会心の一手 4
廊下のほうから足音が近づいている。
じきに騎士たちが、なだれ込んで来るだろう。
予測通り。
とんとん。
ザイードの背を、指で軽く叩いた。
それを合図に、ザイードが風を吹き上げる。
雷による機械の破損で立ち込めていた煙ごと、風が渦を巻いた。
煙に切れ間が出来、そこから2人の様子が見える。
皇帝もゼノクルも立っているのが不思議なくらいだ。
外であれば風は拡散されるが、室内では、まともに暴風に晒される。
ゼノクルは、装置の隙間に剣を斜めに突き入れ、握りにしがみついていた。
体重を乗せ、体が浮き上がらないようにしている。
ほかの騎士たちは、床を離れ、渦に巻き込まれていた。
とはいえ、彼らに意思はない。
とっくに死んでいた。
(しぶといな。あの武器は、本当に万能だ)
皇帝は、ゼノクルよりも、しっかりと立っていた。
ワイヤーが4本、機械に絡んでいる。
皇帝は、それで自らの体を固定しているのだ。
この暴風の中、床に足をつけているのだから、見事としか言いようがない。
とはいえ、これも予定通り。
(これで使えるワイヤーは4本)
体を固定するためのものと、手首を守るためのもので、計6本を使っている。
自由に動かせるのは4本。
風を読むとザイードが言っていたため、最大能力の発揮が困難になるよう少しずつ手を打っておいた。
攻防に割ける本数を減らしたのだ。
風に雷が混じり始める。
2人が腰を落とし、身構えていた。
魔力攻撃に対しての装備は身に着けているのだろう。
室内での雷は、あくまでも魔力による攻撃だ。
雷雲を呼び寄せ、暴雨と落雷を起こすのとは違う。
ザイードには、その力があるが、天候を操るには「空」を必要とするらしい。
室内にいると、力の発揮はできないのだ。
騎士たちを倒せたのは、フィッツとの連携による。
魔力攻撃を防御する装備を着けていても直撃すれば動きが鈍るし、即座に攻撃に転じることはできない。
数秒とはいえ、棒立ちになる。
フィッツは皇帝からの攻撃を避けつつ、騎士たちに素早く駆け寄り、ザイードの落とした「調理用程度」のナイフで急所を切り裂いたのだ。
その遺体が風で浮き上がり、室内をさまよっている。
5人ほどの騎士を殺したが、フィッツの感情に揺らぎはなかった。
こちらを殺すつもりで向かってきた相手だ。
敵と判断したら、容赦する理由はなくなる。
問題は、残っている2人。
手強いのは承知しているが、恐れてはいない。
フィッツの心には「信じている」という主の言葉だけが残っている。
(これからも信じていただけるよう、努力し続けていれば……)
見捨てられたり、置き去りにされたりすることはないはずだ。
彼女の役に立つためであれば、なんでもするし、できる。
フィッツは、誰のことにも関心がない。
ひたすら「姫様」のために最善を尽くすのみ。
(最後の仕上げにかかるか)
とんとんと、ザイードの背を、再び指で叩く。
ザイードが、体の向きを変えた。
バチバチと弾ける金の光を見ながら、フィッツは腰の後ろに手を回す。
倒した騎士から奪ったものだ。
黒い銃口を、真っ直ぐに向ける。
ゼノクルに、よく見えるように。
が、視線は別のところにあった。
銃口は、その視線の先だ。
ふっと、風がやむ。
どちらでもかまわない、といったふうに、フィッツは軽く引き金を引いた。
「陛下っ!!」
装填数は8発。
騎士は、1発も撃っていない。
すべて撃ち尽くす前に、反対の手で、さらに腰から銃を抜き、そのまま撃つ。
4本しかないワイヤーでは防ぎ切れない弾数を浴びせたのだ。
きっとフィッツが「銃」を使うとは、想定外だっただろう。
以前「必要があれば奪う」と話していたが、思い出す隙は与えていない。
ザイードの背から、皇帝を狙うのは簡単だった。
射程も射線も完璧だ。
「ゼノクル……っ……!」
不本意ではあっただろうが、しかたがない。
ゼノクルが、皇帝を庇っていた。
すでに、その背は真っ赤に濡れている。
全弾命中だ。
(ゼノクル・リュドサイオであれば、選択肢はひとつ)
忠のリュドサイオ。
その名を持つゼノクルが皇帝を庇わずして、どうする。
しかも、皇帝はご丁寧にも、ゼノクルを助けたのだ。
これで皇帝が死にでもすれば、ゼノクルは帝国でやってはいけない。
間違いなく罪に問われる。
人の国では、権力や後ろ盾というものがなければ、無力なのだ。
皇帝の信頼が厚く、権力を振り回せたから、好きなことができ、楽しめていた。
囚われの身になれば、それも終わる。
魔人であればこそ「遊べない」のでは意味がない。
魔人にとって、皇帝は失うことのできない「駒」だった。
ゼノクル・リュドサイオの選択肢はひとつ。
身を挺してでも、皇帝を庇う。
フィッツの予想通りだ。
もちろん、ゼノクルが皇帝を庇わなければ、それでもいい。
そうも考えていた。
皇帝は皇帝として厄介な人物だ。
殺しておけるのなら、殺しておくつもりでいた。
つまり、どちらでもかまわない、というのは演技ではなかったのだ。
ゼノクルが皇帝を庇う可能性のほうが、遥かに高かったとしても。
けれど、結果は、フィッツの予測の域を越えなかった。
「帰りますか」
「首尾よく事が運んで、なによりだ」
ドォンッと音を立て、ザイードが天井をぶち抜いた。
もうここに居座る理由はなくなっている。
あとは帰るだけだ。
「兄上……っ……! 待て、貴様ら……ッ!!」
セウテルが飛び込んで来て、騎士たちからも一斉射撃が始まる。
フィッツは、ザイードの体の影に隠れた。
すでにザイードは床から離れている。
少しだけ施設を見下ろしてみた。
ゼノクルの弟であるセウテルは、狂ったように銃を乱射している。
血塗れの兄に、事態をすぐ悟ったに違いない。
そのため、兄の元に駆け寄らず、攻撃を仕掛けている。
銃弾の雨から、セウテルの嘆きが伝わっていた。
ゼノクル・リュドサイオは死んだ。
魔人はともかく、その体は命を失っている。
人にとって、それは「死」にほかならない。
事情を知らないセウテルは、なおさら兄の死を悼むことになるだろう。
中にいたのが魔人であれ、ゼノクルは兄だったのだ。
「こちら側に来ておいたほうが良さそうだの」
ザイードが、前脚を器のようにして上に向けている。
軽く飛びながら、その脚に移動した。
ここまでは、ほぼ予定通りだ。
「少し、手こずっておられるようですね」
フィッツは、空を見上げて言う。
壁がまだ復帰していない。
灰色の薄溜まりは見えなかった。
壁の構築は、一瞬ではできないものだ。
仕組みを解析し、フィッツは、それを確認している。
半円形に整うまで、十数秒かかる計算だった。
その間に、壁を抜ける予定だったのだが、まだ円形は姿を現わしていない。
「しばらく旋回して待っておればよかろう」
「姫様に、ご連絡を……するのは、やめておきます」
「そうだの。キャスに任せたのだ。キャスから言うて来るまでは待つべきぞ」
長い身体でとぐろを巻きながら、ザイードが旋回を続ける。
できれば、皇帝には「魔物が壁を破った」と思わせておきたいのだ。
だから、タイミングを見計らっている。
「あの皇帝という者は、なかなかの切れ者であるな」
「戦争のない世に生まれながら、あれだけの判断ができるのは、天賦の才ですね。実践の最中に成長もしているようです」
「面倒極まりない男だ。キャスも苦労する」
ザイードは鱗で銃弾を弾きつつ、ゆったりと天井付近を飛んでいた。
下から見れば、馬鹿にしているように映っているかもしれない。
真面目に聞いてはいないが、怒鳴り、叫ぶ声が響いている。
「ティトーヴァ・ヴァルキアに執着されることを、姫様は望んでいません」
「であろうな。余から見ても、皇帝は厭わしき者ぞ。キャスに近づけぬようにしておかねばならぬな」
「仰る通りです。それに姫様は、帝国の皇后になるより、魔物の国で、のんびりと暮らしたいと、お考えのようですからね」
皇宮にいた頃、カサンドラは、誰とも関わろうとはしていなかった。
フィッツとでさえ距離を取ろうとしていたのだ。
なのに、魔物の国では親しくしているものもいる。
ただ皇宮を逃げることだけを考えていたのとは違って、なにか「生きる目的」ができたように感じられた。
「姫様には、魔物の国が合っているのかもしれません」
「お前は、キャスを人の国に連れ帰りたいと思うておるのではないか?」
「安全、という意味において、否定はしません。ですが……」
彼女は戻りたがっていない。
生きるも死ぬも、どうでもいいような雰囲気を纏っていた姿より、今のほうが、生き生きとして見える。
「いよいよ命の危険を感じるまでは、私は姫様のお心に従うまでです」
ザイードは風を吹かせつつ、旋回を続けていた。
その落ち着きぶりに、改めてザイードは魔物なのだと、フィッツは感じる。




