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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
最終章 彼女の会話はとめどない
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残される者の心はいかばかり 2

 ティトーヴァは、愕然となっている。

 これではいけないと頭の端ではわかっているのに、体が動かないのだ。

 両手が血に塗れている。

 顔にも体にも、血が飛び散っていた。

 

 ゼノクルの血だ。

 

 ティトーヴァに向かって走って来る姿と声。

 それが最期だ。

 死に際に言葉を遺すこともなく、逝ってしまった。

 

 風に流されまいとワイヤーで体を固定し、腰を落としていたティトーヴァの額に向けて、銃弾は放たれている。

 上から下へと斜めの射線だ。

 4本しかないワイヤーでは防ぎ切れないと、一瞬で判断していた。

 

 そのために、フィッツはティトーヴァに手首を意識させ、魔物に風を起こさせたのだと気づいても、遅かったのだ。

 自らの判断により、むしろ、ワイヤーを操るのを忘れた。

 思考の一時停止、頭の中が真っ白になる、といった状態に陥っていた。

 

 そこに、ゼノクルの声が響いたのだ。

 正気に戻った時、視界には、真っ赤な血がしぶいていた。

 両腕を開き、前方で足を止めるゼノクルの姿が目に焼きついている。

 射線を切り、その体を貫いた銃弾がティトーヴァにとどかないようにするためだ。

 

 ゼノクルは、ろくな装備も身に着けていなかった。

 急いでリュドサイオを出て来たからに違いない。

 誤った推測を支持したとなれば、貴族たちにティトーヴァの皇帝としての資質を問う機会を与えてしまう。

 それを()けるため、ゼノクルは、たった1人で、ここに来た。

 あんな化け物どもを相手に怯むことなく。

 

 忠のリュドサイオ。

 

 最後の最期まで、ゼノクルは忠誠心で行動したのだ。

 結果、命を落とした。

 

「……ゼノクル」

 

 床に倒れているゼノクルの額に、手でふれる。

 黒い穴が穿たれていた。

 おそらく、この銃弾を受けた時には絶命していたはずだ。

 なのに、ゼノクルは、ついさっきまで立っていた。

 まるで、奴らが飛び去るまで待っていたかのように。

 

「ゼノクル……俺が無力なばかりに……」

 

 忠臣を、また1人、失った。

 自分は、誰のことも守れない。

 皇帝とは名ばかりで、なんの力もない。

 

(俺が貴族に強い力を示していれば、ゼノクルが気を遣うことはなかったのだ)

 

 ティトーヴァは、多くのことを俯瞰して物事を把握する能力に長けていた。

 だが、(まつりごと)に関して、少し引き気味だったのは否めない。

 父親であるキリヴァン・ヴァルキアは、あまりにも偉大に過ぎたのだ。

 なにを言わずとも、周りが勝手に支持し、頭を下げ、従う。

 前皇帝は、そのような皇帝だった。

 

 比べて、ティトーヴァには、それほど鮮烈な人としての魅力がない。

 少なくとも、ティトーヴァは、痛いほど、そう感じている。

 そのせいで、貴族に強く出ることができずにいた。

 圧制をすれば反旗を翻されるかもしれないと、考えずにはいられなかったのだ。

 

 強くあるべき皇帝が、貴族に(おもね)っていたと言えなくもない。

 父のような力を持たない自分の、政における手法なのだと妥協していた。

 その妥協が、ゼノクルの死に繋がっている。

 リュドサイオのゼノクルへの扱いを知っていたにもかかわらず、なんの手も打たなかったのだから。

 

「…………兄上……っ……」

 

 セウテルが、ティトーヴァの向こうで膝をついていた。

 ゼノクルを抱きかかえ、体を震わせている。

 低い慟哭が聞こえた。

 

 ティトーヴァは涙すら流せない。

 詫び言も意味をなさないと知っていた。

 立場上、セウテルは「皇帝のせいではない」と言うしかないのだ。

 あえて、そんな言葉を言わせたくもなかった。

 

 セウテルの嘆きに、親衛隊の騎士たちも、うつむいている。

 ティトーヴァと同じく、自分たちの無力さを痛感しているのだろう。

 心にあるのは、後悔ばかりだ。

 ほかにできることはなかったのか、と。

 

「陛下……申し訳ございません。取り逃がしました……ですが、死者はいません」

「ああ、わかった。帰還しろ」

 

 アルフォンソからの連絡に、ティトーヴァは力なく答える。

 最初に攻撃を受けたリュドサイオの被害は大きいはずだ。

 だが、ゼノクルの報告により、帝国本土での被害は、まだしも小さい。

 無防備に攻撃を受けていれば、犠牲は免れられなかった。

 

「セウテル……ゼノクルの葬儀は、帝国で行う」

 

 リュドサイオでは、まともな葬儀など望めない。

 死んでなお、ゼノクルは評価されないのだ。

 リュドサイオへの攻撃を未然に防げなかった責を問われる可能性すらある。

 仮に、リュドサイオ側が反対をしたとしても、ティトーヴァは、この決定を覆す気はなかった。

 

(それくらいしか、俺にしてやれることはない)

 

 どんなに大きな葬儀をしても、ゼノクルは還って来ない。

 ティトーヴァは、父の死の時にもいだいたことのない喪失感をいだいている。

 身近に感じていた者の死は初めてだった。

 しかも、自分を庇って死んだのだ。

 

「陛下……私がもっと早く着いていれば……こんなことには……」

 

 涙を流しながら、押し潰した声で、セウテルが言う。

 ティトーヴァは、否定しようとしてやめた。

 誰が悪い、という話をし始めれば、自分も同じだからだ。

 後悔を口にしたところで、なんの慰めにもならない。

 

「わからん……」

 

 セウテルの涙のあふれる目を見つめ、ティトーヴァは唇を噛む。

 魔物の国を攻めた時にも大勢の兵を失った。

 その家族は、セウテルと同様に嘆いているに違いない。

 戦力だの兵だのという言葉に集約されていても、そこにいるのは「個」なのだ。

 1人1人に人格があり、家族がいる。

 

(俺は、やはり父上のようにはなれん。この痛みを無視することはできんのだ)

 

 征服戦争の折、父は多くの兵を犠牲にした。

 が、それを悼む様子はなかったのだ。

 帝国を創り上げ、統治するための「必要な犠牲」だと割り切っていたらしい。

 自分には、とても割り切れそうにない、と思う。

 

「ゼノクルの体を綺麗にしてやれ」

 

 セウテルが黙ってうなずいた。

 装備を身につけていないゼノクルは軽かったのだろう。

 血に濡れたゼノクルを、セウテルは抱き上げる。

 室内から出て行く姿を、ティトーヴァも黙って見送った。

 

「お前たちは、ここを片付けろ。情報統括室にも連絡し、被害報告を出せ」

 

 なにかすることがあるほうが良かったらしく、騎士たちが動き出す。

 だが、自分が、ここにいても、することはなにもない。

 ティトーヴァは血だらけの床から視線を外し、廊下に出た。

 振り返らず、歩く。

 

 来る時は走って来た。

 同じ道のりが、倍以上に感じられる。

 足取りも重い。

 

 ゼノクルは最期の、ひと言さえ遺せなかったのだ。

 

 自分になにか言いたいことがあったかもしれない。

 弟に伝えておくべきことがあったかもしれない。

 

 けれど、それはもう永遠にわからなくなってしまった。

 ティトーヴァは、のろのろと体を引きずるようにして歩いている。

 不思議と、怒りがわいてこない。

 ただただ疲れを感じた。

 

 ようやく執務室に戻ったが、室内は、がらんとしている。

 親衛隊の騎士たちは施設にいるし、セウテルはゼノクルを運んで行った。

 最近では、めったに手に入れられなくなった「独り」の空間だ。

 大きな執務机には、雑多な書類が山積みになっている。

 

 その後ろに隠れてしまっているイスに、深く腰を落とした。

 これまで経験したことのない疲労感に襲われている。

 体力というより精神的なものだ。

 なにをする気力も出ない。

 

 自分は間違えてばかりだ、と思う。

 カサンドラに対する扱いも間違えていた。

 ベンジャミンへの指示も間違えていた。

 ゼノクルの対処も間違えていた。

 

 皇帝になって以来、自分の成したことを思いつけない。

 なにも成していないからだ。

 これから、どうすべきかも判然としなくなっている。

 いくつもの間違いをおかしてきた自分の決断が、正しいと信じられないのだ。

 

 それでも、ティトーヴァは皇帝だった。

 道に迷っていようが、後ろをついて来る者たちを放り出して逃げたりはできない。

 目を伏せ、頭をイスの背もたれに乗せる。

 ゼノクルの最期の表情が目に浮かんだ。

 

 『陛下っ!!』

 

 なぜだか、ゼノクルは、わずかに笑っていた気がする。

 恐れてなどいないと言わんばかりだった。

 (うと)まれ王子の、ゼノクル・リュドサイオ。

 最期の忠義を果たせるとでも思っていたのだろうか。

 

 とん…と、軽くイスの肘置きを拳で叩いた。

 その拳にも力はない。

 

「……馬鹿者め……ゼノクル……俺は、お前に長く仕えてほしかったのだぞ」

 

 セウテルは、今頃、医療管理室の霊安室にいるだろう。

 きっと泣いている。

 リュドサイオにいる、ゼノクルの家族らは、きっと嘆きもしないのだろうが、弟だけは、本気で悲しんでいるはずだ。

 

「こんな状況であっても、まずは政が先、か……」

 

 ふつ…と、ティトーヴァの心に小さな明かりが灯る。

 自分には父のような人を惹きつける力はない。

 だが、別の方法で、皇帝の力を知らしめることにした。

 たとえ貴族を粛清することになろうと、強い皇帝が帝国には必要なのだ。

 大事な臣下を、これ以上、旅立たせないために。


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