つまらないことは切り捨て 2
「身を挺して私を守るとか、やめてほしいんだよね」
「なぜでしょう?」
本当にわかっていなさそうなフィッツに、彼女はイラッとする。
案の定と言えば、案の定なのだが、フィッツの生きかたは受け入れ難いのだ。
「フィッツに頼ることに慣れると、私にはできないことが増える。そうなった後でいなくなられたら、私が困る。つまり、長期的に考えれば、あんたの世話焼きが、足手まといになるってこと」
フィッツは有能で、とても気が利く。
今だって、暖かいお茶が、甘めに作られていると気づいていた。
帰ってくる頃合いを見計らって淹れたのだろう、温度も申し分ない。
ここで暮らし始めて以来、彼女は家事の一切をせずにいる。
「途中でいなくなるなら、いないほうがいい。自分しかいなきゃ、1人でなんでもできるようにならないとって思えるからね」
「私は不要ですか?」
「違う。途中でいなくなるなって話」
フィッツが、じいっとカサンドラを見つめてきた。
その視線を真正面から受け止める。
こくり。
フィッツが、理解したというように、うなずいた。
本当に理解しているかは定かでないが、それはともかく。
「死なないよう、鋭意努力いたします」
「全力で、努力して」
死なない、とフィッツは言わなかった。
だが、こちらも同じなので、わざと正さずにいる。
自分も、いつ死ぬか、わからない。
死なない約束なんてできっこないのだ。
誰だって。
(人の命なんか背負いたくないんだよ。重過ぎるって、そんなの)
命懸けで救われたくなんかない。
自分だけ助かっても喜べる気がしない。
そこまでして生き残りたいとも思えない。
自分1人なら、生きようが死のうが、好きにできそうなものなのに。
フィッツという、少々、頭のイカレた男がいる。
自分の行動のせいで、フィッツが死ぬはめになるのは避けたかった。
実際「その時」が来たら、どうなるかはともかく、釘を刺しておく必要があると感じたのだ。
フィッツは、カサンドラのために、平気で身を投げ出すに違いないので。
「皇帝は、私を逆恨みしててさ。その理由を、話したがってた。復讐しようとでも思ってたんだろうね。でも、私は知ってたから、意味なかったって感じかな」
「姫様は、ご自身の出自について知っていたのですか?」
「まぁね。ていうか、フィッツは、どこまで知ってる? まず、あんたが知ってることを話してよ。同じ話を繰り返したくない」
今まで、こういう話は、フィッツとはしたことがなかった。
たぶん知っているだろうなと思ってはいたが、わざわざ話すようなことでもないと判断していたからだ。
そもそもフィッツは置き去りにするはずだったし。
「女王陛下と皇帝は、恋仲でした」
「征服戦争をしかけに来たのに、恋に落ちて戦争をやめるって、ロマンチックにもほどがあると思うけどね」
「ですが、ラーザにとっては幸いだったのです。でなければ、最後の1人まで抵抗し続けたでしょう」
ラーザとは、そういう国だったらしい。
ならば、確かに女王と皇帝が恋仲となり、婚姻による和平が結ばれるのが最善となったはずだ。
「女王陛下との婚姻準備のため、皇帝が首都に戻る最中、事件は起きました。そのことを知っている者は、今となっては私だけだと思っていましたが」
「ほかに知ってる人はいないんだね」
フィッツは、表情を変えずにうなずく。
カサンドラを気遣っている様子はない。
それにより、フィッツの頭の「イカレ」具合がわかるというものだ。
「皇帝不在の間に、女王陛下は何者かに乱暴され、その結果として生まれたのが、姫様です」
平然と、カサンドラの出自を明かす。
口調には抑揚もなく「今夜は魚料理です」と言うのと変わらない。
「穢れた身で皇帝に嫁ぐことはできず、かと言って、婚姻なくしては和平が保てる状況ではありませんでした。当時の皇帝は若く、征服した国々も不安定だったためです。もとよりラーザは諸外国から常に狙われる存在でもありましたから」
ラーザを帝国が手にするとしても、確固とした「名分」が必要だったのだろう。
女王との婚姻は、大きな理由と成り得たはずだ。
しかも、政略的なものではなく、純粋に「恋」であったのだから、ラーザの民も納得する。
「女王陛下は我々に帝国と争わないようにと言い残し、姿を隠されました。女王が不在となれば、我が国には交渉相手がいません。皇帝が、それを口実に、ラーザを放置すると、そう仰られたのです」
「つまり、皇帝を信じてたんだね」
こくりと、またフィッツがうなずいた。
結局、その「信頼」は、皇太子のラーザ侵攻により裏切られる。
皇帝が指示したものではなかったとしても、ラーザという国はなくなったのだ。
「そういえば、フィッツも、私がどこにいるか知らなかったんだっけ」
「私が15歳になった年、女王陛下からご連絡が来るまでは知りませんでした」
「えーと、フィッツは今21だから……やっぱり6年前か」
「ようやく仕えるべきかたにお会いでき、とても安堵しました」
「いつ会えるかもわからなかったのに、よく主だなんて思えたね」
「どこからともなく送られて来るお写真は見ていましたから、ひと目で、姫様だとわかりましたよ」
わかったかどうかではなく、思えたかどうかなのだが、突っ込まずにおく。
クドクドと説明をし、骨を折るのも面倒だった。
どうせフィッツとは価値観が違い過ぎて、話が噛み合わない。
「女王陛下に乱暴をした者に対する憎しみから、皇帝は、姫様を逆恨みしているのですか?」
「まぁ、そんなとこ」
「でしたら、なぜ皇太子と婚約などさせたのでしょう?」
「さて、なぜでしょう? 考えてみなよ。割と簡単だからさ」
憎い相手の娘と、己の息子を婚約させる。
普通では考えられない。
ましてや、皇太子は「次期皇帝」でもある。
皇太子の婚約者は、すなわち「皇后」候補者なのだ。
「ひとつには皇后の座を狙う者に姫様を暗殺させようとした、と考えられます」
「本当に?」
「いえ、あくまでも可能性のひとつとしてお答えしました」
「低い可能性から話してる?」
フィッツは冷静そのものに、軽くうなずいた。
カサンドラを守り、世話をするのが使命だと言っていたが、「気遣い」は、その中に入っていないらしい。
「はい。殺せば姫様を苦しませることはできません。それでは、復讐として物足りないと思うはずです。なにより暗殺では、姫様の死を、自分の目で見られないではないですか。となると、可能性としては低くなります」
「えげつないことを言うね」
「ですが、姫様。相手を苦しませることができたと判断できなければ、復讐にならないのでは?」
「そりゃそうだ。で、もっと可能性の高い理由はなに?」
考えるそぶりも見せず、フィッツが、さらりと答えた。
「姫様と同程度、皇帝は皇太子を憎んでいる、ということになりますね」
「おっと、正解。それじゃ、なんで皇帝は皇太子を憎んでると思う?」
「そちらも姫様と同様、逆恨みです」
「やっぱり簡単だった?」
「はい。前提が復讐であれば、簡単でした」
情報不足は「復讐」との言葉だけで補えたようだ。
これで、皇帝と話した内容も理解しただろう。
フィッツとの意識合わせは、おおまかにできていればいい。
心の奥にある感情まで話すつもりはなかった。
どの道、フィッツには理解できないのだし。
「つまんないことするよね。はっきり言って気持ち悪い」
カサンドラの母が襲われた裏には、皇帝の側室ネルウィスタがいた。
そのネルウィスタ・アトゥリノと皇帝との間の子が、ティトーヴァだ。
カサンドラは皇帝の愛したフェリシアの血が半分、ティトーヴァには皇帝自身の血が半分。
だが、2人の婚約が、結ばれなかった自分たちの血を交わらせるためではないと知っていた。
皇帝は、愛する女性を奪った男、それを画策した女の、それぞれの子を婚姻させようとしている。
「究極の置き土産だよ。黙って死ねばいいのにさ。ほんっと気持ち悪い」