つまらないことは切り捨て 4
キリヴァン・ヴァルキアは、偏執的な愛の持ち主だ。
フェリシア・ヴェスキルと出会い、おかしくなったのか。
ともかく、死の間際まで愛への執着を捨てられず、憎しみに駆られるほどには、偏執的だと思える。
カサンドラは、皇帝にとって憎い男の娘。
皇太子は憎い女の息子。
それ以外には成り得なかった。
残された、もう半分の血を愛しいなどとは微塵も感じなかったのだ。
だからこそ、カサンドラの実情を知りながら放置している。
そして、皇太子には自らの「悲恋話」を話さずにいる。
聞けば、己の母の罪を知った皇太子は、カサンドラへの意識を変えてしまうかもしれない。
同情や罪悪感、もしかすると親近感さえいだく可能性があった。
罪を追うべきはフェリシアを襲った男であり、それを画策したネルウィスタだ。
子である2人には、なんの罪もない。
なのに、罪を負わされている。
皇帝に憎まれている。
「姫様は、話さないのですね」
あれから数日が経つが、これといった動きはない。
皇帝がどうしたのかも、知らずにいる。
もちろん、彼女も、わざわざ皇太子を訪ねたりはしていない。
だから、皇太子に話す気はないのだと、フィッツは判断したのだろう。
「復讐の片棒を担いであげるような理由がない。それにさ、どうせ私が話しても、あいつが信じるわけないじゃん。まさかの激怒だよ」
フィッツが、ぱたっと大きく瞬きをした。
気づいて、彼女は言い直す。
「嘘をつくな!だの、母親を侮辱するな!だの、話した私に激怒するってこと」
「ですが、それが事実です」
「だから“まさか”なんだよ。そこで怒る?って感じ。まぁ、事実っていうのは、受け入れられないことも多いからなぁ」
「論理的に考えれば、姫様が嘘をつく必要はないと判断できます」
「いやいや、フィッツ。みんながみんな、あんたみたいにはなれないんだよ」
人には感情というものがある。
フィッツが言うように、筋道を立てて考えればわかることでも、認められない。
むしろ、事実だと気づいている理性を、感情が隠そうとする。
そのため、必要以上に怒ったりするのだ。
認めたくない事実から目を背けたくて。
「ほら、図星を指されると怒る人って、めずらしくはないよね。薄々は気づいてるけど、気づきたくなくて隠してるんだよ。誰だって痛い場所にはさわられたくないものだしさ」
「姫様の話が事実だと気づいていても、認めたくなくて、皇太子は激怒するということですか?」
うんうんと、数回、うなずいてみせる。
フィッツは関心なさげに、お茶を、ひと口。
本当に、皇太子の感情に関心はないのだろうけれど、それはともかく。
「それで、私は名ばかりの側室にされて、ディオンヌが皇后になるんじゃない?」
「皇太子の母親が、アトゥリノ出身だからですね」
「そ。ディオンヌもアトゥリノ出だし、アトゥリノの王女が皇后になれば、母親の名誉を回復できるとかなんとか、そういうこと考えそうだよ」
皇帝の「悲恋話」をカサンドラが皇太子にした瞬間、2人の間には修復不可能な亀裂が入る。
皇太子が事実を受け入れるのは、皇帝の言葉なくしては有り得ない。
カサンドラが話したのでは駄目なのだ。
たとえ2人の間の距離が縮まっていたとしても、すべて覆される。
彼女は、皇太子が変わるとは思っていなかった。
カサンドラに対する猜疑心や憎しみは、薄まることはあっても、どこかで燻り続けるに違いない。
そして、彼女にも、それらを払拭する気はないのだ。
皇帝の悲恋話をして、波風を立てることはない。
お互い無関心でいればいい、と思っている。
「あいつは、自分の母親の不幸が、フェリシア・ヴェスキルのせいだと思ってる。だから、私にも偏見を持ってる。その私に、母親を冒涜されるようなことを言われても、信じるわけがない」
「皇帝は、それを見越していたということですか」
「自分が死んでからも、私やあいつが不幸になればいいって思ってたんだろうね」
おそらく、だが。
「どこかの時点で、あいつが、その事実を知るような仕掛けになってるんじゃないかな。皇帝は、あいつのことも不幸にしたいんだから」
事実を知り、カサンドラを虐げ続けたことを後悔しても間に合わない。
そういう時期を見計らい、皇太子が事実を知るよう仕向けている気がする。
カサンドラも皇太子も「平等に」不幸になるように。
彼女は、きゅっと肩をすくめてみせた。
皇帝の「愛」にまつわる偏執的な悪意が気持ち悪かったのだ。
生憎、そんな悪意につきあう優しさはない。
彼女は、自分の性根が悪いと自覚している。
「姫様は皇太子と婚姻しますか?」
「すると思ってんの?」
「いいえ。念のため、姫様のご意思を聞いたまでです」
フィッツが意地悪で聞いたのではないと、わかってはいた。
だが「皇太子との婚姻」を、どの程度と目算していたのかが気になる。
「ちなみに、私があいつと婚姻するって答える可能性は何%くらいだと思った?」
「0.1%未満です」
「それって無視できない数字?」
「できません」
「あっそ」
どう考えても無視していい数字だ。
とはいえ、フィッツには、フィッツなりの「理屈」がある。
それは「無視」できない。
深く追求しようとも思わないけれど。
「姫様のお考えは理解しました」
と、フィッツが言うのだから、きっと「大筋」は理解している。
新しいお茶に淹れ変えているフィッツの姿を見つめた。
ボロ服をまとっていても「外見」は損なわれていない。
なのに、なぜか目立たっていないようなので不思議だ。
「フィッツは誘われたりしない?」
「します」
「え? 誘われたことあるんだ?」
「以前も、アトゥリノ王女付のメイドに誘われました」
「それで?」
注がれるお茶より、フィッツの顔を見てしまう。
仮に皇宮内の誰かと恋に落ちることにでもなれば、フィッツは置いて行かざるを得ない。
それはもう、惜しいが、しかたがないのだ。
置いて行きたいわけではなく、けして。
「断りました」
「……ああ、そう」
「なにか手に入れたい情報でもありましたか?」
「なんで?」
「心なし、残念そうな響きを感じましたので」
交わっていたフィッツとの視線を、素早くそらせる。
人の感情の機微には疎いフィッツだが、察する能力はあるのだ。
少々、頭のイカレた男を連れ歩くのは面倒だな、とか。
すぐに「自死」とか言い出す男なんて嫌だな、とか。
できれば、置いて行きたいな、とか。
考えてはいない、けして。
「必要な情報を手に入れるためであれば、相手を篭絡することも厭いません」
「厭いなよ」
「私の身ひとつで事足りるのなら……」
「そういうのは必要ない……ていうか、フィッツ」
「はい」
真顔のフィッツに、真顔で訊ねる。
どうにも「その気」があるようには見えなかったからだ。
「できるの?」
「男女の別なく、できます」
「できるのか……まぁ、でもさ、いいよ、そういうのは。後で、ややこしいことになっても困るし……困らないように相手を殺すっていうのも駄目だからね」
フィッツが言いそうなことを、先んじて封じておく。
目の前の男は、実に危険なのだ。
カサンドラ以外どうでもいいので、人を殺すことに躊躇いがない。
彼女が止めていなければ、フィッツが「邪魔」だと感じた者は、軒並み殺されていただろう。
実際、皇宮に来てから何人も殺していると知っている。
ディオンヌが殺されていないのは、単に目立つからだ。
そして、真っ先に疑われるのはカサンドラとなる。
フィッツがディオンヌを殺さずにいるのは、それが理由だろう。
カサンドラ以外を犯人に仕立て上げられるのなら、いつでも殺すに違いない。
「いい、フィッツ? 私は穏便にやりたい。忘れないでよ?」
「わかりました」
フィッツは「出立」の準備を整えてくれている。
近いうちに皇宮から出ると決めていた。
残念なことに、あの日が「その時」にはならなかったが、無事に脱出するまでは、穏便に日々を過ごしたい。
遅かれ早かれ「その時」は来るのだ。
皇帝は、あと半年ほどで、死ぬ。




