複雑な日々があるばかり 4
人の国では、身の回りのことをする「メイド」という働き手がいるようだ。
思い返せば、ジュポナでも、キャスに茶を出す女がいた。
茶を出しただけで、すぐ部屋を出て行ったことから察するに、あれが「メイド」と呼ばれる者なのだろう。
(キャスは、あの者らの長であったのだ。多くのメイドに囲まれて暮らしておったのであろうな)
最初はともかく、しばらくすると、キャスは身の回りのことを自らでするようになっていた。
食事はノノマが作っていたが、片付けや、この部屋の掃除、洗濯もしている。
ザイードは、ノノマと一緒に洗濯をするキャスの姿を微笑ましく見ていた。
だが、人の国での暮らしぶりを考えると、ずいぶん苦労をかけていると思える。
(誰ぞに言うて、キャスの世話をさせるべきであろうか)
もちろん、ノノマは率先してやりたがるに違いない。
とはいえ、病でもないのに、四六時中、世話をするなど魔物にとっては不自然なことなのだ。
むしろ、周りが「キャスは病なのか」と心配する。
「姫様、彼女に用事を依頼することはできますか?」
「必要なことだったら、だけどね。なんでも頼んでいいわけじゃないんだよ?」
「ノノマに頼みたきことがあるのか?」
フィッツが、ようやくザイードへと視線を向けた。
用でもなければ話す必要はないと考えているらしい。
ザイードが会話に口を挟んでも、たいていフィッツは無視している。
返答をしているのは、あくまでもキャスに対してだ。
さすがに、ザイードも、そのくらいは気づいている。
(しかし、ほんに読めぬ男よな。男として余を警戒しておるのであって、魔物ゆえ警戒しておるのではない)
フィッツは間違いなく「人間」だ。
にもかかわらず、魔物だの人だのという括りが感じられない。
ノノマに対しても「彼女」と表現している。
人にありがちな、魔物を見下しているような発言もなかった。
なのに、ザイードのことは「男」として警戒している。
自分の胸の裡を悟られているからに違いない。
なにしろ、ダイスにも「気づいていないのはキャスだけ」と言われているくらいなのだ。
勘の良さそうなフィッツが気づかないはずがない。
「私と長が、この家を離れている間、彼女が姫様と一緒にいてくださればと考えています。私の視覚情報が正確になるまでは、姫様を1人にしたくありません」
「今は、どっからでもってわけにはいかないんだ」
「申し訳ありません。手持ちの装置がなく……」
常には無表情のフィッツが、ほんの少し眉をひそめる。
反省や後悔にも見えたが、そこはかとなく戸惑いみたいなものも感じた。
なぜ、その「手持ち」がないのか分からない、といったふうだ。
おそらくフィッツであれば、備えを怠ったことはないのだろう。
ザイードには、フィッツが、そのような男に思える。
けして、行き当たりばったりで事に臨んだりはしない。
「では、ノノマに言うておこう。時に、お前と余が家を離れるというのは?」
「ガリダの領地を、長に案内してもらいたいからです」
「なにゆえ案内が必要なのだ? 好きに歩き回ればよかろう」
フィッツは人間だが、敵ではないと、皆も知っている。
ガリダを救ってくれた者だと、ザイードが話したからだ。
加えて、キャスの同胞だとも言ってある。
なので、フィッツが歩きまわっていても、誰もなにも言わないはずだ。
「長にしか案内できない場所もあるのではないですか?」
言われて、すぐに、ピンときた。
ザイードは、納得したとばかりにうなずく。
「そうだの。そういう場所もある」
「では、お願いします」
「承知した。して、いつとする?」
「できれば、すぐにでも行きたいところですが、彼女の都合次第ですね」
フィッツの言う「長でなければ案内できない」場所とは、あの装置のある洞だ。
キャスも案内できるが、それを避けたかったのだと察した。
ザイードも同じ思いをいだいている。
キャスには「壁」に、いい記憶がない。
だからといって、関わらずにいることはできないが、関わらずにすむ時にまで、無理をさせる必要はないと思ったのだ。
案内なら、自分だけで十分だった。
『人も魔物も、頭や心臓を撃ち抜かれたら死にますよね。それと同じです』
あの装置を壊せるのかという話の中で、キャスは、そう語っている。
こともなげに「人の死」と機械の破壊とを同列に話す姿に、ザイードは違和感を覚えた。
同時に、不安になったのを記憶している。
キャスが「死に場所」を求めている気がしたからだ。
自分では、キャスを引き留められないと感じたことも忘れてはいない。
「ノノマ、おるか?」
あの装置については、フィッツのほうが詳しいに決まっている。
早目に見せておくほうがいいと判断した。
戸が、カラリと開き、ノノマが入って来る。
これまで、ノノマは、よくキャスに会いに来ていたが、今はフィッツがいるため外でウロウロしていることが多かった。
フィッツを警戒しているわけでなくとも、入りにくかったのだろう。
「これより、余とフィッツは出かけるゆえ、キャスを頼む」
「かしこまりましてござりまする」
ノノマの瞳孔が、大きく広がっている。
尾も揺れており、嬉しそうだ。
久しぶりにキャスと話せると、喜んでいるらしい。
対して、キャスは、少し気後れしているような表情を浮かべている。
(ノノマの身内が1頭、死んでおるゆえか……気にしておるのであろうな)
ノノマの身内で、罠を張る策に加わっていたものが命を落としていた。
ノノマが無事だとわかったあとに、知ったことだ。
それを、キャスは気にかけている。
もしかすると、自分のせいだと思っているのかもしれない。
「では、まいろう」
ザイードが立ちあがると、フィッツがキャスに深々と頭を下げた。
「しばし離れますが、なにかあれば呼んでください」
「わかった」
キャスがうなずくのを待って、フィッツは立ち上がる。
入れ替わりに、ノノマが、すたたたっと板敷に上がり、キャスの隣に座った。
ほんのわずか部屋の空気が変わる。
キャスの気後れした様子に変わりはないものの、安堵もしているらしい。
(この者がおると、キャスは気を張っておらねばならぬようだ)
理由は不明だが、フィッツが現れてから、キャスの周りに薄い膜のようなものができた感じがする。
なにかを隠そうとしているのか、感情を抑制しようとしているのか。
判然とはしないが、ともかく、距離を取ろうとしているのは、わかる。
元々、キャスには、そういうところがあった。
1人で物事を片付けたがり、誰かの手を借りるのを拒む。
そのことで、ザイードは、キャスに厳しくしたこともあった。
巻き込みたくないという思いからだとはわかっていたが、なにもかもを背負おうとするキャスに、歯止めをかけたかったのだ。
だが、その時の距離感と、今のそれは違う。
原因が、フィッツであるのが、明らかに過ぎた。
ただ、理由が判然としないだけで。
(フィッツ……キャスから聞いた名だ。この者が、キャスの想い人であるのは確かなのだがな。生きておったのであれば、喜ぶべきと思うが……)
喜んでいないわけでもなさそうだった。
とはいえ、手放しで喜んでいる様子でもない。
それがザイードには不可解なのだ。
死んだと思っていた相手が生きていたため、戸惑っているだけだろうと、最初は思っていた。
けれど、キャスは、日に日に気を張っていったのだ。
その結果が、ザイードの感じる「膜」となっている。
「お前に呼ぶ気があるのなれば、余のことは、名で呼んでかまわぬ」
家から出て、湿地帯に向かう方角に足を向けた。
フィッツと並んで歩いている。
とくに視線を交わすことはない。
ザイードも感情を顔に出すほうではないが、フィッツも同様だ。
視線を交えたところで、なにも読み取れないだろう。
「必要がある際には、呼ばせていただきます」
「さようか」
「ところで、今回のことについて、あなたは、どのようにお考えですか?」
フィッツは、ザイードを名で呼ばなかったが、ザイードは気にしていない。
ほかに話す相手もいないのだし、ザイードもフィッツを名で呼ぶ必要を感じてはいなかった。
「そうさな。キャスを口実にしておったが、どの道、人は来ておったであろうよ。なれば、奇襲されずにすんだのは幸いであったと言えような」
「姫様が原因だとは考えていない、ということですね」
「むろんだ。余は、人の国に行き、皇帝にも会うたのだ。会うたと言えるものではなかったが、どのような者かは知った。潔さの欠片もない厭わしき者ぞ」
「皇帝……ティトーヴァ・ヴァルキアは、そうですね。そういう男です」
「あやつの執着が、魔人を利するものとなっておる。そのことにも気づいておらぬ愚か者よ。キャスは、皇帝と話そうとしておったというに……」
ザイードは、ジュポナでのことを思い出して、溜め息をつく。
キャスを取り戻したいと思う気持ちはわからなくはない。
愛しい相手を奪われたのだと考えているのなら、取り戻そうとするのは当然だ。
だが、だからこそ、愛しい相手の言葉を聞き入れなかった意味がわからない。
「姫様が皇宮から逃げたとは思いたくなかったのでしょうね。壁を越えたとなれば聖魔の精神干渉を受けてのことだと信じるほうが、気が楽だったのですよ」
「かもしれぬな。余を、聖魔だと勘違いしておったゆえ」
ザイードが攻撃されている中、キャスが、そのようなことを叫んでいた。
その言葉も、皇帝は無視している。
「やはり殺しておくべきでした」
「そうだの。殺しておくべきであった」
互いに思い浮かべた場所は違うだろうが、結論は同じだ。
ザイードは、ジュポナで手加減したことを悔いている。
手加減などせず殺していれば、のちの憂いには繋がらなかった。
だが、ザイードもフィッツも、皇帝を殺していない。
互いに、言葉にはしなくても、理由が同じだということを理解している。
皇帝を生かしたのは、キャスを気遣ってのことに過ぎないのだと。