理不尽さはとめどなく 3
お!と、ゼノクルは思う。
さっきまで、カサンドラの目は死んでいた。
その瞳に、光が戻っているのだ。
(やっぱりラフロに似てんな。紫紅の目なんか、そっくりだ)
つい最近、聖魔の国に「里帰り」をした時のことを思い出す。
20年ぶりではあったが、聖魔にとっては、たいした時間ではない。
いいところ、1年ほどの感覚もなかった。
それでも懐かしいと感じたのだ。
ラフロとは感情を共有している。
人じみた言いかたをするならば「魂の分け合いっこ」という表現になるだろう。
一緒にいなくても、互いの感情は伝わるのだが、会って話をするのは格別だ。
楽しみを分かち合っているという気分になれる。
(でも、ま、この小娘はラフロじゃあねえ。こいつは、こいつだ)
ラフロと共通の「玩具」ではあるが、それ以上のものではない。
クヴァットにすれば、ラフロの着ている服についているボタンのほうが、よほど身近に感じられる。
所詮、その程度の存在だった。
「……ロキティスも、あんたが唆したんじゃないの?」
よろよろと、カサンドラが立ち上がる。
見せ場ではあるものの、まだ終幕ではなかった。
なので、今は「ゼノクル」でいる必要がある。
魔人だと悟られないようにしつつ、カサンドラを追い詰めることにした。
「俺がきっかけを与えたからって、唆したことにはならねぇんじゃねぇか? それにな、あいつらが、ほとんど死ぬはめになったのは、こいつがケチったせいだ」
ゼノクルは、足で倒れているロキティスを、再び蹴飛ばす。
それは、事実なのだ。
ロキティスが無茶をさせなければ、ここまで酷いことにはなっていない。
「知ってるか? 人間ってのは、十人いても、そのうち3人が肯定した途端、どう言うと思う? 皆って言うんだ。おかしいだろ? 半数にも満たねぇのに、なんで皆なんだかな。けど、それで十分、みんな、になっちまう」
「だから、なんだっていうわけ?」
「皆って意識は、あっという間に広がる。そんで、数が多いほど強くなる。誰もが言うわけさ。皆が言ってるから、皆がやってるからってな具合だ」
自分の意思でもないくせに、「みんな」を自分とすり替える。
それが、人間の心の「脆弱性」の根本にあった。
最初は、十人中たった3人の意見が、気づけば「皆」のものになっている。
ただひとつ「みんな」という言葉を使うだけで。
「皆って意識は、空恐ろしいもんなんだぜ? 伝播して、人の意思を、書き換えていくんだからな。その最初の3人が、30人だったら? 3百人だったら、効果は、どこまで広がってくか」
「それって、今、話す必要ある?」
「あるさ。俺は、今、あいつらの喜……悲劇について話してんだぜ?」
人は、たった3人でも「皆」という意識を作り上げる。
当然、元の人数が多ければ、意思の流れは速く、そして広がりも大きい。
だが、それは数字的な単純さでは測れないものなのだ。
「ロッシーの装置は、人の意思を使ってる。ラーザの民の、ヴェスキルに対しての強い意思だ。人数が多くて同調が高まりゃ、1人にかかる負担は減るもんだ。逆に少ないと1人にかかる負荷は、どうなると思う?」
大型のリニメアーには、最低でも百人のラーザの民が必要だった。
安定した「聖魔封じ」を実現しながら、人と魔物の国を往復するために、だ。
なのに、ロキティスは必要とする「最低限」の人数も装置に組みこまなかった。
焦りから、用心深さや慎重さを捨て、自らカサンドラ探しに出かけたのだ。
そのため、ゼノクルの部隊の装置を「ケチ」っている。
「人数と意思の力ってのは、単に倍数されるもんでもねぇしな」
仮に百人が50人に減ったとすると、装置の能力が50%に下がるのではない。
もっと、ずっと、大きく下がる。
30%以下だ。
同調意思が、百人の時ほど膨らまないのが原因だった。
「そんな酷使された状態で数百キロだぜ? こいつは、帰りも使う気だったみてぇだが、無理に決まってらぁな。ほとんど死んでる、ていうか……もう死んでる」
きりっという音に、ゼノクルは、キャスに軽く肩をすくめてみせる。
ロキティスが試算通りに事を進めていれば、ラーザの民が、生き残れた可能性もあった。
悪いのは「ケチった」ロキティスなのだ。
「あんたは、私を殺す気はないんだっけ?」
「今のところは、必要ねぇからな」
「……私が帰れば……おさまるの?」
「そいつぁ、残念。無理だ」
「どうしてさ? あいつは、私に執着してるんでしょ? ロキティスのしたことを話せば……」
ゼノクルは、両手を広げて見せる。
まだ「娯楽」や「遊び」に慣れていない小娘だと揶揄する気持ちも込めていた。
物事には、時機、というものがあるのだ。
それを逃せば、望むものに手はとどかない。
「皇帝陛下は、魔物も聖魔も絶滅させるんだとよ」
「なに言って……」
「人だけの世界を、お創りあそばしたいらしいぜ?」
「馬鹿じゃないの……? 聖魔の国がどこにあるのかも知らないくせに……」
「だから、魔物が先だな。絶滅させる気満々だったぞ」
カサンドラの目つきが険しくなる。
いよいよ、面白くなってきた、と思った。
かちゃん。
その音が、なんの音なのか、一瞬、ゼノクルは気づかなかった。
カサンドラが、いつの間にか、手に鎖を握っている。
彼女の足元には、落ち葉が積もっていた。
その中に隠していたらしい。
カサンドラが、ぐいっと鎖を握った手を引っ張る。
引きずられるようにして現れた姿には、三角の耳と尾があった。
口には轡がつけられている。
「あんたは、中間種を殺しても平気だよね? こいつは殺すことにしたよ。もう裏に誰がいたかもわかったから、用済みだしさ」
鎖を大きく振ったせいで、シャノンが地面の上に倒れた。
しかし、シャノンはゼノクルを見ようとはしない。
助けを求める視線ひとつ投げずにいる。
ゼノクル、もといクヴァットは、カサンドラに冷たく言った。
「そいつぁ、俺のものだ。返せ」
ぴくっと、カサンドラの眉が持ち上がる。
それとともに、鎖を引っ張った。
首にかけられた鎖が首輪を引き絞ったのか、シャノンが苦しそうに呻く。
視線は、カサンドラに向けたままだったが、内心では、苛々していた。
「あんたが、名前をつけてあげたんだ? ロキティスよりマシかもしれないけど、結局は、捨て駒なんでしょ? こっちからすれば、こいつは裏切り者だしさ。無罪放免なんてできないね。あんたはともかく、こいつは殺す」
「小娘、そいつは俺のもんだって言ったろ」
自分のものを取り上げられるのは、我慢ならない。
シャノンは従順で、狡猾さがなく、クヴァットお気に入りの玩具なのだ。
こうなってもまだ、ゼノクルに助けを求めようとしない健気なシャノン。
本当に、よく出来た可愛い「玩具」だった。
皇帝には「精神干渉されていたのでしかたなかった」とでも言うことにする。
手足に数発程度なら、食らわせても命を落とすことはない。
ゼノクルは、カサンドラに銃を向けた。
『盾にするくらいのつもりだったんだけどね』
びきっと、後頭部に割れるような痛みが走る。
と、同時に、口から血を吐き出した。
地面に、びしゃっと音をたてるほど大量の血だ。
なんだ、これは。
シャノンも、体を丸めて苦しんでいる。
にもかかわらず、やっとゼノクルのほうに顔を向けた。
大きくて青い瞳、その中の銀をした瞳孔が広がっている。
『しぶといな。早く壊れてよ。壊れろ!!』
バタバタッと、また口から大量に血があふれた。
頭は殴り続けられているかのように痛みが止まらない。
なにをされているでもないのに、息の根を止められそうだ。
自分の周りで、なにかキラキラしたものが光っている。
体を捨てるか。
魔人としてならば、逃げるのは可能だ。
だが、それは「魔人」として有り得なかった。
自分が追い込まれることになるなんて、これほどの「娯楽」はない。
3百年を通して、初めてのことだ。
「……ううっ……うっ……」
鎖に繋がれたまま、シャノンが、体をくるんっと返しながら飛び上がる。
カサンドラの首に、その鎖を巻き付け、後ろに倒れこんだ。
途端、すうっと痛みが引いて行く。
カサンドラが、なにか力を使っていたらしいが、なんだったのかはわからない。
わからなくても良かった。
ぱんぱんっ!
両足の膝を撃ち抜く。
死なない程度に、生きていれば、それでいい。
キャスが体をよじって、呻いていた。
「シャノン、迎えに来たぞ」
「う、ぅうう……っ……」
両手を広げたゼノクルに、シャノンが駆け寄って来る。
その体を抱きとめ、轡を取ってやった。
頭を撫で、褒めてやろうとしたのだけれど。
「キャス、キャス」
大勢の魔物に取り囲まれていた。
というより、魔物たちが、辺り一帯に集結しているのだ。
これほどの数がいるとは思わなかった。
しかも、どこから現れたのかもわからない。
「大丈夫かしら? 深い傷ではないけれど、痛かったでしょう?」
「ありがとうございます、ミネリネ」
魔人としての3百年。
その中でも、最も面白い舞台を、繰り広げているのではないか。
クヴァットは、シャノンを腕に、口元を緩めた。
とはいえ、主導権を渡しっ放しにする気はない。
楽しむために、玩具はあるのだから。
目の前で、カサンドラが立ち上がるのが見える。
さっきの攻撃を食らうのは、さすがに嫌だな、と思った。