絶望の路頭 1
地上で、ダイスが右往左往しているのが見えた。
亀裂を挟み、魔物の国寄りのところだ。
ザイードは、空から周辺を見渡す。
「あれは……」
ダイスは、ザイードの指示通り、地割れで境界を作ったようだ。
深い亀裂が、地面に弧を描いている。
ナニャやアヴィオたちがいるのは、ダイスとは反対側だった。
まだ見えていないが、今は、こっちに向かって来ているはずだ。
つまり、ダイスのいる側が魔物の領域、反対側は人の領域。
3メートルほどの亀裂を飛び越えて行く人間もいる。
そのため、ダイスは、ほかのルーポに指示をして、人間を自分たちの領域に踏み込ませないようにしているのだ。
が、しかし。
ぽーんっ!
魔物の領域外に取り残された魔物たち。
ほとんどがイホラだった。
亀裂に水を入れた際、ナニャたちと分断されたのだろう。
そのイホラをくわえ、亀裂の向こう側へと放り投げているものがいる。
中ぐらいの大きさのルーポ。
器用に銃弾を避けながら、魔物たちを助けているが、傷を負ってもいるようだ。
灰色の毛に、紫の血が見えた。
長い尾が、大きく振れている。
「キサラッ!! もういい!! 戻って来い!!」
ダイスが右往左往しているのは、指示出しのためだけではなかった。
亀裂の向こうにいる「妻」に叫び続けているのだ。
が、キサラは聞こえていないかのごとく、無視している。
ダイスのほうを見ようともしていない。
しゅうっと、ザイードは下降した。
その間も、キサラはイホラを放り投げ続けている。
かなりの数のイホラが、これで助かったには違いない。
とはいえ、キサラは無傷ではないのだ。
「これ、キサラ! ダイスが狼狽えておる! 早う向こう岸に戻らぬか!」
「夫の尾の後ろに隠れているようでは、長の妻など務まりません。私はルーポ族の長、ダイスの妻なのです」
キサラが、しっかり者なのは知っている。
そして、頑固なのも知っていた。
説得は諦めることにする。
「皆、こちらに集まれ!」
ザイードの呼びかけに、イホラ、そしてガリダなども集まって来た。
ザイードは体を伸ばし、魔物たちの「壁」となる。
さっきの戦闘で半分ほども魔力を使っていたが、弾避けとなり、時間を稼ぐことくらいはできるはずだ。
ジュポナの時とは違い、人間たちは、でたらめに銃を撃っている。
ザイードの硬い鱗を貫くには、同じ場所を徹底的に狙わなければならない。
それを指揮する者はいなかった。
もちろん傷つきはするが、貫かれるほどではないと判断する。
「キサラ!! キサラ!! もういい!! 戻って来てくれっ!!」
ダイスの喚き散らす声が、通信装置なしでも聞こえていた。
相当に、取り乱している。
ダイスは、586回もキサラに求愛するほど、惚れこんでいるのだ。
目の前で銃弾を受ける姿も見たに違いない。
狼狽え、取り乱す気持ちも、わかる。
「ダイス、落ち着け! 余が弾避けになっておるのだ! 簡単にやられはせぬ! お前が落ち着かねば、キサラの頑張りが無駄になろう!!」
「ザ、ザイード……っ……けど、キサラは撃たれて……」
周囲に、ファニの姿がなかった。
ざわっと、ザイードの胸にも不安が広がる。
ファニがいないということは、キャスが「力」を使ったことを意味していた。
家に残ると言っていたが、あれは嘘だったのかもしれない。
(キャスは、あの場所に行っておる……そこで、なにか起きておるのだ……)
あの「装置」の在りかは、ザイードとキャスしか知らなかった。
長たちにも話さずにいる。
壁自体が人の造った「機械」だとは説明した。
が、場所について知るものは、少ないほうがいいと考えたからだ。
「もうすぐ……ここにアヴィオたちが合流する。ナニャやガリダもだ」
キャスがどこにいて、なにかが起きているとわかっていても、ここを離れられない。
ザイードがいなければ、魔物たちが、まともに銃弾を受けることになる。
でたらめに撃っていると言っても、それはザイードに対してのことだった。
銃そのものの精度は高い。
傷ついて動きの鈍っているものを相手に、外すことはないはずだ。
「ダイス! 橋を架ける用意をしておけ!」
「橋……そうか、アヴィオとナニャがいれば……」
「シュザとラシッドにも手伝わせるゆえ、急げ!」
「わかった! ザイード……キサラを……キサラを頼む……っ……」
「任せておけ」
弾避けになりつつ、時折、尾を振り、人間たちを弾き飛ばす。
けれど、人間たちは怯まない。
怯まず、突撃をやめない。
ゾッとするような光景だった。
(奴らは、なにゆえ、あそこまでする……なんのために……)
魔物たちは、自分の身内、そして同胞を守るために戦っている。
かつての教訓もあった。
負ければ隷属させられ、酷使されたり、弄ばれたりしたあげく殺される。
わかっているから、戦っていた。
総体で言えば国のためだが、各々は「大事な相手」を守るためだ。
ザイードが今しているように、背中に「誰か」を庇っている。
だが、人間はどうか。
ただただ、魔物を殺すためだけに、命を賭している。
(国に帰れば家族もおるのだろう……身内もおるのだろう……)
なのに、そんな意識が、まるで感じられなかった。
殺戮のためだけの行動に見える。
そのせいなのか、躊躇いがない。
倒れている人間の中には、魔物と刺し違えている者もいた。
「ザイード! すぐに追っ手が来るぞ!」
「すまない! 奴ら、我らが逃げても逃げても追って来るのだ!」
アヴィオとナニャが、魔物たちを守りながら逃げて来たのだ。
少し遠目に、人間たちの姿があった。
ザイードは、目を細める。
とにかく、魔物たちを亀裂の向こうに逃がすのが先だ。
「ダイス! 土を用意いたせ! ナニャは風にて土を亀裂の間にまとめよ!」
「俺は、炎で固めるが……シュザ」
「わかっておりまする。土に粘りを与えるのはガリダの役目」
「細うてもかまわぬ! 強度にもこだわるでない! 速度を優先せよ!」
ルーポが巻き上げた土が、ナニャとイホラたちによって、1本の道状へと、まとまっていく。
シュザが主導し、その道状の土に粘りを与えた。
コルコには傷ついたものが多く、動けるものがいない。
アヴィオの体から、大きな炎が上がり、道を伝わっていく。
「アヴィオ、もうよい! 強度にはこだわらずともよいのだ!」
残り少ない魔力を、アヴィオは、すべて使ったのだろう。
角の先に、ヒビが入っている。
これ以上、無理をすれば命にかかわるのだ。
ファニの支援がない中では、これで切り抜けなければならない。
「全員、退け! 動けぬものは、動けるものが背負うてやれ!」
魔物たちが、橋の上を飛ぶように駆け出した。
道さえあれば、イホラは身軽だ。
キサラが簡単に放っていたのも、体が軽いからだった。
コルコたちは、ガリダが背負っている。
ガリダの場合は、足元を泥化させ、橋を壊さないようにしつつ移動ができた。
「皆、そちらに着いたかっ?!」
「まだ、1体、残っています」
声に、見れば、アヴィオが倒れている。
そのアヴィオに、キサラが駆け寄っていた。
「いかん、キサラ! お前では……っ……」
アヴィオは、イホラとは違う。
しかも、コルコの中でも体格がいいのだ。
とてもキサラの力で持ち上げられるとは思えなかった。
が、キサラはアヴィオの襟首を、くわえ上げている。
「お前ら、風だ!! 風を起こせっ!!」
ダイスの声が響き渡った。
瞬間、イホラが起こした風が吹き上げる。
アヴィオをくわえたキサラが、風で亀裂の上に押し出された。
その中でもキサラは、懸命に首を振る。
キサラが投げ飛ばしたアヴィオの体は風に乗り、亀裂の向こうに落ちた。
それを見て、ザイードは息をつく。
が、次の瞬間、ダイスの悲痛な声が、耳を突き抜けた。
「キサラぁああああッ!!」
ハッとなって、キサラのほうを見る。
風の勢いに乗り切れなかったのだ。
アヴィオの体は重く、振り放つだけで精一杯だったに違いない。
キサラの体が宙に浮いている。
亀裂の真ん中あたりだ。
たった3メートル。
だが、ルーポは、地を蹴って飛ぶ魔物だった。
地面がないのでは、前には飛べない。
キサラの前脚が空を搔いている。
動きは完全に止まっていた。
このままでは、亀裂に落ちる。
ダイスが半狂乱になって、キサラの元に行こうとしていた。
それを、ほかのルーポが必死で止めている。
ダイスが、ルーポの長だからだ。
たとえキサラを犠牲にしても、ダイスを失うことはできない。
その時だった。
ダイスの横から飛び出したものがいる。
亀裂に飛び込み、キサラの前脚を掴んだ。
体をぶんっと振り、キサラを跳躍させる。
キサラの前脚が亀裂の端に引っ掛かった。
ダイスが駆け寄り、必死で引き上げている。
が、しかし。
キサラを救ったものは、反動で亀裂に落ちて行った。
その「ガリダ」が、最期に納得したような表情を浮かべたのを、ザイードは目にしている。
なぜ、そんな顔をしたのかも、わかっていた。
心の中で、そのものの名を、呼ぶ。
(…………ヨアナ……)