読みつ読まれつ 4
湿地帯から戻って家に着いた頃には、クタクタになっていた。
時間的には、まだ夕方だが、お腹もぺこぺこだ。
辿り着くまでに、あれほど時間がかかるとは思っていなかった。
なので「お弁当」を用意しておらず、昼抜きになっている。
「キャス、ちと早いが食事にいたそう。食べたら、そなたは休むがよい」
戸口の向こうからノノマの声が聞こえていたが、入っては来なかったようだ。
食事だけザイードに渡し、帰ったのだろう。
帰りが遅かったため、疲れているはずだと気遣ってくれたのかもしれない。
ノノマは、気立てが良く、気も利く女の子なのだ。
(見た目も可愛いし、シュザはライバル多くて大変だろうなぁ)
シュザの気持ちは丸わかりだが、ノノマは相手にしていなさそうだった。
軽くあしらっていて、シュザを特別に思っている様子はない。
一緒にいるのは、よく見かけるものの「つきあっている」感はないのだ。
そんなことを思う自分が、不思議になる。
自分も含めて、恋愛になど興味はなかった。
フィッツへの好意を意識するまで、恋愛に意味を感じられずにいたからだ。
もとより人と深く関わるのも嫌だったし、誰かに夢中になって振り回されるなど考えられもしなかった。
(一緒にいて楽しいとか嬉しいとか思うようになるなんて、びっくりだよ)
自分自身が恋をしたので、周りの「恋愛」にも、興味を持つようになったのかもしれない。
はっきり言って、未だに、フィッツに恋をした理由は、わからずにいる。
なにしろ、最初は「少々、頭のイカレた男」だと思っていたのだ。
しかたなく一緒にいただけで、どうしても一緒にいたいとは感じていなかった。
(よくわかんないよね。そういうもんなのかな、恋愛って)
どこが好きなのかとか、どういうふうに好きになったのかとか。
考えれば色々あるのだけれど、すべて後付けのような気もする。
なにか、そうした「理屈」では表現できない気持ちなのだ。
フィッツだから好きになった、というのが、1番しっくりくる。
(カサンドラだから一緒にいてくれてるだけなんだ、とか怒ったりしてさ)
フィッツが特別なのだと明確に自覚したのは、あの時だった。
ティニカとして傍にいてくれていることに、彼女は傷ついたのだ。
期待をしなければ裏切りも落胆もない。
けれど、特別な存在を相手にすると、期待せずにもいられない。
恋とは、そうものなのだろう。
良くも悪くも、自分に変化をもたらすものでもあった。
楽しいこともあれば落ち込むこともあり、嬉しいこともあれば悲しいこともある。
『姫様は、私にたくさんの感情をくれました』
それは、彼女にとっても同じことだ。
フィッツは、いくつもの新しい感情をくれた。
初めて知ったことも、たくさんある。
だから、今が寂しい。
考えながら、黙々と口を動かした。
どんなに寂しくても、この記憶を失いたくない。
ならば、生きていなければならないのだ。
生きるためには、食事も睡眠も必要だった。
「そう言えば……」
「いかがした?」
木のスプーンを手に、床に置かれた皿を見つめる。
キャスは、食事にこだわりがない。
魚より肉のほうが好きではあるが、美食家ではないのだ。
ガリダに来てからも、出されたものを、淡々と口にしている。
「ルーポでもそうだったんですけど、最近、保存食っぽい食事だなと思って」
「冬場は獲物が少なくなるのでな。干し肉や、燻した魚が増えるのだが……あまり口に合わぬのであれば、別のものを用意いたす」
「あ、いえ、そういうことじゃ……」
しみじみと「冬」なのだな、と思った。
人の国を出たのは夏。
それから、半年以上が経とうとしている。
気づいて、あれ?という気持ちが広がった。
食事の手を止め、書き物机に駆け寄る。
置いてあった書類を手にして、素早く見直した。
それを持って、食事の席に戻る。
「これなんですけど……」
「昔、人が来ておった時のことだの」
各種族に残されていた書物やガリダの老体たちから話を聞き、改めてザイードがまとめ直したものだ。
そこに、キャスが自分の読める文字を書き足している。
「1番最初の襲来は、春先。その次は夏。これは1回ずつ。それから、秋……」
「秋は、人の襲来が増える時期であったようだ」
「たぶん、動き易かったからだと思います」
「夏場は暑うなるゆえ、動きが鈍ることもあろうな。人の装備は重そうであった」
ジュポナで、ザイードは騎士を見たのだ。
資料に書かれていた、兜や鎧といったものが、どういうものか知っている。
キャスも同じ意見だった。
軽量化はされているにしても、暑さで動きが鈍るのは避けられなかったはずだ。
「しかし、春先は増えておらぬな。秋と、なにが違う? 確かに寒さは厳しいが、装備の重厚さからすると、夏ほど動きにくいとは思えぬ」
「たぶん……雪、じゃないでしょうか」
「雪? ガリダも雪には弱い種族ゆえ、わからぬでもないが……」
「ザイード、この辺りで雪は、どのくらい積もります?」
「そうさの……多い時は、膝あたりまで積もる。ルーポは、もっと雪深うなるが、奴らは雪なぞものともせぬのだ」
膝あたりまで積もれば十分過ぎる。
ホバーレは、10センチほどしか浮けないのだ。
しかも、バランスを維持するのが難しい。
戦車試合で、アイシャの乗ったホバーレは味方に蹴られ、横倒しになっている。
(あいつが言ってたっけ……ホバーレの動力は推進用と浮上用の2つ。浮上用は、高速の気流で、地面に圧力をかけてるとかなんとか……)
その「地面」に雪が積もっていても、圧力をかけられるのだろうか。
想像でしかないが、新雪上では、浮上できなさそうに思える。
仮に、浮上できたとしても、雪が深くなれば、移動は困難になりそうだ。
だから、冬から春先は避けたと考えれば、秋に回数が増えていることにも理屈がつけられる。
「だったら……まずい……」
「どういうことだ?」
「あと、どれくらいで雪が降りますか?」
「もう半月も経たずに降り始めよう」
「雪が降る前に、人が来ます」
ザイードの瞳孔が、きゅうっと狭まった。
今日、洞に行った時、キャスは、今にも人が来るような焦燥感に襲われている。
もう気のせいだとは思えなくなっていた。
ノノマに申し訳ないので、急いで食事をすませる。
ザイードも、かきこむようにして、皿を空にしていた。
休んでなどいられない。
すぐに動く必要がある。
「ナニャ、聞こえますか?!」
ルーポに集まった長に、キャスは通信装置を渡していた。
使いかたというほどのものはない。
設置して、動力を入れておけばいいだけだ。
声が伝わっては困る場合は、切っておくようにと説明してある。
「聞こえている。なにかあったのか?」
「近々、人が来ます。2,3日もないかもしれません」
「わかった。見張りの警戒を強めておく。キャス……我らは、国の外に、見張りを置く。そうすれば、もっと早く人の動きが読める」
「危険です! 向こうには、魔力を感知する機械があるんですよ?!」
「だとしても、だ。到着するまでには間があるのだろう?」
「それは……そうですが……」
「今回の策では、先手を取るのが、重要となる。違うか?」
ナニャの声は落ち着いていた。
ふう…と、息を吐く。
「だったら、人の国側に沿って横並びに見張りを立ててください。ファニに協力を依頼します。見つけたら連絡はファニに任せて、すぐに撤退でお願いします」
「わかった。無駄に戦力を失うのも損だからな」
「必ず、ファニと対で動いてくださいね」
ナニャとの通信を切ると、ザイードがキャスの動きに合わせてミネリネと連絡を取っていた。
すでに話はついているようだ。
ファニは、ほかの種族よりも移動に利がある。
どうやらイホラに向かってくれたらしい。
「あやつの情報は、偽であったか」
「なんとなく、そうじゃないかとは感じてたんですけどね」
ダイスからは、毎日のように連絡が入っていた。
シャノンの動向についての話だ。
数日がかりで、通信妨害装置の使いかたを、ダイスと、その身内に教えたのは、ザイードだった。
自分たちがガリダに帰った途端、通信が通るようになれば怪しまれるからだ。
「あやつは、己が見られておると気づいておらぬようだと、ダイスは言うておった。あやつ自身はそうかもしれぬが、裏におる者は感づいておるのだな」
「そうみたいですね。逆に、シャノンを使って、こっちに偽の情報を流してたってことですから」
それも想定していたことではある。
簡単に騙される相手ではない、という不安はあったのだ。
「ロキティスを隠れ蓑にすることも、シャノンが私たちに騙されてることも、なんとも思ってないんですよ」
「そうだの。知れば、あやつの行動に不審さが出るゆえ、あえて黙っておるのだ」
キャスは、その「裏にいる者」が誰なのかを考える。
可能性の低いほうから除外することにした。
フィッツがしていた手法だ。
「皇帝は違う……あいつは、見たいものしか見ない奴だけど、中間種を使ったりはしない……建国の歴史を、表沙汰にもできない立場だし……ロキティスも違う……シャノンが捕まった時点で見捨ててるはず……シャノン……中間種……」
ロキティスがシャノンを「作った」のは間違いない。
だが、シャノンはロキティスの手から離れている。
とすると、ロキティス以外に中間種の存在を認知している者がいるのだ。
それをロキティスが許すだろうか。
自己保身の権化のようなロキティスが。
「……あの人……なわけないよね……だって……あの人は……」
忠のリュドサイオ。
そう呼ばれる国の王子が、皇帝を裏切るような真似をするとは思えなかった。
だが、ロキティスがシャノンを「譲る」とすれば、その人物しか残らない。
「……リュドサイオの第1王子……ゼノクル・リュドサイオ……?」