納得すれども割り切れず 3
フィッツは、ザイードに言われた「割り切れなさ」について考えている。
そもそも「割り切る」とは、なんなのか。
ティニカでは教わらなかった。
主であるヴェスキル王族のすることに、疑問を持ったり、異議を唱えたりしないのは、ティニカだけではない。
ラーザの民ならば、誰でも、それを当然に受け止める。
意見を求められれば「最善」とする提案はするが、拒絶されたら、それまでだ。
反論してまで押し通そうとはしない。
なので、フィッツも、カサンドラの「銃の訓練」について黙っていた。
必要がないというのはフィッツの判断で、カサンドラのものではない。
(姫様は、ご自身ではなく、ほかのものを守ろうとなさる)
これは、ザイードも気づいていたが、カサンドラは自らの命に執着がないのだ。
魔物の国での暮らしにより、少し変わった様子は見受けられる。
帝国にいた頃とは違い、生き生きとしていた。
生きるも死ぬもどうでもいい、という雰囲気は薄くなっている。
だが、ほかのものの命を優先させるところは変わらない。
銃の訓練にしても「誰か」を守ろうとの思いからなのだ。
フィッツは、カサンドラを守ることを優先させる。
その他大勢を、どれだけ犠牲にしても、彼女だけは助ける。
それがフィッツの使命だった。
とはいえ、対象であるカサンドラは、己の身を大事にしない。
ほかのものを助けるため、危険に晒されることも厭わないのだ。
事実、魔物の国にいること自体が危険だというのに、人の国に戻ろうとしない。
カサンドラと、再び会ってからだった。
フィッツの中には、いくつもの「なぜ」が存在している。
ただ、訊ける立場ではないし、彼女の意思が自分の意思だとも思ってきたので、訊かずにいた。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
カサンドラは、フィッツのほうを見ていない。
視線は右斜め下、書き物机のほうを見ている。
「フィッツは無能ではないよ。役に立たなかったことがないってくらい、有能」
それが嘘だとは思わなかった。
主が臣下を宥めるような台詞とも思わない。
ひどく重みのある言葉に感じられたからだ。
同時に、心のどこかが、ざわつく。
フィッツは、膝に置いていた両手を、知らず、握りしめていた。
ぎゅっと握りしめたせいで、ズボンに、しわができている。
「……では……なぜ……」
「フィッツ……?」
カサンドラは、自分の主だ。
主のすることに疑問をいだく必要はない。
ティニカの教えが、頭の中に響いている。
訊くべきではないのだ。
カサンドラが、フィッツへと顔を向けていた。
視線が交錯する。
紫紅の瞳が、見開かれていた。
途端、ハッとなる。
「ああ、いえ、なんでもありません」
座ったまま、軽く会釈をした。
どんな理由があれ、自分は気にしていたのかもしれない、と思う。
カサンドラが銃の訓練をすることだ。
彼女の側には自分がいるだから、銃なんて必要ない。
それでも習おうとするのは、自分を信用していないからではないか。
そんな思いがあった気がする。
なので「有能」だと言われた時、嘘ではないと感じたにもかかわらず、それならなぜ「置き去りにしたのか」と訊きたくなったのだ。
無能で足手まといだと言われたほうが、まだしも理解できた。
「私は、フィッツを置き去りにはしないし、してないよ」
静かな口調に、フィッツは黙り込む。
どうしてかはわからないが、カサンドラはフィッツの心にある疑問を悟っていた。
違うのだと言いたくなるのを堪える。
これ以上、失態をおかしたくなかった。
(姫様は、姫様のなさりたいようにされるべきだ。それを補佐し、お守りするのが私の役目。私のせいで、姫様が志を変えるなどあってはならない)
ティニカは、ヴェスキル王族のためだけに存在している。
名を与えられた遥か昔からずっと、その存在意義は変わらず受け継がれてきた。
ヴェスキルの血を守護する者であり、従う者だ。
守護騎士であるエガルベは王族を守る騎士ではあるが、それは、ラーザ国の総体として、ヴェスキル王族が位置づけられているからだった。
ヴェスキルと言えば、ラーザ国を現わす。
すなわち、エガルベは、国を守る騎士なのだ。
ティニカとは存在意義が異なる。
ふう…という溜め息が聞こえた。
フィッツ自身、認めていない「割り切れなさ」を、彼女は指摘している。
呆れられてもしかたがないと、フィッツは肩を落とした。
こんなことでは「ティニカ」失格だと思うフィッツに、彼女が言う。
「今はフィッツに話せないこともあるからさ。フィッツが、なんで?って思うのもわかるよ? けど、私はフィッツを絶対に置き去りにはしない。それだけは信じてほしいんだ。そのうち……全部、話すから」
訊くべきではないことを訊こうとした。
だが、叱責するでもなく、カサンドラは応えてくれたのだ。
引っ掛かっていたものが解けていく。
(やはり、姫様には、なにかお考えがあってのことだったのだな)
やむを得ない事情があった。
それを「今は話せない」だけだと、彼女は言っている。
そのうち、というのが、いつになるのかは不明だけれども。
「待ちますよ、いくらでも」
「そんなに長く待たせたくないんだけどね。私の都合じゃないからなぁ」
室内の空気が、少しやわらかくなっていた。
無意識に緊張していたようだ。
たぶん、同じようにカサンドラも緊張していたのだろう。
言うべきかどうか、悩んでいたのかもしれない。
「ところで、停戦のことなんだけどさ。あいつは来ないよね? 皇帝が、わざわざ出て来るなんて有り得ないじゃん?」
「大変、残念な話ですが、ティトーヴァ・ヴァルキア自ら、出向く可能性が高いと言わざるを得ません」
カサンドラが、ぎょっとした顔をする。
そのあと、深く深く溜め息をついた。
「なに、それ。私に執着してるから、なんて言わないでよね」
「それ以外の理由なしに、皇帝は出て来ませんよ、姫様」
「可能性は……いや、いい! 実数を聞くと実感するから、やめとく……」
「ですが、あえて姫様が出向く必要はありません」
「あ、そっかあ! そうだよね! 魔物と人の国の停戦なんだし、私が行く必要はないか……って、ちょっと待って!」
カサンドラが、眉をひそめ、なにやら思案顔になる。
皇宮にいた頃より、表情が豊かになったと感じた。
それが、良いのか悪いのか、フィッツには判断できない。
表情も感情も乏しいほうが「王女」らしくはあるのだけれども。
「会話はどうするの? 人の言葉がわかるのは、ザイードだけだよ? 向こうは、魔力での会話なんてできないでしょ? ちなみに、フィッツが同席っていうのは、絶対に駄目だからね」
「わかっています。私はゼノクルを殺していますからね。同席すれば、停戦会議を紛糾させることになるでしょう」
「それもそうだけど、あいつが怒って、なにしでかすか……ただでさえフィッツが私を攫ったって勘違いしてるしさ。私のことも、精神干渉されてるとか思ってるんだよ、あいつ。本当に、事実を見ない奴だから、困るよなぁ」
フィッツも、ここに来るまで、人の国から出たことはない。
なので、魔物と聖魔の違いはわからずにいた。
魔物は、見れば、なるほど「魔物」だと気づける。
が、聖魔は外見での判断ができないのだ。
ゼノクルを通して魔人と接したものの、魔人本来の姿は不明。
壁がない時代から、聖魔の肉体に対する記述は少ない。
ティニカでさえも、明確には情報を持っていなかったほどだ。
聖魔は、魔物のように、直接的には人と対峙しないからだろう。
そして、聖魔だと気づいた時には、判断不能に陥っている。
体を乗っ取られているか、精神に干渉を受けている状態では、まともな思考力が残っているはずがない。
隣で話している相手が聖魔かどうかの区別もつかなくなっているのだから、記録にも残せないということだ。
「今の帝国に、聖魔から精神干渉を受けた者はいません」
「壁があるもんね。今、生きてる人たちは、聖魔と会ったこともない。ゼノクルは魔人だったけど、中身の話だしさ。魔力を思う存分に使える魔人とは違うでしょ」
「あの開発施設で、私は魔力での攻撃を受けました」
「えっ?! 乗っ取られそうになったのっ?」
「いえ、干渉ではなく……姫様の力に似たものです」
「ああ……あれかぁ。私も1回やられた。思うに、精神干渉って時間がかかるもんなんじゃないかな。催眠術的な……あ、いや、嘘を本当のように信じ込ませたりとかね。それに比べて、攻撃は、一瞬で出来る感じがした。急にビリビリって……」
「姫様」
ぴたりと、カサンドラが口を閉じた。
それから、眉を八の字にする。
話し過ぎたと思っているらしい。
が、聞いてしまったものを聞かなかったことにはできない。
「ザイードさんと、一緒ではなかったのですか?」
ザイードと一緒であれば、魔人も警戒したに違いないのだ。
開発施設では、ザイードが魔力を抑制していたため、フィッツに攻撃を仕掛ける余裕があった。
けれど、魔物の国で遭遇したのなら、ザイードの魔力攻撃を警戒しただろうし、カサンドラを攻撃する以前、脱兎のごとく逃げただろう。
「ぇえっと……あの時は……1人だったかなぁ……ザイードは戦ってたしさぁ」
「お1人で魔人と対峙なさったのですね?」
「ほら、ゼノクルは人間だったから、あの力も通用したんだよ」
「それでも、ビリビリっとしたのでしょう?」
「あ~~……うん。ちょっとだけ……ビリビリっていうか、ピリって程度……」
自分が側にいなかったのを悔やんでもしかたがない。
それは、カサンドラがした選択だ。
理由は「そのうち」話してくれると、彼女は言った。
ならば、フィッツは待つだけで、そこに不満はない。
ただし。
フィッツは、カサンドラの目を、まっすぐに見て言う。
これは「命に関わる」ことであり、絶対服従はできない。
「姫様。姫様こそ、今後、絶対に、お1人で行動なさらないでください。よろしいですね?」
「あ……ハイ……よろしい、です……」




