悠々の季節 3
あれから3ヶ月。
まだ動きはない。
雪はとっくにとけ消え、夏が近づいていた。
家の外からは、子供たちの声が聞こえる。
ガリダで半月ほど過ごし、子供たちは、それぞれの種族に引き取られていった。
今、ガリダにいるのは、ガリダの子供たちだけだ。
子供たちの声に、カサンドラたちの声も混じっている。
表で遊んでいるのだろう。
ザイードにノノマ、シュザもいるようだ。
やはりカサンドラは、皇宮にいた頃とは見違えるほど変わった。
生き生きと、闊達になっている。
関りを持つのを嫌がらず、誰かに頼ったり、相談したりするようにもなった。
その相手は、フィッツだけではない。
ボロ小屋で過ごしていたカサンドラには、フィッツしかいなかった。
食事の世話をするのも、まともな会話をするのも、フィッツだけだったのだ。
2人だけの暮らしが、あそこにはあった。
だが、彼女の感情は単調で、フィッツとも距離を取っていたと知っている。
自分自身でさえも、突き放しているように感じられた。
今も、フィッツとの距離は保っている。
違うのは、感情が豊かになったことだ。
笑い声も聞こえるようになった。
フィッツは、カサンドラが声を上げて笑うのを、あまり見たことがない。
とくに、晴れ晴れとした笑い声は、滅多に聞けなかった。
時々、自分の言ったなにかに対し、面白そうに笑うことはあったけれど。
ともかく、カサンドラは変わったのだ。
その変化に、自分は、いっさい関与していない。
フィッツは、そう思っている。
自分が死んでいた間に彼女が訪れた、この魔物の国が変えたのだ。
死んでいた自分に、なにができただろう。
なにもしていない。
思うと、自分の存在が、とてもちっぽけなものに感じる。
役に立っているのかも、曖昧になることがあった。
いれば便利だという程度では、役に立っているとは言い難い。
そのせいだろうか、と思う。
以前、ザイードに「備え」は自己満足に過ぎないと語ったことがあった。
カサンドラに置き去りにされたくなくて、必死なのだと。
彼女に置き去りにされたのではないと知っても、その思いは残っている。
望まれて生き返ったのだとわかっているのに、消せない。
彼女の周りに、親しい者が増えたからだ。
フィッツは、自分が、その範疇にいないのを知っている。
ティニカは、ヴェスキルに従う者。
親しい者とは成り得ない。
当然のことであるにもかかわらず、落ち着かない気分になったりした。
存在意義が失われていく気がするのだ。
彼女を守るのは、フィッツだけの役目ではなくなっている。
彼女の隣には、ザイードがいた。
自分より、近い距離にいることにも気づいている。
フィッツには話していないことも、ザイードには話しているからだ。
(姫様に必要とされたいなどとは、おこがましいな)
カサンドラは、フィッツが隣に控えていないことに慣れ始めている。
最初は、どこに行っていたのか、なにをしていたのか、などと訊かれていたが、最近は少なくなった。
家に帰らずにいても、心配する様子はない。
身の安全が確保されているからだろう。
フィッツは、自分の部屋に1人でいる。
外は賑やかだが、室内は静かだ。
昼食後は、ノノマやシュザが来て、カサンドラと一緒に家を出る。
ついて行くのは、フィッツではなくザイードになっていた。
子供と遊ぶのは、ザイードのほうが得意だ。
フィッツは、どう相手をしていいのかも、よくわからない。
皇宮に入る前、まだ帝国の裏街で暮らしていた頃、時々、売り子をしている子供と、話したりすることはあった。
だが、それだけだ。
遊んだりした記憶はないし、子供との遊びかたなんて教わっていない。
ティニカで学んだのは、子供とのつきあいかたや、あしらいかただった。
遊ぶ、というのとは違う。
カサンドラも、当時は、それほど積極的に子供と関わっていなかった。
どちらかと言えば、控え目で大人しい性格で、言葉数も少なかったのだ。
1日の大半の時間を、母親である女王と過ごしていた。
フィッツは15歳から6年間、一緒に暮らしていたが「親しく」してはいない。
王女と親しくなろうと思ったことも、考えたことすらない。
(姫様を守り、お世話をするのが、私の役目だ。それ以上ではない)
繰り返し、自分に言い聞かせている。
必要かどうかは、カサンドラが決めるべきことなのだ。
不要とされるのなら、死ねばいい。
それが「ティニカ」だった。
フィッツは、意識を切り替える。
連絡がないのは、状況として悪くない。
皇帝は、まだ銃撃をして来た男の身元を突き止めていないのだ。
きっと諦めることなく探している。
皇帝が動いている間は、アルフォンソは動けない。
であれば、カサンドラへの復讐も棚上げにせざるを得なくなる。
もしかすると、諦める可能性もあった。
アルフォンソという人物を知らないので期待はしていないが、それはともかく。
少しでも、彼女への危険が減るのであれば、そのほうがいい。
フィッツは、明るい彼女の笑い声を心地いいと感じている。
泣くのを堪え、声を震わせているより、ずっと。
(もう少し、確実な方法が取れれば、よかったのだがな)
銃を渡したことに、ザイードは最後まで納得しなかった。
その考えは、理解できる。
フィッツも、より危険なほうを防ぐとの判断で、決めたことからだ。
皇帝に、カサンドラの出自や力が知られる危険性。
カサンドラの命が、再び狙われる危険性。
フィッツとしては、後者の危険性の比重を鑑み、優先した。
前回は、交渉日前後を狙ってくるだろうと予測できたが、次は予想が難しい。
いつ、どこで、どういうふうに狙ってくるかが、わからないのだ。
帝国の内部情報が少な過ぎて、想定がしづらかった。
銃を渡し、皇帝が犯人捜しをしている間は、時間が稼げる。
それとともに、フィッツは、銃に仕掛けをしておいたのだ。
調査のため、銃を分解するのは明白。
なので、分解した場合に、一瞬、作動して消滅する「信号」を部品につけた。
その「信号」は、ティニカだけが拾える。
ティニカは、それをもって、動き出しているはずだ。
ティニカ自体がなにかをするわけではないが、確実に連絡を取っている。
守護騎士であるエガルベに。
(姫様は、アイシャ・バレスタン、いや、エガルベを気にされていた)
守護騎士の家門はいくつかあるが、最も信頼されていたのがエガルベだ。
その当主と前当主は、人との戦争の最中、死んだらしい。
だが、アイシャの行方はわかっていなかった。
生きているなら、連絡がついている。
たとえ囚われていたとしても、だ。
ティニカにより逃げる手段を与えられている。
それで逃げ出せないようなら守護騎士としては失格だし、どうせ役に立たない。
ほかの者に「繋ぎ」を取っているだろう。
いずれにせよ、帝国に動きがあれば、守護騎士から「連絡」は入る。
皇帝だけではなく、その周囲も監視対象だ。
(アルフォンソ・ルティエの情報がほしいところだな)
自分が動ければ早いのだが、そうもいかない。
日頃の護衛は、ザイードに任せられるとしても、魔物の国を離れられるほどには楽観もできなかった。
帝国まで足を伸ばすのなら、相応に準備が必要だ。
(それに、姫様にお許しいただけるかどうか……)
フィッツは、ティニカを動かしたことを、カサンドラに話していない。
アイシャを気にかけていた様子だったので、期待させたくなかった。
仮に、死んでいたら、またカサンドラに負い目を感じさせることになる。
生きていると分かれば、その時に話せばいいと思っていた。
少なくとも、今、彼女は、笑っているのだから。
話すことで、あえて気分を沈ませることはない。
確実性のない話をするのは、望ましくないことでもある。
アルフォンソのことにしても、想定できる範囲が限られていた。
不確実な状態での報告は、場を混乱させるだけだ。
開発施設で、仕掛けた罠が起動するまで黙っていたのも、それが理由だった。
万が一、起動しなかった場合、数値の改竄は行われない。
開発施設を叩くという目的は達成できなかった、ということになる。
罠を仕掛けたので大丈夫だなどと言い、期待させておいて、失敗すれば、期待の分だけ落胆が大きくなっただろう。
だから、起動を確認するまで、話さずにいた。
今回も、ティニカと「繋ぎ」を取れているのはわかっている。
とはいえ、アイシャが無事かどうかまではわからない。
連絡が入るまで、アルフォンソの動きも不明だ。
(このまま……連絡が入らなければいい。そのほうが……)
本当には、自分の出番なんて、ないほうがいいのだ、と思う。
それは、カサンドラが安全だということを意味していた。
ずっと命をつけ狙われ続ける暮らしなんてさせたくはない。
(……守るという使命がなくなっても、お世話をするという役目は残る)
それも、どこまで残されるかはわからないが、それでも、彼女が常に危険と隣り合わせな生活をすることを、望んではいないのだ。
『あのさぁ、フィッツ』
『はい、姫様』
そんなやりとりが、いつまで続けられるだろう。
もうずっと、そのやりとりは、されていない。
『あのさぁ、フィッツ』
耳に、彼女の声が響く。
その呼びかけに、小さく答えた。
「はい、姫様」
フィッツは、自分が微笑んでいることに、気づいていない。




