等価の対極 4
ベンジャミン、もといクヴァットは、未だ医療室にいる。
ただし、個別の部屋に移されていた。
至れり尽くせりの看護ぶりだ。
きっと皇帝の「差し金」に違いない。
(いきなり元気になるわけにもいかねぇしな。鬱陶しいが我慢だ、我慢)
正直、いい迷惑だった。
自由に動き回れないので、窮屈でたまらない。
しかも、始終、人が出入りしているため、シャノンを呼べずにいる。
次に会った時には、かなり「汚れて」いそうだ。
シャノンには、リュドサイオにある、あの秘密の施設で隠れているように、言いつけてある。
食糧の心配はないが、中は薄汚れていて埃塗れ。
あげく、研究者たちの死体があるのだ。
あれから何ヶ月も経っているので、体の水分が抜けてはいるだろう。
だが、白骨化するほどではない。
(下手に、掃除なんてしてなけりゃいいがな。あいつは、モップの使いかただって知らねえ。動き回ると、よけいに汚れちまう)
せっかく、かなり「まとも」になってきたシャノン。
また汚れているかもしれないと思うと、苛々する。
シャノンは、あまり頭がよろしくない。
知恵を使ってなにかをするのは得意ではないのだ。
(よけいなことはすんなって言っといたが、よけいなことってのがわかってるかも怪しいとこだぜ。まぁ、あいつの、そういうとこがいいんだけどよ)
思っていると、足音が聞こえてきた。
ベッドの上で体を起こし、ドアのほうに顔を向ける。
痛々しげに振る舞うのが「コツ」だ。
足音から、誰が来たのかは、わかっていた。
「どうだ、ベンジー、具合は」
ベッド脇に歩み寄って来たのは、ティトーヴァ・ヴァルキア。
帝国の皇帝様だ。
連日、必ず見舞いに来る。
そして、馬鹿みたいに同じ質問を繰り替えしていた。
「まずまずです、陛下。すぐに復帰できず、申し訳ありません」
「それは気にするなと言ったはずだぞ」
なら、毎日、見舞いに来るなよ。
と、言いたくなるが、我慢した。
皇帝は、旧友の「目覚め」を、ことのほか喜んでいる。
予想以上に、ゼノクルの死が堪えていたようだ。
それはそれで、クヴァットとしては都合がいい。
多少、意味不明な言動があっても見過ごされる可能性が高まった。
「サレス卿がいてくださるだけで、陛下のお心の慰めとなりましょう」
「その通りだ、セウテル。ベンジーと、再び話ができることが、なによりだ」
あれ?と、クヴァットは心の中で首をかしげる。
この2人は、これほど親しかっただろうか。
セウテルは皇帝直属の親衛隊隊長だが、選任したのは前皇帝だ。
後任がいなかったため、保留になっていたに過ぎない。
(そうか。こいつら、俺……ゼノクルの悲劇を共有してんだな。共通の敵がいる時ほど、人ってのは結束しやがる。まぁ、それもいいか)
死んでからもゼノクルを意識しなければならないのは、ちょっぴり面倒くさいと感じるが、上手く利用すればいいと考え直す。
20年以上も苦労して作り上げた「駒」だったのだ。
死んでなお利用できるのなら、手間をかけた甲斐もある。
魔人は「娯楽」に手は抜かない。
それは、ベンジャミンになっても変わらなかった。
よく知りもしない人物だが、それなりにやっている。
「そうは仰られましても、なにかお力になりたいとの思いはあります」
しんみりした口調で言った。
なんの役にも立てていないのが、さぞ口惜しいといったふうに。
「いや、ベンジー、お前と話していると、俺は自分の考えが明確になるのだ」
「と言いますと?」
「この間、ロキティスの話をしただろ?」
「叛逆を企てたという、お話でしたね」
実際には、クヴァットが唆し、罠に嵌めた相手、ロキティス・アトゥリノ。
皇帝よりも、クヴァットのほうが、実情をよくわかっている。
とはいえ、知らない振りをして、長々しい説明を聞いた。
その際、忍耐力を総動員している。
皇帝が、ゼノクルの功績を得々として語る様は、かなり笑えた。
なので、忍耐力を総動員しなければ、笑いを堪えられなかったのだ。
さすがに、突然、大笑いし始めたら、頭がおかしくなったと思われる。
その素地もあるので、検査と称して閉じ込められることは避けたかった。
「あの時、お前に訊かれて、気づいたことがあったのだ」
「私が訊いたこと……申し訳ありません……まだ記憶が定まっておらず……」
「かまわん。無理はするな」
当然に、はっきりと覚えている。
皇帝を誘導するため、あえて訊いたのだから。
「ロキティスが、なんのために中間種を作っていたのかと、お前は訊いた」
「そう、でしたね。陛下は、財にするつもりだったのだろうと」
「だが、お前に訊かれたあと、少し気になったのだ。それだけが原因だったのではないのではないかと思えてきたのさ」
「アトゥリノ人は財に執着しますが……叛逆となると代償が大き過ぎる気が……」
「それだ、ベンジー」
クヴァットは様子見しながら話していた。
ゼノクルは、自らの推測や考えを押し出す男だったが、ベンジャミンには、そうした「感性」はない。
この皇帝と長くいれば、自らの考えが浅いことに気づく。
ならば、必然的に、ベンジャミンは聞き役になる。
出しゃばったことを言う必要がないのだ。
そもそもベンジャミンは騎士であり、全体を俯瞰して物事を考えたりもしない。
皇帝に「なぜこうしないのか」と問うことはあっても「こうしたほうがいい」と進言することは、ほとんどなかったのではなかろうか。
そう判断して、クヴァットは注意深く言葉を選んでいる。
皇帝自身が、己のくだした判断だと錯覚させるためだ。
ロキティスにも似たようなことはしていたが、皇帝はロキティスより手強い。
ロキティスは、自己顕示欲が強く、自らの賢さを疑わなかった。
だが、この皇帝は、そこが違う。
キリヴァン・ヴァルキアという偉大な父がいたせいかもしれない。
けして、自分を肯定し切らず、間違いを認める柔軟性があった。
「俺たちは、ゼノクルからの報告があるまで、中間種の存在を知らずにいた。叛逆などせずとも、裏で取引をすればすむ。お前の言うように、財のための叛逆とするには代償が大き過ぎたのだ」
「では……なにが目的で叛逆を? 陰で中間種を作って、売買するというだけでは満足できなかった理由が、わかりません」
「結果論なのさ」
「結果論?」
「結果として叛逆となる行動になってしまった、ということだな」
クヴァットは、内心、にやにや嗤っている。
ティトーヴァ・ヴァルキアは、良い「駒」だ。
頭が良く、こちらの思惑通りの道を、突き進んでくれる。
用心さえしていれば、面白い「舞台」を創り上げてくれるに違いない。
「中間種で財を成そうとしていたのは間違いない、だが、そもそも売るためには、中間種を作らなければならん。不快極まりない話だ」
「……繁殖のための魔物が必要だったと……」
ぐっと、喉を詰まらせる。
演技ではあったが、皇帝は背中をさすってくれた。
気持ちはよくわかる、とでもいうような仕草だ。
「そのため、魔物の国に行かねばならなかったのだろう。そこで取引をしたのか、拉致が失敗したのかは、わからんがな」
「奴は、どう申し開きをしているのです?」
訊いたベンジャミンもといクヴァットに、皇帝が首を横に振る。
またしても、忍耐力が必要となった。
長年の友であったロキティスの現状を察して、笑いたくなったのだ。
「あれは、もう使いものにならん。近々、処刑する。すっかり頭がおかしくなってしまって、未だにゼノクルを罵るばかりだ」
「兄上が……どのように命を落とされたかも知らず……っ……」
セウテルの瞳に怒りが見える。
クヴァットは、心の中で、やれやれと思った。
死んでなお、セウテルは「兄思い」に過ぎる。
やはり気持ちが悪い。
(こいつと縁が切れたってのは、いいことだな。いい加減、忘れろっての。葬儀も終わってるってのによ)
とはいえ、ゼノクルを引き合いに出して、利用することはできそうだ。
積極的に関わるのは嫌だが、それはともかく。
(ロッシーも、これで終わりか。ちっとも惜しくねぇな)
20年のつきあいではあっても、関係ない。
魔人は、友人など作らないのだ。
振りはしていても、友人だと思ったことなんてなかった。
そもそも友人のなんたるかも、魔人には不明。
同胞意識と同じで、理解できないのだ。
「アトゥリノで50匹ほど中間種を見つけた。当初は殺そうと思っていたのだが、監視室に引っ掛からずにいたことが気になってな。種類別に半数だけ残している」
「中間種は魔力を持っていないのでしょうか?」
「まだわからん。分析を急がせているところだ。ただ、奴らが装備なしで壁を越えられるのはわかっている」
わざとらしく目を見開いてみせる。
初めて知った、と見せかける必要があった。
なにしろ、ここ1年余りのことを、ベンジャミンは「なにも知らない」のだ。
「魔物の国で、ゼノクルは、中間種から兵たちを守ったのだ。そこに中間種がいたということは、壁を越えていたことを意味する」
「壁を越え、魔物の国にいた……だとすると、陛下」
「そうだ。奴らは、聖魔の干渉も受けないのだろう」
「では、その者らを使えば……」
「いや、ベンジー、それはできん」
否定されるのは承知の上だ。
帝国の皇帝が、こともあろうに「中間種」を認め、戦力にするなんてできない。
そして、ティトーヴァ・ヴァルキアは、そういう手段を選ばない男だ。
「もちろん、俺も魔物同士で食い合えばいいと思ったさ。だがな、帝国は、魔物に攻撃を受けたのだ。この決着は、人と魔物でつけるべきこと。中間種は、せいぜい橋渡し役に使う程度でいい。役割が終わったら、すべて処理する」
クヴァットは、事態が動き出したことを感じて、楽しくなってくる。
おそらく、今頃は、中間種が魔物の国への使者として向かっているだろう。




