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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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つまらないことは切り捨て 4

 キリヴァン・ヴァルキアは、偏執的な愛の持ち主だ。

 フェリシア・ヴェスキルと出会い、おかしくなったのか。

 ともかく、死の間際まで愛への執着を捨てられず、憎しみに駆られるほどには、偏執的だと思える。

 

 カサンドラは、皇帝にとって憎い男の娘。

 皇太子は憎い女の息子。

 

 それ以外には成り得なかった。

 残された、もう半分の血を愛しいなどとは微塵も感じなかったのだ。

 

 だからこそ、カサンドラの実情を知りながら放置している。

 そして、皇太子には自らの「悲恋話」を話さずにいる。

 聞けば、己の母の罪を知った皇太子は、カサンドラへの意識を変えてしまうかもしれない。

 

 同情や罪悪感、もしかすると親近感さえいだく可能性があった。

 

 罪を追うべきはフェリシアを襲った男であり、それを画策したネルウィスタだ。

 子である2人には、なんの罪もない。

 なのに、罪を負わされている。

 皇帝に憎まれている。

 

「姫様は、話さないのですね」

 

 あれから数日が経つが、これといった動きはない。

 皇帝がどうしたのかも、知らずにいる。

 もちろん、彼女も、わざわざ皇太子を訪ねたりはしていない。

 だから、皇太子に話す気はないのだと、フィッツは判断したのだろう。

 

「復讐の片棒を担いであげるような理由がない。それにさ、どうせ私が話しても、あいつが信じるわけないじゃん。まさかの激怒だよ」

 

 フィッツが、ぱたっと大きく瞬きをした。

 気づいて、彼女は言い直す。

 

「嘘をつくな!だの、母親を侮辱するな!だの、話した私に激怒するってこと」

「ですが、それが事実です」

「だから“まさか”なんだよ。そこで怒る?って感じ。まぁ、事実っていうのは、受け入れられないことも多いからなぁ」

「論理的に考えれば、姫様が嘘をつく必要はないと判断できます」

「いやいや、フィッツ。みんながみんな、あんたみたいにはなれないんだよ」

 

 人には感情というものがある。

 フィッツが言うように、筋道を立てて考えればわかることでも、認められない。

 むしろ、事実だと気づいている理性を、感情が隠そうとする。

 そのため、必要以上に怒ったりするのだ。

 

 認めたくない事実から目を背けたくて。

 

「ほら、図星を指されると怒る人って、めずらしくはないよね。薄々は気づいてるけど、気づきたくなくて隠してるんだよ。誰だって痛い場所にはさわられたくないものだしさ」

「姫様の話が事実だと気づいていても、認めたくなくて、皇太子は激怒するということですか?」

 

 うんうんと、数回、うなずいてみせる。

 フィッツは関心なさげに、お茶を、ひと口。

 本当に、皇太子の感情に関心はないのだろうけれど、それはともかく。

 

「それで、私は名ばかりの側室にされて、ディオンヌが皇后になるんじゃない?」

「皇太子の母親が、アトゥリノ出身だからですね」

「そ。ディオンヌもアトゥリノ出だし、アトゥリノの王女が皇后になれば、母親の名誉を回復できるとかなんとか、そういうこと考えそうだよ」

 

 皇帝の「悲恋話」をカサンドラが皇太子にした瞬間、2人の間には修復不可能な亀裂が入る。

 皇太子が事実を受け入れるのは、皇帝の言葉なくしては有り得ない。

 カサンドラが話したのでは駄目なのだ。

 たとえ2人の間の距離が縮まっていたとしても、すべて覆される。

 

 彼女は、皇太子が変わるとは思っていなかった。

 カサンドラに対する猜疑心や憎しみは、薄まることはあっても、どこかで燻り続けるに違いない。

 そして、彼女にも、それらを払拭する気はないのだ。

 皇帝の悲恋話をして、波風を立てることはない。

 お互い無関心でいればいい、と思っている。

 

「あいつは、自分の母親の不幸が、フェリシア・ヴェスキルのせいだと思ってる。だから、私にも偏見を持ってる。その私に、母親を冒涜されるようなことを言われても、信じるわけがない」

「皇帝は、それを見越していたということですか」

「自分が死んでからも、私やあいつが不幸になればいいって思ってたんだろうね」

 

 おそらく、だが。

 

「どこかの時点で、あいつが、その事実を知るような仕掛けになってるんじゃないかな。皇帝は、あいつのことも不幸にしたいんだから」

 

 事実を知り、カサンドラを虐げ続けたことを後悔しても間に合わない。

 そういう時期を見計らい、皇太子が事実を知るよう仕向けている気がする。

 カサンドラも皇太子も「平等に」不幸になるように。

 

 彼女は、きゅっと肩をすくめてみせた。

 皇帝の「愛」にまつわる偏執的な悪意が気持ち悪かったのだ。

 生憎、そんな悪意につきあう優しさはない。

 彼女は、自分の性根が悪いと自覚している。

 

「姫様は皇太子と婚姻しますか?」

「すると思ってんの?」

「いいえ。念のため、姫様のご意思を聞いたまでです」

 

 フィッツが意地悪で聞いたのではないと、わかってはいた。

 だが「皇太子との婚姻」を、どの程度と目算していたのかが気になる。

 

「ちなみに、私があいつと婚姻するって答える可能性は何%くらいだと思った?」

「0.1%未満です」

「それって無視できない数字?」

「できません」

「あっそ」

 

 どう考えても無視していい数字だ。

 とはいえ、フィッツには、フィッツなりの「理屈」がある。

 それは「無視」できない。

 深く追求しようとも思わないけれど。

 

「姫様のお考えは理解しました」

 

 と、フィッツが言うのだから、きっと「大筋」は理解している。

 新しいお茶に淹れ変えているフィッツの姿を見つめた。

 ボロ服をまとっていても「外見」は損なわれていない。

 なのに、なぜか目立たっていないようなので不思議だ。

 

「フィッツは誘われたりしない?」

「します」

「え? 誘われたことあるんだ?」

「以前も、アトゥリノ王女付のメイドに誘われました」

「それで?」

 

 注がれるお茶より、フィッツの顔を見てしまう。

 仮に皇宮内の誰かと恋に落ちることにでもなれば、フィッツは置いて行かざるを得ない。

 それはもう、惜しいが、しかたがないのだ。

 置いて行きたいわけではなく、けして。

 

「断りました」

「……ああ、そう」

「なにか手に入れたい情報でもありましたか?」

「なんで?」

「心なし、残念そうな響きを感じましたので」

 

 交わっていたフィッツとの視線を、素早くそらせる。

 人の感情の機微には疎いフィッツだが、察する能力はあるのだ。

 

 少々、頭のイカレた男を連れ歩くのは面倒だな、とか。

 すぐに「自死」とか言い出す男なんて嫌だな、とか。

 できれば、置いて行きたいな、とか。

 

 考えてはいない、けして。

 

「必要な情報を手に入れるためであれば、相手を篭絡することも(いと)いません」

「厭いなよ」

「私の身ひとつで事足りるのなら……」

「そういうのは必要ない……ていうか、フィッツ」

「はい」

 

 真顔のフィッツに、真顔で訊ねる。

 どうにも「その気」があるようには見えなかったからだ。

 

「できるの?」

「男女の別なく、できます」

「できるのか……まぁ、でもさ、いいよ、そういうのは。後で、ややこしいことになっても困るし……困らないように相手を殺すっていうのも駄目だからね」

 

 フィッツが言いそうなことを、先んじて封じておく。

 目の前の男は、実に危険なのだ。

 カサンドラ以外どうでもいいので、人を殺すことに躊躇(ためら)いがない。

 彼女が止めていなければ、フィッツが「邪魔」だと感じた者は、軒並み殺されていただろう。

 

 実際、皇宮に来てから何人も殺していると知っている。

 

 ディオンヌが殺されていないのは、単に目立つからだ。

 そして、真っ先に疑われるのはカサンドラとなる。

 フィッツがディオンヌを殺さずにいるのは、それが理由だろう。

 カサンドラ以外を犯人に仕立て上げられるのなら、いつでも殺すに違いない。

 

「いい、フィッツ? 私は穏便にやりたい。忘れないでよ?」

「わかりました」

 

 フィッツは「出立」の準備を整えてくれている。

 近いうちに皇宮から出ると決めていた。

 残念なことに、あの日が「その時」にはならなかったが、無事に脱出するまでは、穏便に日々を過ごしたい。

 遅かれ早かれ「その時」は来るのだ。

 

 皇帝は、あと半年ほどで、死ぬ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 新しい連載を待ち続けられる自信がないので溜めてガッと読んでます。 毎度ながら人物造型と歴史的背景の見事さが素晴らしい…!! すでにフィッツがどうかしていて最高です。 こういう、生きる基準が…
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