は自分の意思で、皇宮を逃げた。
ティトーヴァに執着心をいだかせる意味など、まったくない。
そんなことをすれば、逃げ出しにくくなることは、わかりきっている。
カサンドラにとっては、ティトーヴァが無関心だったほうがよかったはずだ。
皇宮にいた頃のカサンドラの言動を思い返しても、わかる。
彼女は、常にティトーヴァには無関心だった。
好意を寄せられるのを迷惑がっていたのも知っている。
ティトーヴァが、ここに至るまで認めたくなくて、認めずにいただけだ。
(……もう会うことはないのだろうな……俺は、本当に、お前が好きだったのだ、カサンドラ……俺の隣には、お前にいてほしかった……子供を持ち、家族を……)
また頭が、ずきりと傷む。
同時に、胸の奥も、じくじくと痛んでいた。
なぜかは、わからない。
けれど、ひどく悲しかった。
まるで、魔物の子の死を悼んででもいるかのようだ。
そんなはずはないのに。
「へ、陛下……」
声に、顔を上げる。
夜が更けてしまったので、砂漠で野宿していた。
なにをする気力もなく、テントも張っておらず、火も焚かずにいる。
野宿といっても、ただ砂漠にある岩の上に座っていただけだ。
「こ、これを、どうぞ」
聖魔避けに連れて来た中間種。
ティトーヴァは、その中間種を自分の子供時代の愛称で呼んでいる。
とはいえ、ティトーヴァを愛称で呼んだのは自死した母だけだった。
ティトーヴァは、ティティに視線を向ける。
魔物の国では見せていた「角」はない。
帝国を出る際、角を見て、ティトーヴァは顔をしかめた。
不快だったからだ。
気づいたのか「魔力を使って角を隠せる」と言ってきた。
迷わず「そうしろ」と、命じている。
それを覚えていてティティは、角を隠しているのだろう。
こうして見ると、中間種だとは気づかない。
ただの赤毛の少女に見える。
肩下まである長い、まっすぐな髪に、茶色の瞳。
気になるとすれば、赤いようにも見える瞳孔くらいだろうか。
ティティが差し出しているのは「缶詰」だった。
着くのに5日もかけてしまったため、食糧は少なくなっているはずだ。
急いでいたこともあって、必要最低限の荷物しか持って来ていない。
食糧も、正直、2人分とまでは言えない量だった。
元々、中間種に食べさせるのは、少量でかまわないと思っていたからだ。
動くことさえできればいい、という程度に考えていた。
所詮、聖魔避けのためだけの存在だ。
場合によっては、見捨てるつもりでさえいたのだけれど。
「それは、お前の分だろう」
渡された少ない食糧を、ティティが大事に少しずつ食べていたのを知っている。
帰りの分として残しておいたに違いない。
ティトーヴァも食糧がないわけではないが、残り少ないのはわかっていた。
魔物の国で、少しくらいは調達できると見込んでいたからだ。
停戦協定中だと思っていたし、惨事が起きているとも知らなかったので。
「わ、私は食べないことに慣れてます。それに……中間種ですから、食べなくても帰る分くらいの体力は、あります」
ティトーヴァは、思い出す。
最初に使者として魔物の国に行かせた時のことだ。
食糧もなにも持たせず、壁の外に追い出したと聞いている。
まだ雪解け前だったはずだ。
(雪で飲み水は賄えただろうが……食べ物はどうしていたのか……)
魔物の国との通信ができれば、それでいい。
使者というより通信機代わり。
帰りのことなんて知ったことではなかった。
野たれ死んでいても、気にはしなかっただろう。
次の交渉には、別の中間種を使えばいい。
どうせ魔物を絶滅させる時には始末する者たち。
そんな意識しかなかったのだ。
「俺に媚びても、お前の待遇は変わらんぞ」
「わかっています。でも……陛下に食べていただきたいので……」
「なぜだ? 待遇も変わらんのに、諂う必要があるか」
「陛下は、まだ1度も私を殴ったり蹴ったりしていません」
「は……? なにを馬鹿な……」
言いかけて気づく。
ティティは、中間種なのだ。
捕らえられてから、いや、それ以前から、無意味に暴力を受けていても、少しも不思議ではない。
ティトーヴァは、不快だったり格下の相手だったりしても、無闇に暴力を振るうことを肯とはしていなかった。
それは性格によるもので、ある意味では、自尊心のためとも言える。
だが、全員が、そうした意識を持っているわけではない。
「それに……名を呼んでくれます」
ティティが、少しだけ微笑んだ。
媚びる笑みとは違う。
名とは「個」を現わすもので、人同士であれば、当たり前に呼び合っていた。
しかし、ティティに与えられていたのは「番号」だ。
監視室の情報と同じ、管理するためのものであり、名ではない。
ティトーヴァは、岩場から降り、荷袋から小型の湯沸かし器を取り出す。
湯を沸かせると同時に、簡易的な火器としても使えた。
こちらも残り少ない水を、その中に入れる。
「缶詰を寄越せ」
差し出した手に、缶詰が置かれた。
それを開け、湯気が上がり始めた器の中に入れる。
粉末の調味料を入れ、缶詰の中身を煮た。
ティティに渡された缶詰は、質の悪い肉だ。
ティトーヴァのものとは違う。
「調味料があって、火を加えるだけでも味が良くなる」
まだ皇太子だった頃、カサンドラから「栄養バランス」の話をされた。
手配はベンジャミンに任せたが、報告は受けている。
のちに、調理室に自ら足を運んでもいた。
視察という扱いだったので、見て回っただけだが、それでも調理人たちが、どう料理をしていたかは記憶している。
くつくつと音をたてている「肉入りスープ」のような物を、カップ2つに分けて入れた。
ひとつを、ティティに渡す。
スプーンはないが「スープ」的なものなので、困りはしないだろう。
「食べろ。それは、お前の分だ。途中で行き倒れられては迷惑だからな」
「あ、ありがとう、ございます、陛下」
「礼などいらん。元々、お前の食糧だ」
両手でカップを持って、ティティが口をつけるのを見てから、ティトーヴァも、それを口にした。
美味いとは言い難いが、缶詰をそのまま食べるよりはマシだったはずだ。
調味料と熱のおかげで、かなり味が調えられている。
「お前、歳はいくつだ」
「20歳です、陛下」
危うく、スープを吹き出すところだった。
ティティは、どう見ても、16,7歳という風貌だ。
体も小さくて細いし、顔立ちも幼かった。
とても20歳には見えない。
「中間種とは、そういうものなのか? 歳より若く見える体質をしているとか」
「わかりませんが……あのかたに気に入られていた者は、もう少し大きかった気がします。食事の量も回数も違っていましたし」
「あのかた、というのは、ロキティス・アトゥリノのことだな」
名を出しただけで、ティティが、黙ってスープを飲み始める。
指先が少し震えていた。
中間種にとって、ロキティスは「暴君」だったようだ。
さっきの「殴ったり蹴ったり」は、ロキティスのしてきたことなのだろう。
「もう気にするな。お前を殴ったり、蹴ったりする奴はいなくなった」
「……そう、なんですか……?」
「俺が殺したからな。死刑に処したのだ」
その言葉に、ティティが、びくっとする。
安心するかと思ったのに、顔には怯えの色が広がっていた。
ティトーヴァは、ふっと息をつく。
あんな放り出しかたをしたのだから、ティティにもわかっていたに違いない。
用済みになれば「殺される」のだと。
「生きたいか、ティティ」
「……死にたいとは、思いません」
「そうだな。確かに、それは、そうだ」
死にたくて産まれてくるものなどいない。
殺されるために産まれてくるものはいても。
「俺も死にたくはない。明日は食糧と水の確保が優先だ、いいな、ティティ」
ティトーヴァの傍には、誰もいなかった。
いなくなってしまった。
いるのは、ただ必死で生きようとしている「ティティ」だけだった。




