確信の確認 2
フィッツは、ちゃんと昼ご飯を食べているだろうか。
前に「3日に1食で大丈夫」と言っていたのを覚えている。
一緒に食事をするようになったのも、彼女が命令したからに過ぎない。
ティニカの隠れ家で過ごした時の、自然な動きではないのだ。
ピクニックに行った際、フィッツは、ちょっと声をかけただけで、当たり前に隣へと座ってきた。
フィッツが近くにいないので、キャスは「恋しい人」を思い出している。
それは、今のフィッツにそうなってほしい、というのとは、少し違っていた。
当然のことだが、あの頃のフィッツに戻ってくれたら、との気持ちが、まったくないとは言えない。
だからといって、今のフィッツを否定する気もなかった。
フィッツは、フィッツなのだ。
キャスの望む言動をしなくても、大事な相手であることに変わりはない。
それに、キャスのように「別人」の魂が入りこんだのとは違う。
思って、少しだけ憂鬱になった。
『では、私も気をつけなければなりませんね』
『ティニカに意思はありません』
フィッツの淡々とした言いざまに、内心では、怒りと悲しみを感じている。
キャスだって、その危うさには気づいていた。
それでも、明確には口にできずにいたのだ。
きっと皇宮にいた頃ならば言えた。
あんたには意思がないんだから、魔人には近づいちゃ駄目だよ。
はっきり言うのも、簡単だったに違いない。
たいした思い入れもなく、言葉を放り投げたと想像できる。
そして、それをフィッツは「命令」として受けとめただろう。
カサンドラの命が脅かされない限り、フィッツは彼女の命令に従うのだ。
(安全を考えるなら、フィッツに自覚があるほうがいいんだろうね。聖魔に対して用心するだろうしさ……でも……意思がない、ってことを自覚って……)
そのことに傷ついているのは、キャスだけだ。
フィッツは、少しも傷ついていない。
事実として認識している。
いちいちラフロの言葉を思い出すのも憂鬱だった。
『正当なティニカは、自らの意思など持たないものだよ、愛しい子』
意思を持ったフィッツを、ラフロは「出来損ない」と言ったのだ。
ティニカであれば、そう判断されてもしかたがないのかもしれない。
けれど、キャスには、けして「出来損ない」などではなかった。
フィッツが自らで決め、ヴェスキルでなくても「特別」だと言ってくれたのが、嬉しかったのだ。
「ルーポに避難するとなれば、いかがする、ノノマ」
「無理にござりまする。あのような寒い地では身動きもできませぬ」
「そうよな」
ザイードの落ち着いた声に、ふっと思い出が途切れる。
床には、キャスの作った地図が広げられていた。
フィッツの詳細な地図を見てしまったため、手書きのそれが、いかにも無骨で雑に感じられて、恥ずかしくなる。
「余は、あの者のように地図を出せぬのでな。これがあると心強い」
「私も身につけておりまする。細かいことは、ようわかりませぬゆえ……」
ノノマが気恥ずかしそうに、ほんのりと頬を染めた。
ザイードも、ノノマも、キャスに気を遣っているのではない。
通信装置にしてもそうだが、魔物は「機械」に慣れていないのだ。
その様子に、キャスは安心する。
自分も少しは役に立っていると思えた。
「だいぶ不細工だけど、役に立ってるなら良かったよ」
「魔物には分かり易き地図だ。思い描くのが容易い。持ち歩くにも良いしな」
うんうんと、ノノマがうなずいている。
ザイードは、キャスの淹れた茶を口にしてから、改めて地図を指さした。
考え事をしていた間に、ザイードが書き込んだのか、人の国に、丸印とバツ印がつけられている。
開発拠点が丸、軍施設がバツのようだ。
フィッツの出した地図にあった点の大きさと合わせて、〇や×の大きさが違う。
「先日のミサイルは、ここから放たれた。我らの国への最短距離だの」
ザイードの指先が、リュドサイオのの東端を指していた。
そこにはバツ印がつけられている。
あまり大きくはない。
「現状、人は、この辺りからしかミサイルを撃てぬのだ」
「遠くまで飛ばせぬゆえにござりまするね」
「この施設で準備したんじゃないかな。ミサイルを撃つのって、そんなに簡単じゃないはずだから」
元の世界でも、ミサイルはあったが、キャスは専門家ではない。
ニュースで知り得た知識しかないので、どのくらい「大変」かは不明だ。
それでも、気軽に撃てる代物ではないのは、わかる。
ましてや、航空機のない世界で、飛行する爆発物を先に作るには、どれほど金をかけたことか。
「お金がかかるだけじゃなくて、人手も必要だし……」
言いながら、丸印とバツ印を見つめた。
ミサイルの開発は、帝都にある施設で行われている。
だが、発射されたのはリュドサイオだ。
帝都とリュドサイオは近いと言えば近いが、東端となれば、相応に距離がある。
「……ミサイルを、ここまで運んだってことだよなぁ。でも、元々、リュドサイオから撃つ予定なんかなかったはずで……てことは……発射台も運んだ……?」
元の世界と、こちらの世界での技術は異なる方向に進んでいる。
キャスの持つ「ミサイル」のイメージとは違っていても、理屈で考えると、そうなるのだ。
もちろん、元の世界でも、そういう武器があったかもしれないが、彼女は専門家ではないので、パッとイメージを切り替えられなくてもしかたがない。
「キャス様、ずっと不思議に思うておったのですが……魔物は、魔力を使うて攻撃しまする。人は、なにを使うておるのでござりますか? 乗り物や銃、ミサイルはどうやって動かしておるのでしょう」
「動力石っていうのを使って、熱や冷気で動かしてるんだと思う」
「我らの魔力と似たようなものだの」
ザイードにうなずいてみせる。
ノノマは、まだちょっとわかっていないようだ。
今日は人型だが、首をかしげている。
「私もノノマも、遠くまで歩くんなら、体力が必要だよね? お腹が減ってると、動けなくなるしさ。そういう、なにかを動かす力をエネルギーって言うんだよね。人が、いろんなことに使うエネルギーの元が、動力石ってこと」
「ご飯のようなものに思えまする」
「そうだね。エネルギーがないと、乗り物も動かないし、銃も撃てないんだよ」
「その動力石というのは、尽きたりはせぬのでござりまするか?」
リュドサイオ領ネセリックにあった鉱山が思い浮かぶ。
鉱山にいたラーザの民が、北西には、まだ手付かずの鉱山があると話していた。
帝国内で動力石は貴重なものでも、めずらしいものでもない。
そこいら中に転がっている、と言っても差し支えないほどだ。
「動力石自体は、当分、尽きたりはしないね。でもね、食料を料理してから食べるみたいにさ、動力石も加工しないと使えないんだよ。今はどうなってるか、わからないけど……加工技術を、帝国は独占してる」
「動力石だけあっても無意味。使うためには帝国に頼らざるを得ぬわけだな」
「同じものが造れるなら、自分の国で作りますよね」
「そうさせぬために、独り占めをしておると、そなたは考えておるのだろう?」
ヴァルキアスが周囲の集落を押さえ、最も早く建国できたのは、ラーザの技術があったからだ。
魔物の国を襲っていた頃には、すでに「乗り物」があったと考えられる。
動力石の加工技術がなければ、ラーザの技術を模倣することはできない。
さりとて、技術が流出すれば、同じことを他国もできるようになるのだ。
かつてのヴァルキアスが、どういう国だったかはともかく、自国の優位性が失われるような真似はしなかっただろう。
征服戦争時、アトゥリノが帝国の支配下に入ったのも、そのあたりに理由があるのではないかと思える。
「魔物の国を襲ってたのは、アトゥリノ人が多かったみたいなので。アトゥリノが国になった時、加工技術を知ってたら、あっさり帝国の支配下には入らなかったんじゃないかと思うんですよね」
仮に支配下に入るにしても、アトゥリノに有利な条件をつきつけていたはずだ。
少なくとも、今の「身分」に甘んじてはいなかった。
今現在、アトゥリノの王族であっても、帝国貴族以下の扱いなのだから。
(加工技術を持ってたら、もっと財のアトゥリノしてたっての。ロキティスだってアトゥリノの国王になったから、あんなもの造れたわけだし)
ロキティスが非道だったのは間違いない。
だとしても、アトゥリノには、そうした素養がある。
自らの富を増やすためなら、なにをしてもいい、と考える土壌があるのだ。
人だろうが、魔物だろうが、実験に使っても、罪悪感なんていだかない。
帝国に頭を押さえられているので、好き勝手できずにいるだけだ。
「確かに……今がチャンスなのかも……」
独り言になっているとも気づかず、キャスはつぶやいた。
ゼノクルの言い草からすれば、ロキティスは失脚している。
ならば、今、アトゥリノはどうなっているのか。
国王がいない、すなわち空位になっている可能性もあった。
3つの直轄国の内のひとつが混乱していれば、帝国全体の安定が揺らぐ。
魔物の国への出兵を考えてはいても、すぐに動ける状態ではないだろう。
国の安定を図りながら、技術の開発を進めるしか、今の帝国には打つ手がない。
しかも、人は、魔物が攻めて来るなんて考えもしないのだ。
年単位で、ゆっくり確実に前に進もうとしている。
「今が、ということは、今を逃せば我らが不利になるのでござりまするか?」
「だんだん不利になっていくと思う。対策を取られるからね」
「最初の一撃を、しくじらぬようにせねばなるまいな」
リュドサイオの東端の施設、それと帝都の開発施設。
この2つは、落としておきたかった。
そうすれば、人の歩みを遅らせることができる。
動力石の加工技術にしても、ミサイルにしても、技術を独占しているからこそ、失えば歩を止めざるを得ないのだ。
(でも……帝都は、遠い……壁のこっちからだと攻撃できる手段が……)
帝都は、壁から離れている。
大きく南西に迂回して、帝国本土が接している壁に向かうことは可能だ。
だとしても、その壁から帝都までは、数百キロは離れていた。
どんなに大きな爆発を起こしたって、とどくわけがない。
仮にとどくような爆発が起こせたとしても、それだと無関係な人を巻き込む。
途中には、市街地や小さな農村もあるのだ。
最悪、その手段を講じたとしても、それでもとどかない可能性のほうが高い。
一般市民の殺戮にしかならないのであれば、その手段は意味がなかった。
むしろ、帝国は民を味方に、一気に戦争への道を進み始めるだろう。
(私が考えつくようなこと、フィッツなら、わかるよね。だから、戦意を失わせるほどの無差別攻撃を考えてたんだ。作戦が変わって、悩んでるかな……)
人が進歩する生き物だと、彼女は知っている。
彼女自身が歩みを止めても、人は歩みを止めたりはしないのだ。




