会心の一手 1
フィッツのことは気にかかる。
だが、フィッツの「時間稼ぎ」を無駄にはできない。
画面には、ナニャたちの逃げている姿が映っていた。
「真っ直ぐ走らないでっ! 追いつかれる!」
思わず、叫ぶ。
アヴィオとナニャは、別々の通信機を使用していたが、キャスは、両手にそれを持っていた。
代わる代わる通信している時間がないからだ。
コルコとイホラの魔物たちが、ジグザグに交錯しながら画面に映りこむ。
真っ直ぐに走るなという、キャスの言葉が伝わったようだ。
だが、その後ろを小さな黒い点が追っていた。
曲がりくねった軌道を取りながらも、標的を見失わずにいる。
「しつこい……っ……」
このままでは捉えられてしまう。
焦って、キャスは視線を動かした。
フィッツに、どうすべきか聞きたかったのだ。
しかし、フィッツの姿は見えない。
ちょうどティトーヴァの背中が映る。
廊下に設置された装置からは、中枢部が見えない。
室内で、なにが起きているのか、わからなかった。
(フィッツも手一杯だよね。向こうには、あいつと魔人がいるんだから)
声をかければ、フィッツは、こっちにも意識をはらわなければならなくなる。
ティトーヴァは、フィッツにして「強い」と言わしめた相手だ。
ジュポナで、その強さを目の当たりにもしている。
一瞬の隙が命取りになるかもしれない。
ジュポナの時とは違い、ティトーヴァも手加減はしないだろう。
すぐに視線を戻した。
直後、遅れを取っていたコルコの1体が足に銃弾を受けて倒れる。
ほかの魔物たちも、まだ追われていた。
「ミネリネ! アヴィオたちの後方、倒れてるコルコを癒して!」
「すぐに動かすわ」
画面に、ふわっとファニの姿が現れる。
キャスの心臓が、ばくばくと早鐘を打っていた。
指示はしたものの、ファニまで狙われることになる可能性もあるのだ。
危険なことをさせている自覚はある。
キャスは、視線を画面のあちこちに走らせた。
ファニのほうに銃弾は向かっていないようだ。
とはいえ、ほかの魔物たちは、銃弾を、まったく振り切れていない。
どこまで追って来るのか。
(……追尾ってことは、なにかを基準にして追って来てるはず……体温、とか? でも、それならファニは? ていうか、倒れたコルコは、もう狙われてない?)
いくつか別の方向に飛んで行った弾もあった。
そして、銃弾の数も減ってはいない。
むしろ、増えていると言える。
なのに、倒れたコルコやファニを無視しているように見えたのだ。
「ミネリネ、処置が終わったら引き上げて! アヴィオ!」
「私のほうは引き上げさせたわよ」
「このまま走り続けるのは……」
「アヴィオ、弾に当たったコルコに合流しないように伝えて! 早く!」
狙われているのは「群れ」だった。
撃ち倒したと判断されたものは、狙われていないと感じる。
それで、気づいたのだ。
「ナニャ、みんなで風を起こして、周りに砂煙を上げて!」
「承知」
賭けになるかもしれない。
即座にあがった砂煙で、キャスも画面上で魔物たちの姿が捉えられなくなった。
ただし「こちら」には、通信がある。
「誰か、その辺りの上空、見えるっ?」
「見えている。なにか……四角いものが、いくつか」
「ナニャ、それ、落とせない?!」
無人の偵察機。
おそらく、そういうものに違いない。
そこから送られる「群れ」の映像を敵兵は見ている。
その映像を元に、追尾弾を誘導しているのだろう。
偵察機は、個体別に追えるほど多くないと推測できた。
だから、倒れたコルコやファニは狙われなかったのだ。
「私が風で低空まで落とす。アヴィオ」
「落ちて来たところを狙えというわけだな」
「それを落とせば、追尾されなくなると思います」
少しだけ安堵し、キャスの口調が戻っていた。
とはいえ、映像が確認できないので、安心してはいない。
壁からは離れたのに、まだ追ってくるほどなのだ。
どこまで狙われるかは不明だった。
(それに……砂煙で視界が取れないとなったら、長距離で乱射してくるかも……)
フィッツを撃ったのが「超長距離」と称される銃。
あれは、1キロ以上の射程がある。
十発しか装填できず、撃ち終えたら次に撃てるようになるまでは1時間。
ただ、あの時と違い、銃が1挺とは限らない。
ジグザグに走っていたため、まだ射程から出ているか判然としなかった。
また不安感が襲ってくる。
砂煙の中、赤い炎が上がっていた。
相手は、映像が切れたあと、どんな判断をしてくるか。
(あいつのことはフィッツが足止めしてるから、指示は出せないよね。だったら、私と同じようなこと考えてくるんじゃない?)
自分など、所詮、素人だ。
フィッツのように、策に長けてはいない。
知識も少なく、最善を選ぶほど選択肢も持っていなかった。
だが、それは向こうも同じなのではないか。
魔物に対する知識なんてないはずだ。
ティトーヴァのように全体を指揮するのに慣れている者もいないだろう。
人の国は、魔物の国と同じく、この2百年、戦をしていない。
統率する指揮官はいても、策を講じられる者がいるとは思えなかった。
「空に浮いてたやつは、全部、落としたぞ!」
「このまま、真っ直ぐ走って逃げればいいのか、キャス?」
「みなさんは、できるだけ速く、そこから離れてください!」
砂煙は、まだ消えない。
画面の中で、ひとつだけ映像が見えるものがある。
撃ち倒されたコルコは、映像装置を受け持っていたものだった。
倒れた時に、装置が落ちたのだろう。
あの倒れたコルコが映っていた。
合流しないよう、その場に待機させたため、集団から取り残された状態だ。
(体を起こしたら危ない。でも、ずっとあそこにいさせるわけにも……)
予測通り、銃弾が長い尾を引いて直線距離で飛んで来ていた。
標的が定まっていないせいで、単なる乱射と化している。
前に行く、アヴィオたちには、まだ当たっていない。
それでも危険区域を抜けてはいないのだ。
最も近い場所にいるコルコには当たる確率が高い。
(撃ち尽くすまで待つ……? でも、それまでに人間が追って来たら……?)
人が壁から離れた場所まで追ってくるとは考えにくかった。
その証拠に、長距離用の銃を使っている。
だとしても、最悪の事態は起こり得るのだ。
人が壁際での攻撃を諦め、危険を承知で追って来れば、取り残されたコルコは、確実に捕まる。
「キャス様!」
判断を迷っていたキャスの耳に、馴染みのできた声が響いた。
「キサラ?! なんで、ここにっ?」
アヴィオたちのほうに意識が向いていて、ダイスたちの画面は見ていなかったのだ。
ちらっと見れば、画面に映る景色が変わっている。
そして、なぜかガリダたちの姿が見えない。
「ダイスが、どうしてもって言って聞かないものですから。おかげで、ガリダは、途中から自力で帰ることになってしまいました」
「ダイスが……」
「こっちが苦戦している気がしたら動くようにと、フィッツ様に言われていたらしいのですが……どうなのですか?」
なにもなければ、予定通り事を進めればいい。
なにかあったかどうかは、ダイスに判断させる。
かなり漠然とした指示だが、フィッツはダイスの「勘」を信用したのだろう。
頭を使うのは苦手だとしても、ダイスには、その場での判断力や決断力があった。
「近くまで来てるなら、アヴィオたちを拾ってくれると助かります!」
「わかりました。あの砂煙のほうですね」
ダイスたちの速度なら、一気に射程を抜けられる。
アヴィオやナニャたちの集団は、これで追撃から逃れられるはずだ。
残る問題は、取り残されたコルコのみ。
しかし、そちらは、まだまだ射程内で、危険に過ぎる。
「あっ!! ダイスっ!!」
キサラの声で、わかった。
ダイスは、耳もいいが、鼻もいい。
おそらく、遠くにある魔力の匂いに感づいたのだ。
取り残されたコルコのほうに向かっているに違いない。
「キサラ! ダイスに体を低くするように言ってください! 弾が飛んで来てるので!」
「言うだけ言っておきます。本能で動いている時のダイスは止められませんけど」
驚くほど、キサラは落ち着いている。
ダイスを信頼しているのが、ありありと感じられた。
大丈夫と言うフィッツを、キャスが迷いなく信じられた時と似ている。
「キャス、ルーポと合流した。我らは、このまま退却する」
「ダイスの奴……無茶しやがる……と言っても、奴に頼るしか手がないが……」
「とにかく、みなさんは、ルーポと一緒に、こちらに帰って来てください」
「私が先導します」
アヴィオたちは、キサラに任せておくことにする。
画面に、ダイスが映りこんで来た。
コルコを、ひょいっとくわえ、背中に落とす。
キサラから伝言が伝わったのか、低い姿勢で駆け出した。
「ミネリネ、待機しててください。もし……ダイスが撃たれたら……」
「わかっているわ。致命傷を負わなければいいのだけれど。尾がちぎれでもしたらダイスも困るわよねぇ。キサラに愛想を振りまけなくなるもの」
冗談とも本気ともつかないような口調だ。
ザイードが尾や脚を失った時、ラフロから「ファニでも癒せない」と言われた。
ファニは「癒す」ことはできても「治す」ことはできないのだ。
それができるのは、聖者ラフロだけだと予感している。
尾を拾って帰れれば、フィッツが「施術」できるかもしれないが、この状況では無理だろう。
「……ダイス様は、速うござりまする……」
「速いのもあるけど……」
ダイスのつけている装置から送られてくる映像を見つめた。
画面中に、黒い銃弾が走っていく。
つまり、ダイスの体スレスレを弾がかすめている、ということだ。
全力疾走中でも、ダイスは弾を避けている。
「さすが、ルーポの長だね、ダイス……」
「お褒めの言葉をありがとうございます、キャス様」
「あ……いやぁ、キサラから褒められたほうがダイスは喜ぶと思いますよ」
ダイスが集団に追いついていた。
銃弾は、もうとどかない。




