探り探られ 4
なんだかなぁと、キャスは思っている。
交渉の日まで、あと半月に迫っていた。
フィッツがスコープに手を入れてくれたので、命中率は上がっている。
とはいえ、まだ動く的に当てられるようになったという程度だ。
「どうかされたのでごさりまするか?」
ノノマが隣から声をかけてきた。
体を少し、そっちに向ける。
ちゃぷん。
泥湯が小さく揺れた。
手で、泥混じりの湯をすくいながら、溜め息をつく。
どう言えばいいのか、よくわからなかったのだ。
「なんか微妙な気分なんだよ」
「微妙というのは、備えについてでござりまするね?」
「うん……心配っていうか、不安っていうかさ」
使者が来たあと、フィッツから、ガリダが襲われる可能性について聞かされた。
魔人が湿地帯にまで入り込んでいたのを考えると、なくはない話だ。
装置については「切り札」として隠そうとはした。
とはいえ、絶対に知られていない、とも言い切れない。
「あいつが知ってるかどうかはともかく、なんだけどね」
「フィッツ様は、皇帝は囮だと話されておりましたが」
「そこなんだよなぁ。私は、ちょっと違うんじゃないかって気がしてるんだよ」
ティトーヴァが頭のいい奴だというのは認める。
だが、フィッツたちの評価が高過ぎるとも感じていた。
なにしろ魔人にコロっと騙されるような奴なのだ。
見たいもの、信じたいものを優先させる傾向がある。
「ですが、あの金色髪が知っていようがいまいが、さほど違いはござりませぬ」
「うーん……そこも微妙なんだよなぁ……」
ティトーヴァは、キリヴァン・ヴァルキアとは違うタイプの皇帝だ。
戦争に卑怯もなにもないとフィッツは言うが、だからと言って、犠牲を肯定するとは限らない。
開発施設で、ティトーヴァが、1度はゼノクルを救ったと聞いている。
「そんな、一か八かみたいなこと許すかなぁって思うんだよ。前の時に、あれだけ大勢の犠牲を出してるのにさ」
「さようなことを気にする者にござりまするか?」
「どこまでっていうのは、わからない。近しい者にだけ、情をかけてるってことも有り得るからね」
一般の騎士たちを、ティトーヴァが、どう捉えているのかは判然としない。
だから「微妙」なのだ。
「あいつもあいつで、フィッツを脅威だと思ってるはずなんだ。ガリダが襲われる可能性を、フィッツが見逃すなんて期待はしてないんじゃないかな。なのに、強硬するってことは、賭けになるんだよ。そもそも、大軍で来ることもできないし」
「戦力不足で押し切ろうとはせぬと、キャス様は、お考えに?」
「そうだねぇ。下手したら、全滅した上に、戦果ナシってことになる。それが読めないなら、もとよりガリダを襲おうなんてしないわけで……」
自分で言っていても、ごちゃごちゃしてくる。
とにかく、ティトーヴァが知っているか否かは、大きな分かれ道ではないか、と思っているのだ。
独断で動いていたベンジャミンのことも思い出す。
「皇帝のためとかってさ、勝手に動く人もいるからね」
ティトーヴァが望んでいようといまいと関係なく、独自の判断で動く者はいる。
今回がそうではないとする根拠がない。
ティトーヴァの知らないところで動いている可能性もあるのだ。
「なれば、フィッツ様も、気づいておられるのでは?」
「うーん……それがなぁ……」
非常に困ったところなのだ。
まだフィッツには話していないことがある。
つまり、情報不足が否めなかった。
フィッツは、自分がベンジャミン・サレスに殺されたことを知らない。
ベンジャミンを、キャスが壊したと気づいてはいた。
キャスも、それを認めている。
なので、ベンジャミンが皇帝の意思とそぐわないことをしたとは思っただろう。
(でも、なんでそんなことになったのかっていうのは、わかってない)
しかも、そのベンジャミンは、現状、数に入れなくてもいいのだ。
セウテルは皇帝の意思に従う。
キリヴァン・ヴァルキアに仕えていた時のように。
「あいつが交渉の場に来るなら、セウテルが一緒ってことになる」
「金色髪の護衛にござりまするね」
「そう、護衛……皇帝から離れるとは思えない。ってなると、動かせる奴がいなくなるんだよ。ゼノクルは死んじゃったし」
「指揮官がおらぬということにござりまするか?」
こくっと、キャスはうなずいてみせる。
ほんのわずかな時間ではあったが、キャスはティトーヴァと過ごしていた。
ティトーヴァには、味方をする者が少ない。
前皇帝がティトーヴァを疎んじていたせいで、側近はベンジャミンだけだった。
近衛騎士は、元々はベンジャミンが率いており、その後、ゼノクルが引き継いでいたようだ。
前回、魔物の国に来たのは近衛騎士たちばかり。
指揮を執っていたのは、ゼノクルだった。
が、今のところ、2人ともいない。
ガリダを襲いに来るとしても、誰が指揮を執るのか。
一般の兵では荷が重過ぎる。
フィッツは、ティトーヴァが囮となりつつも、セウテルが裏で指揮を執るという話をしていた。
だが、それはティトーヴァが「知っている」こと前提だ。
「やっぱり、なんか微妙なんだよなぁ……」
「気持ちが悪うござりまするか?」
「そう。そんな感じ……」
フィッツを信じてはいる。
疑ってもいない。
フィッツが言うのだから間違いないとも思ってはいた。
なのに、落ち着かない。
「しっくりこない……っていうかさ……」
キャスは、再三、悩んでいる。
フィッツの情報不足を補うべきかどうか、だ。
フィッツは些細な情報を集約し、その中で未来を想定している。
情報が多いほど精度が上がると、わかっていた。
(そのためには、フィッツが死んだことを話さなくちゃいけない……ベンジーが、独断で動いてたこととか、狙われてたのは私だったとか……)
ベンジャミンはロキティスに唆されて「カサンドラ」を狙い、そのロキティスは魔人に唆されていたと、キャスは推測している。
だが、魔人は、もういない。
ティトーヴァやセウテルを唆すような者はいないのだ。
だから、話すことを悩む。
言わなくてもいいのではないかと、思わずにいられない。
積極的に話したくなるようなことではないし。
「あの金色髪が知らぬと考えますると、兵の指揮官がおらぬようになるのでござりましょう? それでもガリダは襲われると、お考えになられまするか?」
「……フィッツが言うんだから、可能性はあると思ってるよ」
今のフィッツは、ティニカのフィッツとして最善を選べる。
つまり、最悪を避けられる、ということと、ほぼ等しい。
フィッツが備えておくべきだと言うのなら、備えておくのが正しいのだ。
そこに、ブレはなかった。
「ただ、こっちの策がね。読み切れてないかもしれない」
自分が、必要な情報を出していないせいで、フィッツの計算に狂いが生じているかもしれないとの思いがある。
交渉日まで、あと半月。
すでに、ガリダの守りをどうするか、フィッツの立てた策は動き出していた。
ちゃぷん。
揺れる泥湯を、キャスは眺める。
フィッツに目隠しをしているのは自分だ。
この泥のように、フィッツの「最善」を覆い隠している。
「キャス様は、なにかフィッツ様に、話せぬことがおありではござりませぬか? なれば、ザイード様に、ご相談なさってはいかがにござりましょう?」
「……そうだね……それもひとつ、か……」
ノノマが、心配そうにキャスを見つめていた。
薄い緑の瞳に、黄色の瞳孔。
年下の可愛らしい女の子だ。
キャスが魔物の国に来た時から、親しくしてくれている。
(駄目だ。このままじゃ……また駄目なことになる)
そんな気がした。
嫌だの、つらいだのと、自分の気持ちを優先させてきたと知っている。
逃げて来たのだ、ずっと。
ザイードに相談することはできるだろう。
きっとザイードなら、フィッツに上手く対処してくれるはずだ。
だが、それでも、もしなにかあったら。
それは自分が逃げたからに違いない。
今までも、そういうことはあった。
いろんな言い訳をしてきたけれど、もう言い訳はしたくないと思う。
自分1人のせいで、みんなを犠牲にすることはできない。
実際、こんなにも「しっくりきていない」のだ。
魔物のみんなはもとより、フィッツのことも危険に晒している。
守りたいものがあるのなら、戦わなければならない。
自分の心とだって。
(怖いだの、つらいだの言ってる場合じゃないんだよ……犠牲を出したくないのは私なんだから、ちゃんとフィッツに話さないと……また私が足を引っ張る)
もちろん恋愛話のところはカットだ。
それにより、傷ついたり、苦しくなったりするのは目に見えていた。
けれど、今、フィッツを変えるのは、危険に過ぎる。
自分の心を整理して、フィッツと向き合うのだ。
ざばっと、キャスは立ちあがる。
時間は刻々と過ぎていた。
1日1日が戦いだと思わなくてはならない。
これから作戦を変えることになるかもしれないのだから。
「キャス様?」
「ありがと、ノノマ」
ノノマが、きょとんとした様子で、首をかしげる。
なんの「お礼」か、わからなかったのだろう。
その姿に、少しだけ笑った。
「決心がついた。フィッツと話してくるよ」
悩みは尽きないが、1人でできることは、たかが知れているのだ。
時間を無駄にするより、今この瞬間に「正しい」と思うことを、する。




