きみのいる空の下でも 4
キャスは、ぼうっとしている。
あれから、3日。
どうすればいいのか、わからないままだった。
「姫様、お茶を用意しました。なるべく人の味に近いものにしております」
「あ、うん……ありがと、フィッツ……」
声にも覇気がない。
嬉しいはずなのに、喜べていないのだ。
いや、喜んではいる。
ただ、寂しくてたまらなくて、どうすればいいのか、わからずにいた。
フィッツの記憶は欠落している。
フィッツが、どうやって生き返ったのかは、不明だ。
自分が関わっているのではないかと推測はしていた。
あの時、確かにフィッツの魂は、粉々に砕けている。
だとしても、ラフロは取引には来なかったのだ。
(たぶん……私の……っていうか、カサンドラの血に聖者の血が混じってるから)
なにか「聖者」の力のようなものが働いたのではないか。
フィッツを呼び、大声で叫んだのを覚えている。
そのあとの眩暈と血の涙。
キャスは、それまでも「言葉の力」を何度か使っていたが、あんなふうになったのは初めてだ。
いつもとは違っていたのも自覚している。
なぜなら、言葉の力を使ったにもかかわらず、ファニが来なかったからだ。
あれほど大声で叫んだのだから、ファニが集まって来ないはずがない。
いつもとは違ったので、ファニは来なかったのではなかろうか。
「当面は、こちらで過ごされるのですね?」
「うん……人の国に帰る気ないし……」
「わかりました。それでは、いくぶんかでも姫様が快適に過ごせるようにしましょう。ここは、皇宮の、あの小屋より、不衛生です」
フィッツが戻り、すぐにおかしい、とキャスは気づいている。
無表情で淡々としているのは、いつも通りだった。
だが、フィッツはキャスを「姫様」と呼んだのだ。
ティニカの鎖は断ち切っていたはずなのに。
そのせいで、涙も出なかった。
ものすごく怖かったからだ。
恐怖が先に立っていて、喜びも嬉しさも追いやられてしまった。
せっかくフィッツが生き返って、傍にいるのに、心の穴は塞がっていないのだ。
(フィッツが覚えてたのは、戦車試合のあとの宴まで……)
そこから先をフィッツは、なにも覚えていない。
地下の隠し通路で、初めて手を繋いだ。
それも、フィッツは覚えていなかった。
もちろん、帝国内を逃げ回ったことも、ティニカの隠れ家のことも。
(……だから、あんなこと……思ってたより……ショックだったな……)
フィッツは、キャスの無事を確認したあと「人の国に帰る」ことを提案した。
理由は「魔物の国より安全だから」だ。
記憶がないので、フィッツは、魔物の国のことを知らずにいる。
なぜここにいるのかも、わかっていなかった。
ただ「姫様」を追って来たのだろうと、フィッツの中では解釈されている。
皇宮を逃げようとしていたのは、フィッツも覚えていた。
が、その過程で見失い、探していたのだと、思い込んでいる。
1度は死に、生き返ったとは、思ってもいない。
当然だが、キャスも、そんな話は、できずにいる。
またフィッツは「少々、頭のイカレた男」に戻ってしまった。
それでもかまわないのだけれど、問題はある。
キャスのほうには、記憶がある、ということだ。
フィッツに恋をしている自分を自覚してもいた。
抱きしめたくなるし、抱きしめられたくなる。
(でもさ……もしフィッツを変えたら……また同じことになるよね……)
フィッツを喪ってから、繰り返し後悔してきた。
そのたびに考えていたことがある。
自分がフィッツをわかろうとしなければ良かったのではないか。
フィッツを変えてしまったから、あんなことになったのではないか。
キャスの思いに応えようとして、フィッツは「ティニカの教え」を捨てた。
最善を取るべき時でも、キャスの心情を優先させたのだ。
彼女が「犠牲を好まなかった」から、温情をかけさえしている。
『自分でも判然とはしませんが……姫様が喜ばないと思ったからでしょうか』
そう言ったフィッツの言葉を、今のキャスは喜べずにいた。
だんだんに変わっていったフィッツの言動と行動。
それらが、フィッツを危険に晒し、最後には命を奪ったのだ。
だから、フィッツの変化が良かったことなのか、わからなくなっている。
キャス自身としては、フィッツの変化は嬉しい。
ティニカの鎖から解放され、自分を「キャス」と呼んでほしかった。
手を繋ぎ、結んだ約束を思い出してくれることを願ってしまう。
けれど。
キャスの脳裏で、1人の男が嗤っている。
後悔するぜ、と言っている。
ゼノクル・リュドサイオ。
結果的に「黒幕」には逃げられてしまった。
今後、大人しくしているとは、到底、思えない。
ロキティスも腹黒い奴ではあったが、比較にならないほどタチが悪いのだ。
人も魔物も、戦争も死も、なにもかもを「娯楽」と称して楽しむ男。
それが、ゼノクル・リュドサイオという男だった。
キャスは、唇を、きゅっと横に引く。
戦は、まだ終わらない。
(あいつは、魔人。この先も、なにやらかすか、わかったもんじゃない)
ザイードから、ゼノクルは体の持ち主であり、中は「魔人」だと聞いたのだ。
聖魔の片割れ。
ラフロとも繋がっているに違いない。
ラフロは、きっと今も見ている。
あの鏡のような湖面に、自分たちを映しているのだ。
聖魔の性質として、ラフロとゼノクルは連携していないのだろう。
ザイードを、ラフロが生かしたことからも、それはわかる。
だが、キャスは、それこそが危険だと感じていた。
ザイードを、ラフロは、ほとんど完全に治している。
キャスが「それだけ?」と、思わず口にしたほど、一瞬で、だ。
(ゼノクルは生きてるし、その中にいる魔人も生きてる)
ラフロが治した可能性は、大いにあった。
であれば、確実に「息の根」を止めなければ、何度でも繰り返される。
魔人にとっては喜劇であり、人や魔物にとっては悲劇でしかないことが。
「姫様、今後のことを考えておられるのですか?」
「人との全面戦争って、有り得ると思う?」
「有り得ます。ミサイルが落ちていれば、限りなく百%でしたが、着弾を回避したことにより、現時点では62%ほどになるでしょう」
「それって、どういう数字……あ、計算方法について聞いてるんじゃないよ?」
この「少々、頭のイカレた」フィッツには、正しく言わなければ伝わらない。
出会った当初のフィッツと、ほぼ同じ状態と考えて、話すべきなのだ。
「起こり得る状況を鑑みての数字です、姫様」
「ん……現時点って言った?」
「言いました」
「てことは、この先は……悪い数字になりそうだね」
「仰る通りです。およそ1年で70%を越え、その後は半年ごとに3~5%ほど、上昇していくものと思われます」
「いやいや、待ってよ。だったら、早ければ今から4年後には全面戦争になるってことじゃん。根拠はなに?」
心に葛藤をかかえながらも、キャスは話す。
なにか話していなければ、フィッツがいなくなりそうで怖いのだ。
記憶がなくても、フィッツが傍にいるのといないのとでは、大きな差がある。
フィッツを、2度と失いたくない、という気持ちが強い。
「人は壁から出なくても、攻撃する手段を持っています。であれば、今後は、その開発に力を入れるでしょう。無人での近距離攻撃も視野に入れてくるはずです」
「空から、とか?」
「それでは目立つので、地上ないしは地下になりますね」
元の世界では、ドローンがめずらしくはなかった。
今さらに気づいたのだが、この世界には「航空機」がない。
空を飛ぶという発想はないのだろうか。
魔物も、ザイード以外は、空を飛翔することはできなかった。
(でも、ラフロは飛んでたよね。てことは、聖魔だけの特権、みたいなもん?)
とすると、空も「安全」とは言えない。
むしろ、航空機の機能を考えると、空が最も危険な気がする。
操縦士を操られれば、確実に「死」が待ち受けているのだから。
「偵察ならどう? 無人の偵察機を飛ばす、とかさ」
「こちらまで飛ばして来ることは有り得ません。魔物は魔力攻撃ができますので、すぐに撃ち落されます。仮に魔力攻撃に備えられたとしても、物理的な攻撃は避けられません。守備として利用することは想定されますが」
「あ……そりゃそうだよね……やっぱりフィッツは頭がいいなぁ」
「恐れ入ります」
フィッツが、胸に手をあて、恭しく礼をする。
その姿にも、心が軋んだ。
ティニカの隠れ家で過ごすようになってから、ほとんど見なくなった仕草。
(また……ヴェスキルの継承者に、戻っちゃった……)
だからこそ、側にいてくれるし、守ってもくれるし、世話もしてくれる。
けれど、それだけのことなのだ。
彼女自身が「理由」になっているのではない。
「ですから、ご提案をしたのです。人の国ならば、ティニカがあります。ティニカであれば、姫様を……」
「その話は終わったよね」
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
深々と頭を下げるフィッツにも、胸が苦しくなる。
彼女は、フィッツに「命令」したいわけではないのだ。
会話をして笑い、お願いをしたり、されたり、そういう「普通」がほしかった。
だが、今のフィッツには、彼女の言葉は「命令」でしかない。
「4年か……その間に、こっちも備えないとだね」
「姫様のお心のままに」
無性に泣きたくなる。
フィッツが悪いわけではないと、わかっていた。
中途半端なことをした自分が悪いのだ。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
泣きたくなる心を抑え、フィッツに2杯目のお茶を頼んだ。
けれど、それもまた、フィッツにとっては命令となる。
どこまでいっても、今のフィッツに。
彼女の話は通じない。
こちらの章はこれにて終了でございます。
25話(1話×4部分(頁))まで、おつきあい頂きまして、ありがとうございました。
どこかしら、なにかひとつでも心に残る部分があれば、幸いです。
いいね、ご感想、ブックマーク、評価をくださった、皆様、感謝しております。
書き続ける気力にさせて頂いておりますし、支えて頂いていると思っております。
日々つけて頂ける「いいね」に、あたたかい励ましのお心を感じました。
お忙しい中、日々、様々なことが起きる中、足をお運び頂き、とても嬉しいです。
皆々様、本当に、ありがとうございました。