きみのいる空の下でも 2
ザイードは、キャスの後を追った。
なんとなく「わかって」いたのだが、危険がないとは言い切れなかったからだ。
湿地帯の奥に、背丈が短く細い木が並んでいる場所に、2人は立っていた。
その姿を、ずいぶんと遠くから眺める。
魔物は、視野が広いのだ。
近づかなくても、表情まで鮮明に見えている。
キャスをかかえて飛んだ男に、表情はない。
薄い金色をした髪と目をしていた。
ルーポほどではないが、ガリダにも雪は降る。
冬場は、その程度には外気温が下がるのだ。
だが、男の着ているものは、袖が半分しかなかった。
人の国で、ズボンと呼ばれている衣類の生地も薄そうに見える。
(少しも寒いと感じておらぬようだの……装備も身につけておらぬが……)
魔物たちと交戦していた兵たちとは、まったく異なる「種類」のようだ。
どちらかと言えば、ジュポナで会ったキャスの同胞に近い。
なのに、あの3人とも、なにか違う感じがする。
だからなのか、落ち着かない気分だった。
ザイードはキャスに求愛している。
ただ、意識はあっても、キャスが、なにも目に映していなかったと知っていた。
おそらく聞こえていなかったはずだ。
それなら、それでもいいと思っている。
(いや、そのほうがよい。キャスを困らせてしまうだけゆえな……)
キャスを救ったのは、自分ではない。
あの薄着の男だった。
なにをしたのかはわからなくても、なにかしたことは、わかっている。
おかげで、ガリダも救われた。
とんっ。
肩を後ろから、小突かれる。
気配は察していたので、ザイードは顔をしかめた。
最も、来てはならないものが来ている。
好奇心が旺盛で、神経が無駄に太い奴だ。
「あれは、人だな」
「そうだの」
「キャスの同胞か」
「であろうな」
「いいのかよ?」
「いいも悪いもなかろう」
ザイードの肩が、ずしっと重くなる。
人型に変化はしているが、肩に乗せた腕に、前のめりで体重をかけてくるのだ。
ザイードの肩に、ほとんど体重をあずけているようなものなので、重くもなる。
耳が、ぴぃんと立っていた。
ダイスは、実は、馬鹿ではない。
馬鹿なところもたくさんあるが、頭が悪いわけではない、という意味だ。
キャスが、聖魔の国に連れ去られてからの1ヶ月。
ザイードはヨアナのところに通っていた。
あまりに憂鬱そうなザイードに、途中から、ダイスも、時々は、顔を出すようになったのだ。
そもそも、好奇心旺盛なダイスは「人語」にも興味津々。
ザイードほどではないが、そこそこ理解している。
シャノンを見張っていた際、シャノンは「人語」で「ご主人様」とのやりとりをしていたのだ。
それを、ダイスは、訳している。
少し微妙なところはあったが、それはともかく。
「ダイス……聞き耳を立てるでないぞ」
「けど、気になるだろ?」
「キサラは、いかがしたのだ? ついておらぬでもよいのか?」
キサラの名を持ち出し、ダイスを追いはらおうとした。
だが、すぐに無意味だったことを悟る。
ダイスを、ここに向かわせたのは、キサラなのだ。
大きな音と光は、北東にいた魔物たちにも見えていたに違いない。
「オレは、そうしたかったけど、キサラに様子を見に行けって言われたんだよ」
案の定だった。
ダイスが、少し、しょんぼりしていることから、叱り飛ばされでもしたのだろうことも察しがつく。
なぜダイスがキサラに「惚れた」のかは不明だが、ダイスの言うようにキサラが「よくできた番」なのは間違いない。
「来る途中、上から硬いもんが降って来て、大変だったんだぜ?」
「怪我をしておるものは?」
「いねぇよ。ほとんどがガリダの領地に落ちてたし、ガリダは体が硬いだろ。怪我しそうな奴らは避難場所にいたからな。外にいた奴らは、平気だったんだよ」
「さようか……なれば、よい」
魔人は、ガリダにミサイルを落とすつもりだった。
落ちていれば、領地の半分を民とともに失うことになっていただろう。
ザイードもキャスも、死んでいたはずだ。
「あの男が、キャスとガリダを救ったのだ」
「やっぱりキャスの同胞だぜ。人なのに悪い奴じゃねぇってわけだ。細っこいし、弱っちそうだけど、俺たちとは違う力を持ってるんだな」
「……あの者が……」
「ああ、キャスの想い人ってやつだろ?」
ダイスは、なんのことはないとばかりに、あっけらかんと言う。
逆に、ザイードは言葉をなくした。
ダイスに、自分の気持ちを理解させるのは、非常に難しいのだ。
こんこんと言って聞かせても、たいていは「ま、そういうこともあるわな」とか「よくわかんねぇけど、そういうことにしとく」とかで終わらせられてしまう。
肩が、さらに、ずしっと重くなる。
ダイスが体を寄せ、のしかかってきているからだ。
そして、銀の瞳孔を狭めている。
「ガリダの男には、そういうとこあるよな」
ダイスの言いたいことくらい、ザイードも気づいていないわけではない。
なので、ふんっと、そっぽを向いた。
その耳に、ダイスが言う。
「臆病者め」
むっとはしたが、感情を抑制した。
種族によっても求愛の状況は様々。
ルーポやコルコは、男から求愛することが多いし、ガリダやイホラは、女からのほうが多い。
ファニは、どう求愛しているのかも知らない。
関りが薄いので、気づかないうちに番ができていた、というふうなのだ。
「好きに言うておれ。余は、お前とは違うのだ」
「そんで? 未練たらたらで生きてくのかよ?」
「そうだの。未練たらたらで生きていくのであろうよ」
「けど、あいつは、キャスの番じゃねぇんだぞ? 番になってからだろ、未練たらたらで生きてかなけりゃならねぇのは。なんせ求愛もできなくなっちまうんだ」
番を持つ相手に求愛はできない。
相手が番を外れるまで待つか、諦めるか。
2つに1つ。
「しかし……あの者はガリダを救ってくれたのだ。なにより、キャスが想うておるのは、あの者ぞ」
「だから、なんだ?」
ひどく居心地が悪かった。
ザイードとて、好きで遠目から眺めているのではないのだ。
どうにもできないから、こうしている。
自分を恥じてもいた。
キャスを守りたいと思いながら、肝心な時には、1度も守れなかったからだ。
キャスと、ジュポナで手にいれた装置などがなければ、また人に負けていた。
キャスの力を借り、なんとかあそこまで戦えたが、最後には無力だった。
それを、ザイードは恥じている。
力のない自分を。
「お前は、努力が足りてねぇんだよ、ザイード」
ダイスと自分とは違うのだ。
586回も求愛を断れても、めげない心など持っていない。
相手の考えがわからなくても、へっちゃらなダイスのようにはなれなかった。
キャスを困らせ、心に負担をかけるのも嫌なのだ。
「キャスの気持ちが大事なんじゃねぇのか?」
「それゆえ、余は……」
「いいや、違うね。お前は、自分がかわいいだけだ。断られたくねぇから、そこで、じっとしてるんだろ。今は、キャスも、あいつのことが好きかもしれねぇけどな。番になるまでは、わかんねぇんだぜ? なのに、お前は勝負から逃げてばっかり。キャスに花のひとつも贈らねぇでさ。なにやってんだかな」
言い返したいことはある。
けれど、心の裡で、ダイスの言葉を肯定していた。
キャスとの関係を壊したくない、というのは、逃げにほかならない。
傍にいられるだけでいい、というのも、言い訳なのだ。
「なぜ、お前は、余の番に好奇心を持つ? 放っておけばよかろうに」
「オレだけじゃねぇし。国中が、お前の番はどうなるんだって思ってるぞ?」
「余計な世話だ。余は、余の好きにいたす。それゆえ……」
「あ……おい、ザイード……」
「ダイス、お前という奴は、余の話を」
「いいから、見ろって!」
なにかキャスが、険しい表情を浮かべている。
スッと、男が跪いた。
胸に手をあて、頭を下げている。
「魔物の国を、出る出ないって話で揉めてたけど、キャスは、魔物の国にいるって決めたらしいぞ」
「お前、聞いておったのか?」
「当然だろ? 男のほうは、人の国に帰ろうって誘ってたみたいだけどな」
それを、キャスは断ったようだ。
魔物の国に残ると決めたらしい。
そのことで、男と言い争いになったのだろう。
だが、すぐに男が引いたため、おさまったのだ。
「おい、ザイード。キャスは、本当に、あの男に惚れてんのか? そんなふうには見えねぇぞ」
「見えずとも、そうなのだ」
キャスを助けたあとのことを思い出す。
キャスは「大事な相手を喪った」と言っていた。
死んだのだと思っていたが、生きていたのだ。
そのことに、今は戸惑っているだけだろう、と思う。
「ザイード、これ、お前にも勝負の芽があるんじゃねぇか?」
「そのようなものはない! 行くぞ、ダイス」
「あいて……っ……耳を引っ張るな、耳を!」
「盗み聞きをするような耳なぞいらぬであろう!」
ザイードは、少しばかり苛々していた。
キャスが「壊れてしまう」ほどに想っていた男が、キャスに同等の想いを返していないように見えたからだ。