理不尽さはとめどなく 4
ほんの少し混乱している。
ゼノクルが、まだ立っているからだ。
口の端には血がついている。
まったく効果がなかったわけではないが、無力化できていない。
アトゥリノの兵のように「壊れ」なかった。
フィッツでさえ、ほんの少しの「言葉」で膝をついたのだ。
ゼノクルがフィッツ以上の演算能力を持っているとは思えない。
だが、理由は、あとで考えることにする。
ぐずぐずしている暇はなかった。
正直、ショックが大き過ぎて、逃げ出したくなっている。
本気で、死にたかった。
死んで、現実から逃げたかったのだ。
けれど、それもできない。
シャノンの後ろにいたのは、ゼノクル・リュドサイオ。
そうではないかと思っていたが、これで、はっきりした。
ロキティスと懇意だったので、中間種を手に入れることができたのだ。
親衛隊長のセウテルは弟であり、ティトーヴァに近い位置にいる。
「お、セウテルか? ちゃんと聞こえてるよな? 聞こえてる? そうか」
考えを読んだかのように、ゼノクルが耳に手をあてていた。
きっと秘匿回線で、皇宮と連絡を取っている。
状況は最悪だ。
どちらかと言えば、魔物たちは防戦一方となっている。
騎士たちの狂気じみた突撃に、気圧されているのだ。
もちろん魔物たちも必死になっている。
必死で、戦っている。
だとしても、心に戸惑いがあるのは否めない。
人の「狂気」が、わからないのだ。
魔物は、自然の摂理として「死」は受け入れる。
死ぬ時は死ぬものだ、と思っている。
だが「死にたい」とは、けして思わない。
病や怪我、戦などの結果として「死」があるだけだ。
ところが、人は、そうではない。
あたかも「死」を目指すかのような動きをすることがある。
死ぬかもしれないが、ではなく。
死んだとしても、なのだ。
突撃している騎士たちは、全員「死の覚悟」でもって亀裂を飛び越えている。
そんな意識を、魔物たちが理解できるはずはない。
わけがわからないと、戸惑い、混乱しているだろう。
ダイスの焦った声からも、それは、わかる。
そのせいで、押され気味になっているのだ。
騎士たちは狂気に汚染され、突撃することの意味など考えない。
魔物を殺すことしか考えていない。
対して、魔物たちは「どうして」を考えてしまう。
そこに、大きな差が出るのだ、戦では。
「あのよぉ、ちっとまずいことになっちまってよ。お前に、頼みがあんだけど? あ、そう? 準備できてる? さすが、俺の弟。兄思いで助かるぜ」
軽い口調で、ゼノクルが話している。
自分の力に対して、ゼノクルは耐性があるようだ。
とはいえ、まったく無力というわけでもない。
(薬を使って治療したみたいだけど……何回も繰り返せば……)
いずれは壊れる。
壊れなくとも、大量出血で死ぬだろう。
ゼノクルは、ここで仕留めておくべきだ。
ロキティスも、やっぱり「駒」だった。
ザイードの言っていた「盤面を動かす者」は、ゼノクルで間違いない。
「へえ。俺の場所もわかってんだな? 後ろに、お前がいると心強ぇや」
ゼノクルが、耳から手を離す。
そして、キャスに視線を向けた。
にやにやしている。
嫌な感じだ。
「俺の弟、セウテルのことは知ってるだろ? あいつ、なんでだか、俺のことが、好きみてぇでさ。後方支援をかって出てくれたんだよなぁ」
「後方支援……ほかにも部隊が来るってこと?」
これ以上の軍勢に攻められると、いよいよまずい。
冬だというのに、キャスの額から汗が流れた。
「そこは安心していいぜ? 無人だからな」
「無人? 人は乗ってないの?」
「そっちは、聖魔封じの装置がないもんでね」
装置は、全部で5つ。
ゼノクルの話からすると、ラーザの犠牲者は3百人にのぼる。
その中には、アイシャの父と祖父もいた。
きりっと歯が軋んだ。
「けど、武器を搭載してねぇわけじゃねぇぞ」
人が、個々で使う武器は、剣や銃だった。
それらには、まだ対処のしようがある。
ルーポは素早いので簡単には当たらないし、ガリダには硬い鱗があった。
コルコなら熱を読み、銃の動力源を暴発させることもできる。
「とりあえず、自動小銃で、その後ろにいる奴らを皆殺しにすっか」
ハッとなって、周りを見回した。
ミネリネを筆頭に、ファニが、キャスを守るように取り囲んでいる。
ファニたちは実体化していた。
この状態でなければ「癒し」が施せない。
けれど、この状態だと「攻撃を受ける」のだ。
(ファニがいないと、みんなの治療が……助かる命も助からなくなる……)
とはいえ、キャスが力を使うと、否応なくファニが寄ってくる。
これは、ファニの本能に近いので、抑制はできない。
つまり、ファニを逃がすことは簡単だが、その後、キャスは力が使えなくなる、ということ。
「……ミネリネ……すぐに、みんなのところに、戻ってください……治療が必要なものも、大勢いるはずですから」
「でも、キャス……」
「ここにいたら、ミネリネたちも殺されてしまうんです」
キャスは、ミネリネの手を握り、じっと水色の瞳を見つめた。
その中の濃い青をした瞳孔が、スと狭まる。
わかってくれたのだろう。
小さく、うなずいてみせた。
「おやおやぁ、いいのかねえ。小娘、1人になっちまっても?」
「あんたに気遣ってもらう必要ないから」
瞬間、キャスは目を伏せる。
ぱあっと、辺り一帯に光があふれた。
朝から始まった戦闘は長引いていて、夕日が真後ろまで降りてきている。
「……っ……のやろ……っ……目が……っ……」
ゼノクルが腕で目を覆っていた。
ファニは、光の調節ができるのだ。
言葉にはしなかったが、ミネリネには伝わったらしい。
キャスは夕日を背に、ゼノクルは正面にいた。
その2人に向かって、ファニたちが、一斉に光を歪めたのだ。
「ここにいると危険っていうのは変わってないので、早く!」
「キャス、あなたは、私たちを、すぐに呼べるのだから、遠慮はなしよ?」
「ありがとうございます……みんなを、お願いしますね」
しゅっと、ミネリネたちが消える。
それぞれに、傷ついたものたちの元に向かったに違いない。
キャスは、すぐにゼノクルに視線を戻した。
まだ目は見えていないようだ。
キャスは体を折り、地面に落ちていたものを掴む。
即座に、引っ張った。
ぎゃんっと声がする。
「シャノン! おい、小娘! そいつは俺のだって言っただろうが!」
「あんた、ロキティスより、まともだね。シャノンも、捨て駒にしてるって思ってたけど、可愛がってるみたいじゃん」
鎖を引っ張り、シャノンを引きずり寄せた。
シャノンも、目をやられている。
見えていないためか、やたらに耳を動かしていた。
ゼノクルの声を頼りにしようとしているのだろう。
キャスは、浴衣のような服にも装備ができる工夫をしていた。
浴衣風の服にポケットも不似合いだったが、ノノマと、服の改造をしたのだ。
服の裾をはだけ、足に巻いた小型のナイフを取り出す。
腰を締めているスカーフ風の布も、中に針金のようなものを入れていた。
イホラにある強度の高い植物の蔓だ。
これで拘束すれば、簡単には解けない。
「すぐにセウテルに連絡して」
「支援はいらねぇってか?」
「そうだよ。退いてくれるんなら、シャノンは解放する」
「ご、ご主人様……っ……駄目! 駄目、です……っ…」
「だとよ。俺の可愛いシャノンが、駄目って言ってんだぜ? 無理無理」
ゼノクルの軽い口調に、怒りがわいてくる。
ロキティスのしたことも許せない。
ロキティスが「カサンドラ」を殺そうとしなければ、フィッツが死ぬようなことには、ならなかったからだ。
だが、そこでもゼノクルは動いていたに違いない。
すべての元凶は、ゼノクル・リュドサイオ。
にもかかわらず、ゼノクルには、一片の罪の意識もないようだった。
軽い口調に、にやにや笑い。
楽しそうですらある。
『お前のやることは? ご主人様を……楽しませること……』
ダイスを通して、ゼノクルとシャノンがしていたやりとりだ。
キャスは、確信する。
ゼノクルは面白がっているのだ。
彼女が帝国内を逃げ回っていたことも、その過程でフィッツが死んだことも。
魔物の国を狙っていたロキティスが「聖魔封じ」にラーザの民を使ったことも。
魔物たち、いや、騎士たちもが、戦場で死んでいることも。
ゼノクルは、楽しんでいる。
怒りが全身を纏っていた。
殺すだけでは飽き足りない、とすら思う。
「そう……だったら、あんたに、もっと楽しんでもらえるようにしないとだね」