思想の差異 1
しゃり、しゃり。
小さな音が部屋に響いている。
ゼノクルは大きな枕を背もたれにして、ベッドの上で足を伸ばして座っていた。
その膝には、シャノンを乗せている。
小さな音は、シャノンがクッキーを齧る音だ。
中間種の存在は表沙汰にできないため、シャノンはゼノクルの寝室にいた。
誰かが入って来る時には、ゼノクルの許可が必要だ。
声をかけられたら、シャノンは隠れている。
ロキティスの「躾」のおかげで、気配を消すのにも慣れていた。
もちろん、わずかな魔力を使い、耳や尾を隠すことはできる。
それなら人に見られても、ゼノクルが少女を囲っているくらいにしか思われずにすむのは、わかっていた。
が、しかし、ゼノクルもとい魔人クヴァットは、獣くさいのが大嫌いなのだ。
魔力なんて絶対に使わせたくない。
半分ほど齧られたクッキーを、シャノンから取り上げた。
それを、自分の口に放り込む。
「た、食べかけ、です」
ちらっと、シャノンが、ベッド脇の小テーブルに視線を投げた。
そこは、ゼノクルの手のとどく位置だ。
皿があり、クッキーが山積みになっている。
食べかけの物を、わざわざ食べなくても、と思っているに違いない。
シャノンの尾が、不思議そうに、くるんくるんと緩く輪を描いていた。
「毒味だよ、毒味」
「ど、毒が、入っているかも?」
警戒するように、シャノンが瞳孔を狭める。
毒味をさせられたことに不満はないらしい。
こういうところが、気に入っている。
シャノンは、ゼノクルのすることに従順なのだ。
そして、無駄な知恵がないので、裏読みもしない。
「あのな、俺がお前に毒の入ったもんを食わせるわけねぇだろ。冗談だっての」
「そ、そうですか……それなら、良かった、です」
「ロッシーは、毒にも神経質だったよな。あいつは、そういう奴だった」
「食べる前に、毒の検知をかけさせて、ました」
「それだけじゃねぇさ。小型の毒検知機まで持ち歩いてたんだぜ?」
皇宮で出される飲食物は、事前に毒検知がかけられている。
にもかかわらず、ロキティスは運ばれている途中に混入されるのを恐れていた。
そこまでしてもなお、料理には手をつけず、飲み物にしか口をつけないような男だったのだ。
「あいつ、生きちゃあいるだろうが、今頃は死にたがってるだろうぜ」
シャノンにクッキーを渡してやりながら、ゼノクルは軽く肩をすくめる。
ロキティスを恐れなくなったからか、シャノンは平然とクッキーを齧っていた。
ロキティスが生きていようが死んでいようが、興味はないらしい。
実のところ、ゼノクルも、ロキティスの生死に興味などなかったのだが、それはともかく。
「皇帝もセウテルも怒り狂ってたからな。セウテルの奴は、全力で親衛隊の特権を使ってるはずだ。ああ、ひでえ。ひでえことになっちまったよなあ」
ははっと、軽く笑う。
現実に酷い目に合っているロキティスよりも、ゼノクルへの「兄弟愛」から激怒していたセウテルが面白かったのだ。
使ってみると、存外、楽しめた。
今まで「面白くない」と思っていた駒だったので、なおさら良い気分になる。
「ま、もうどうでもいいやな。ロッシーは、お前を虐めてたツケでもはらってりゃいいのさ。あとは、あの小娘だな」
ぴんっと、シャノンの耳が立っていた。
クッキーを食べる口も止まっている。
その手から、半分になったクッキーを取り上げて、また口に放り込んだ。
反対の手で、シャノンの頭を撫でる。
「あの小娘には、ずいぶんと傷めつけられたからよ」
「そ、そんなに、痛く、なかった、です」
「その割には、ぴいぴい泣いてたじゃねぇか」
「……ご主人様の、足を引っ張ってました、から……」
言葉に、がしっとシャノンの顎を掴んだ。
大きな青い瞳が見開かれ、瞳孔も拡がっている。
その目を見て、ゼノクルは目を細めた。
「お前が、俺の役に立ってるかどうかは、俺が決めることだ。足を引っ張ってるかどうかってのも、俺が決める。お前が決めることじゃあねえ」
シャノンは、ゼノクルに疑いのない眼差しを向けている。
殺されるとの考えがないわけではない。
それでもいいと、命をあずけているのだ。
驚いて拡がっていた瞳孔は普通の縦長に戻り、尾も、ゆらゆら揺れている。
スッと顎から手を離し、新しいクッキーを渡してやった。
やはり、シャノンは、なんの疑いもない瞳で、それを受け取る。
そして、顎を掴まれたことなど忘れたみたいに、しゃりしゃり食べ始めた。
その姿を見つつ、ゼノクルは両腕を頭の後ろで組み、天井を見上げる。
「シャノン、俺は魔人だ」
「は、はい……あの白いかたが、言ってました、ね」
「この体は借り物で、ガタが来りゃ俺は国に帰る。そん時は、お前も連れてくぞ」
「はい。ご主人様と……一緒にいるのが、いいです」
ゼノクル、もといクヴァットが「あの小娘」に、散々な目に合わされた時、相方であるラフロが治療のため、地上に来た。
その会話の中で、仕えている主が「魔人」だと、シャノンは知ったはずだ。
が、シャノンの態度は、まったく変わらなかった。
(ラフロ、ちょっと欲しそうにしてたよな)
ラフロにしてはめずらしく、ほんのちょっぴりだが関心を示していたのだ。
その気持ちはわかる。
中間種とはいえ、シャノンは「人」として育てられた。
魔物であればいざ知らず、聖魔を怖がらない「人間」はいない。
さりとて、シャノンは、ラフロの玩具には成り得ないだろう。
いかんせん、頭が、それほどよろしくない。
取引などと言われても、首をかしげるに決まっていた。
「お前は、それでいいんだ。俺の言う通りにしてりゃ間違いはねえ」
シャノンは、クッキーをしゃりしゃりしながら、うなずく。
最初に、手をかけた甲斐があった。
実に、忠実で素直、そして「聖魔」を怖がらない。
ロキティスにカサンドラと、シャノンの怖がる対象は、むしろ「人」なのだ。
「そういや、俺が皇宮で、ひと芝居ぶち上げてる間に、上手くやったな」
「秘密の、施設のこと、ですか?」
シャノンの表情が、少し曇った。
ゼノクルに引き取られる前まで行われていた「実験」などを思い出したらしい。
耳が、横に、へたっとなっている。
怖いというより、嫌な感覚が記憶として残っているのだろう。
手を伸ばし、シャノンの頭を撫でてやる。
ゼノクル自ら切り揃えた銀髪も、見違えるほど綺麗になった。
サラサラのツヤツヤだ。
そのことに満足する。
「ちゃんと研究者どもを、リュドサイオまで連れて来たじゃねぇか」
「私を知ってる、人たちばかり、だったから……」
皇宮で、ロキティスの罪を暴いている間、シャノンを「古巣」へと向かわせた。
そこにいた研究者たちに「ロキティス捕縛」を伝えさせたのだ。
彼らは、シャノンがゼノクルに「贈られた」のを知っている。
今後はゼノクルが後ろ盾になると言った、と話せばついて来ると見込んでいた。
ロキティスが捕まったとなれば、次が誰になるかは想像するまでもない。
手がけていた研究や開発が、いかに許されざることだったか。
自覚があるからこそ、頼れる相手などいなかっただろう。
ロキティスの「友」であり、中間種を「飼っている」ゼノクル以外は。
(あれから7日。アトゥリノ中が、騎士であふれてんだろうぜ)
ロキティスの罪を訴えれば、帝国本土が動く。
皇帝の勅命を受けたアルフォンソが、帝国騎士団を率い、アトゥリノを捜索しているはずだ。
そうなると予測していたため、先にシャノンを動かした。
その頃は、ロキティスの所業に皇宮は大混乱、警備が手薄になるのは目に見えていたので。
「俺は、ロッシーみたいに、どうでもいいことに、金は使わねぇ主義なんだ」
というより、ゼノクルは、リュドサイオの第1王子にしては「貧乏」と言える。
弟のセウテルとは、桁が違うほど資産は少ない。
なので、どうでもいいことに金を使う余裕なんてないのだ。
「お前の薬ができたら、あいつらは捨てる」
ゼノクルには、彼らを匿うとの考えはなかった。
用がすんだら始末すると、はなから決めている。
そのことで、少しだけ迷っていた。
施設は残しておきたいのだが、自分の関与が露見する危険がある。
(状況次第で決めるとすっか。にしても、わざわざリュドサイオ領土に施設を作るなんざ、どういう了見なんだかな。直轄国同士で、喧嘩でもする気だったのか? 俺に知られてねぇと思ってたとこは、笑えるけどよ)
ゼノクルは鼻が利く。
獣くさいのが大嫌いでもあった。
おまけに、1人で出歩こうが、誰も気にしない疎まれ王子だ。
リュドサイオの領地内をぶらついていても、声をかけてくる者はいない。
ロキティスに会いに行った帰り、中間種の匂いに気づき、それを追ったことで、施設を見つけている。
ゼノクルも聞かされていなかった、研究や開発のための施設だ。
ジュポナの国境を越え、リュドサイオ側にある。
ロキティスは、勝手に「他国」の領地に、そんなものを造った。
中には、薬品や食糧などが数多く備蓄されている。
つまり、ゼノクルは、単にアトゥリノから逃げる手配をしてやっただけなのだ。
そして、それも一時的なものに過ぎない。
備蓄品が尽きる前に、十分な量の薬は確保できるだろう。
「しばらくは、のんびり過ごそうぜ」
シャノンの手から、また齧りかけのクッキーを取り上げて食べる。
ゼノクルは、自ら「謹慎」していた。
理由は「兵を無駄死にさせたから」だ。
自分が謹慎でもしなければ周りの貴族を抑えられないと、あたかも皇帝のためのように言って、皇帝とセウテルを説得している。
実際には「休暇」みたいなものだった。
リュドサイオは気楽でいい。
気持ちの悪い弟にまとわりつかれることもないし。
「またすぐに楽しいことが始まるさ」
ゼノクルの頭に、薄金色の髪と目の男が浮かぶ。
簡単にミサイルを相打ちさせた男だ。
けれど、その力に感心しているのではなかった。
(あいつは、ティニカだ。意思のないティニカ)
だいぶ傷んできているし、この体は「捨て時」かもしれない。
そう、ゼノクルは思っている。