禍事の予兆 2
技術というのは、あればあったほうが便利だ。
使い方次第なところもあるにはあるし、常に危険も伴う。
だとしても、1度、手にしてしまったが最後、その恩恵は手放し難い。
結局のところ、ヴァルキアス帝国が他の国々を従属させていられるのも、技術に差があるからだ。
「ここが地下牢で、こっちに隠し通路があるんだね」
ここは、あのボロ小屋の地下。
フィッツの部屋とも言える。
貯蔵庫としての地下室があることは、たいていの者が知っているそうだ。
但し、地下が「貯蔵庫」として使われていないのは、誰も知らないのだと。
フィッツから、そのように聞いている。
「この通路について、皇宮関連の高位の騎士は知っているようです」
「セウテルとか?」
「彼は、当然、知っているでしょうね」
いつも過ごしている上の部屋にあるテーブルより、さらに簡素な木のテーブルを挟んで、2人は立っていた。
そのテーブルの天板に地図が浮かび上がっている。
仕入れている情報を元に、フィッツが作成した代物だという。
皇宮内の隅々まで、細かく記されており、地図というより設計図に近かった。
しかも、立体的に表現されている。
だが、この程度の技術は、どこの国でもめずらしくないらしい。
めずらしいのは、内部の者の動きまで把握できる点なのだそうだ。
「地下牢の対処は?」
「問題ありません。すでに鍵の複製は作っています」
「すでにって、いつ頃?」
「皇宮に来た翌日です」
それでは、2年以上も前、ということになる。
フィッツが有能なのは認めているし、用意周到なのは悪いことではない。
ただ、その「鍵」が使われる日が来ることはないかもしれない、とは考えないのだろうか、と思う。
それは、誰も来ない誕生日会の飾りつけをしているのに似ている。
とはいえ、フィッツは寂しいなんて思わない。
わかっている。
感傷じみた考えを振りはらい、別の疑問を口にした。
「皇宮内の監視は気にしなくていいよね?」
「なにも気にする必要はありません」
「だろうと思った」
皇宮内には、大掛かりな監視体制が敷かれている。
廊下に立ったり、巡回したりしている近衛騎士はいるが、それ以外にも監視用の技術が張り巡らされているのだ。
どこに、誰がいるか、常に把握されている。
そのため、識別用として、あらかじめ入宮時に割り振られた番号や人数に食い違いが生じると、すぐに気づかれてしまう。
気楽に出入りしているようで、実は、そうでもないのだ。
入宮時には、日々、新たな番号が割り振られるため、昨日と同じ番号が同じ人物とはならない。
出たはずの人物が中に残っていたり、いないはずの人物がいたりすることができないようになっている。
監視室に人はおらず、数値的に処理されるだけらしい。
怪しい動きがあれば、セウテル以下高位の騎士たちに通知が届く。
皇宮内は静かな「警報」を適用しているのだ。
「通常は、姿を隠したり、認識を阻害したりするような機械を使用するだけでも、監視室に察知されますが、私の場合は例外となります。なにをしようと、認識することはできません」
「ラーザの技術は、それほどのものだってこと?」
「というより、帝国の技術が、ラーザの劣化版に過ぎないのです」
要は、帝国はラーザの技術の物真似をしたが、完璧ではなかったということだ。
おそらく似て非なるものなのだろう。
模倣は、本物に勝てない。
事実、帝国側は、あちこちに仕掛けられた装置のひとつも見つけられずにいる。
存在すら認識していない。
だから、フィッツは自由に皇宮内をうろつけるのだ。
「姫様の足手まといにはなりません」
「ああ、うん、わかってる」
ほとんど表情を変えないフィッツが、少しだけホッとした様子を見せる。
本気で、置いて行かれる心配をしているようだ。
カサンドラが、いつでもフィッツを置き去りにできると知っているからだろう。
その気になりさえすれば、だけれども。
カサンドラは、特殊な体質をしている。
常時、それを隠しているに過ぎない。
なので、隠すのをやめた途端、皇宮のどんな監視にも引っ掛からなくなるのだ。
フィッツの持つラーザの技術を持ってしても、追跡は不可能。
もちろん万能というわけではなく、目視では見つかってしまう。
けれど、その対策もなくはない。
「それにしても、皇宮ってとこは、つくづく政治まみれだよなぁ」
立体的な地図上で動き回る点を見ながら、つぶやいた。
皇宮は広く、名のついた多くの「宮」が存在する。
その中の一角は、従属国の王女たちの住居となっていた。
王女ではあるが貴賓という名の「人質」であり、側室や愛妾候補の女性たちだ。
ネルウィスタの策略のせいでフェリシアを失ったと思っていたからか、皇帝は、そうした女性たちに手はつけなかったらしい。
存在すらも無視されている彼女らは、皇宮で、ただ歳を重ねている。
にもかかわらず、その風潮は消えていなかった。
「あいつも、この中から誰か選べばいいのにさ。ディオンヌじゃなくたって他にも大勢いるじゃん」
「皇太子は姫様と、ご婚約中の身ですよ」
「でも、別に、側室を迎えたり愛妾を囲ったりするのは、認められてるよね」
「皇帝の手前、そうもいかないのでしょう」
おかげで、とんだとばっちりだ。
ディオンヌも面倒だが、ほかの王女たちからも目の敵にされている。
誰もカサンドラに味方しようだとか、友人になろうだとかはしない。
自ら手を汚すことはないが、ディオンヌに虐げられているのを黙って見過ごしにしていた。
いい気味だ、くらいに思っている。
時折、散歩と称して、ボロ小屋の付近に現れ、嘲笑っていくのが、その証拠だ。
王女扱いされている自分たちのほうが立場は上だと、優越感に浸っているのかもしれない。
人には、そういうところがある。
誰かを下にすることで、自分が上になった気分になれるのだ。
そして、安心する。
多少の不満も、それで解消できる。
王女たちは、カサンドラの存在で、自らの自尊心を保っているのだ。
「皇命だからって、自分の意志も貫けないような奴が次の皇帝とはね。帝国の未来は暗そうだよ」
「姫様には関係のないことです」
「そりゃそうだ」
久しぶりに、すっきりと笑う。
それから、意識を地図に戻した。
できれば「穏便」にすませたいので、準備をしておいて損はない。
「皇宮から出たあとは、どうしよっか」
帝国自体の領土も広い。
おまけに、帝国の北にアトゥリノ、西にはデルーニャ、東にリュドサイオという直轄国がある。
さらに、その3国の近隣は従属国で固められているのだ。
当然、どこもかしこも検問所がある。
国内ですら、街を出入りするのに検閲を受ける仕組みになっていた。
街に設置されている監視技術によって処理されているところが、検問所とは違うものの、本質は似たり寄ったりだ。
国外移動には許可証が必要で、検問所での「目視」での審査も必要。
比べると、国内移動は楽ではあるが、より「厳格」とも言える。
なにしろ「怪しい」かどうかを機械的に処理するのだから「手心」なんてものが入り込む余地は、まったくない。
「まずリュドサイオに入り、そこから北東に抜けるルートが確実です」
もうひとつ、別の地図が現れる。
帝国全土が表示されたものだ。
検問所などの位置が赤く点滅している。
その中で、フィッツの考える逃走経路が赤い筋状で示されていた。
「最終地点は、ラーザになってるね」
「今は、跡地、ですが」
ラーザという国はなくなり、民は散り散り。
技術が失われたラーザに魅力はなく、どこの国も放置しているらしい。
一応、帝国領土とされていても、ただの荒廃した国の亡骸。
フィッツの言った「跡地」とは、そういう意味だった。
(私の最終目的地は、そこじゃないけど……それは辿り着けてから考えよ)
予定を決め過ぎてしまうと、臨機応変さに欠ける。
時には、行き当たりばったりも必要なのだ。




