複雑な日々があるばかり 2
フィッツは、自分が、ヴェスキル王族のため存在している「ティニカ家」により作られたことを知っている。
幼い頃から、いくつもの施術を受け、役に立てる体になっているはずだ。
思考は、常に最善を選択する「ティニカの教え」に則って働いている。
フィッツは、そういう生きかたしか知らない。
知らずに生きてきた。
疑問を持ったこともない。
なので、今もなんとも思わずにいる。
多くの選択肢の中から「最善」を選んでいるだけだ。
(姫様は、この家を気に入っておられる。新たに建築するとなると時間も要する。あの魔物を追い出せないのなら、私が常に側に控えていられるようにすればいい)
と考えている。
フィッツには、人だから、魔物だからといった区別はない。
もちろん男女の別もなかった。
男には男の、女には女の「危険要素」がある。
とくに、相手が男の場合は、さっき長も言っていた「生殖」関係の危険が、どうしても生じる。
フィッツは、ガリダの長が彼女に好意を寄せていると感じていた。
今まで何もなかったからといって、この先も大丈夫だとは言えない状況だ。
よって、四六時中、自分が見張る。
これが、フィッツの選んだ最善策。
建て増しをするだけならカサンドラの近くで作業ができるし、長を見張ることもできる。
材料の調達に関しては、ガリダたちに依頼することになるだろうが、長から指示させれば、問題にはならないだろう。
誰が聞いても身勝手だと取られるような考えだが、フィッツの理屈上では正しく成立していた。
フィッツは、ヴェスキルの継承者であるカサンドラの命を最優先する。
ただし、命に危険がおよばない範囲では、カサンドラの意思を優先するのだ。
そのため「カサンドラが、この家を気に入っている」前提で、最善を尽くす。
フィッツの存在意義と、命の在り様とは、そういうものだった。
なので、カサンドラと長が、複雑な表情を浮かべている意味がわからない。
「……まぁ、よい……それで、お前の気がすむのなれば、好きにいたせ」
「いいんですか……? 建て増しですよ?」
「かまわぬ。その者に、日々、家の前に立たれるのも……目立つゆえ」
「あ……ええ、まぁ……そうですよね……」
魔物の国で、ようやくカサンドラを見つけて、5日が経っていた。
その間、いかなる攻撃にも備えられるよう、家の前で夜明かししている。
これまでの、彼女の動向については、おおまかに聞いていた。
現状、魔物の国と人の国は紛争状態にある。
そして、カサンドラは魔物の国での戦いを選んだのだ。
となれば、当然だが、フィッツも魔物の国側につく。
というより、彼女を守るため、ほかの選択肢はなかった。
カサンドラが、人の国に戻ることを拒絶したからだ。
(姫様の命に関わること、とするには、少し根拠に薄い。帝国など、姫様が本気になれば、潰して潰せないことはないのだからな)
人の国には、未だ隠れ住むラーザの民もいる。
その技術力とフィッツ自身の力、そして、カサンドラの力を使えば、帝国を潰すのに、そう長くはかからない。
ただ、以前、彼女は自らの力を「使わない」と言っていたので、それを除外したとしても、今は魔物の勢力がある。
(しかし、少しは手こずるかもしれない)
人の国の中だけで帝国を潰すのと、国同士の戦争により潰すのとでは、やり様が違ってくる。
カサンドラには話したが、今後、帝国は長距離での攻撃方法の開発に力を入れてくるに違いない。
人は壁を越えられないため、無人機も増やすはずだ。
年を追うごとに、そうした武器は精度や威力を増していく。
今でさえ3百キロもの距離を飛んでくるミサイルが存在していた。
帝国領土内だけであれば、それで十分だ。
しかし、これからは魔物の国を視野に入れてくる。
必然的に飛距離に重点を置くことになるだろう。
(万が一に備え、姫様の脱出ルートは確保しておかなければな)
もしくは「ティニカの隠れ家」のような地下施設が必要だ。
あそこまでのものは無理だとしても、簡易的なものを作っておくことにする。
「承諾が得られたので、資材の調達もお願いします」
「いやいや、フィッツ……それは……」
「なに、かまわぬさ。その者だけで、なにもかもするのは大変であろう。皆に調達させるゆえ、必要なものを書き出しておくがよい」
「わかりました」
「……すみません、なにからなにまで……」
「そなたがおったからこそ、ガリダは守られたのだ。気にいたすな」
長の言うように、彼女がいたからこそ結果的に魔物の国を助けることになった。
でなければ、魔物の国がどうなろうと、気にも留めなかったはずだ。
フィッツにとって、魔物の国の存亡に意味はない。
同時に、帝国がどうなろうと、それも、どうでもよかった。
カサンドラが「帝国を潰す」と言うのなら、それに従う。
そのために戦争が起きるのであれば「勝つ」ようにする。
勝利を目指すのではない。
勝利しか存在しないのだ。
「それにしても、やはりガリダ族の領地は沼地ばかりですね」
「お前は、ガリダを知っておるのか?」
「フィッツは、魔物の国に来たことないよね?」
フィッツは「カサンドラ」に視線を向ける。
答えも、彼女のためのものに過ぎない。
長は、皇宮にいた騎士たちへの認識と、ほぼ同等だった。
必要がなければ「無視」する。
「来たことはありませんが、ティニカには魔物の国の情報がありました。歴代女王陛下から、お聞きした内容だと教えられています」
「その女王とやらは、魔物の国に来ておったのか……」
「壁の装置を造る時には来てたでしょうし、そのあとも、壊れてないか様子を見に来てたんじゃないかと思います」
「そなたの祖が、あれを造ったのだな」
「すみません、バタバタしてたので、話し忘れてました」
長は知らなかったようだが、フィッツには既知のことだ。
自分が「壁を越えられる」理由は知らなかったが、2百年前に壁が造られた経緯などは、当然に知っていた。
ティニカは、ヴェスキル王族を守るためだけに存在している。
ほかのラーザの民が知らないことも、密かに伝え聞いて知っていた。
「して、お前は、我らを、どれほど知っておる?」
「なにもかも、とは言えない程度です」
「ある程度は知ってるってこと?」
「種族、種族ごとの資質、魔力の特性、性質などは知っています。中間種の形態をとることで他種族との生殖行為も可能、子を成せるそうですね」
ちらっと、長のほうに視線を投げる。
長は目を伏せ、軽くうなずいていた。
表情に変化はないように見えるが、目を伏せているところが怪しく思える。
魔物は、瞳孔に感情が出るのだ。
それを隠しているのではないかと、フィッツは勘ぐっている。
「結構、よく知ってるね……あ! だったら、あのフード姿の……っ……」
カサンドラが、ハッとしたような顔をして、すぐに口を閉じた。
フィッツは、苦い気持ちになる。
ヴェスキルの継承者を守護する立場の者としては、大失態だ。
皇宮の地下室まで行ったのは覚えている。
が、そのあとカサンドラを見失ってしまった。
と、フィッツは思っている。
そこで記憶が一時的に途絶え、次に彼女を見たのは、魔物の国でミサイルの着弾地点付近に立っている姿だった。
咄嗟に、遠隔操作を行い、ミサイルを処理したのだが、途中の記憶は、すっぽり抜け落ちている。
ティニカで、自分が壁を越えられることは教えられていた。
だが、現実には、どうやって越えたのかは覚えていないのだ。
何者かに記憶を消されたのか、身体的な異常が起きたのか。
いずれにせよ、思い出せないものは思い出せない。
(体に、未知の装置が仕掛けられていないのは確認済みだ)
可能性のひとつとして、フィッツは「カサンドラの力」を考えている。
彼女の力は、言葉を使うものだった。
脳を損傷させ、思考を奪う。
とはいえ、自分の脳に異常がないのは確認している。
思考力も「いつもの通り」だ。
それでも、使いようによって記憶だけを消せる、という可能性は残されている。
なので、カサンドラに、自分の記憶について詳しく訊かずにいた。
仮に、彼女が記憶を消したのなら、そうしなければならない理由があったのだ。
主の「理由」に、フィッツは口を挟む立場にない。
必要があれば、カサンドラから話してくれる。
話さないのは、フィッツが理解する必要はない、と判断したからなのだ。
その主の判断に、フィッツは疑問をいだかない。
「フード姿というのは、人の作った中間種ですか?」
「さよう。壁ができる前に囚えておった我らの祖を、繫殖に使ったようだ」
カサンドラの代わりに、長が答える。
その「フード姿」は、ここにも来たのだろう。
そして、彼女は襲われたことがある。
フィッツは会話の中から、悟っていた。
魔物の特性と中間種。
それらの言葉に反応して、カサンドラは「フード姿」を思い浮かべたのだ。
人は、魔物の国を襲うことはあっても、移住など考えなかった。
すなわち、魔物の国に「中間種」はいない。
いるとすれば、連れ去られた魔物が、人と成した子になる。
だが、その子らは、壁ができた際、皆殺しにされているはずなのだ。
結果、カサンドラの思い浮かべた「フード姿」は、人の国で「作られた」中間種以外にない。
(人の国で作られた中間種が、あえて姫様を追ってきたのなら、確実に敵。姫様の命を狙う者の配下だ。おそらくティトーヴァ・ヴァルキアではない)
皇太子は、カサンドラに執着している。
とはいえ「遺骸でもかまわないから連れ戻せ」とはならないはずだ。
皇太子にとっては、生きていなければ意味がない。
「私がいない間、姫様をお守りいただいたことには感謝しています」
ガリダの長が、なにか言いたそうに開きかけた口を閉じる。
それから、カサンドラのほうを見て、改めて口を開いた。
「難しき者だの、この男は」