咎人の有用 2
ザイードは、キャスの視線に気づかない振りをしている。
取り決めをしたわけではないが、お互いに距離を取っているからだ。
助けた時から、キャスには「いらぬ世話」を焼いている。
この想いが、迷惑にしかならないという自覚はあった。
なのに、恋情から踏み込み過ぎたのだ。
「あの、少しいいですか?」
資料を書き写していた手を止める。
木炭を置き、両腕を組んだ。
感情を抑制し、キャスの視線を受け止める。
「寝込んでるっていうのも、そろそろ限界だと思うんです」
「そうだの」
ヨアナの処遇を決めるまでは、キャスには「寝込んで」いてもらうように頼んであった。
ノノマやシュザでさえ近づけさせてはいない。
事情を知っているダイスは、あえて訪ねることはせずにいる。
おかげで、ここ5日ばかりは静かなものだった。
「そなたの考えは定まったか?」
ザイードは死にかけたが、命を取り留めている。
キャスが聖者と取引をしてくれたおかげだ。
自然の摂理には反するものの、キャスの「善意」には感謝している。
その分、キャスにかかった負担を思うと、胸が痛んだ。
聖魔の国に行かなければ、つらい選択を迫られることもなかった。
聖者の示した取引に、どんなにか心を痛めつけられたことか。
結果、キャスは幻想の中で生きるのを選んだが、簡単ではなかったはずだ。
ヨアナの行動は、その原因の一端となっている。
自分にも落ち度があったと思いはすれど、キャスの負った心の傷の深さを知り、どうにも寛容になれずにいた。
そのため、ヨアナを擁護する気は、まったくない。
最も被害をこうむったキャスの意見を尊重するつもりでいる。
「みんなには、黙っておくのがいいと思ってます」
「ヨアナを許す、ということか?」
なにがなんでも罰を与えたいとは言わないまでも、少し居心地が悪い。
本当に、それでいいのか、という迷いがあった。
そのザイードに、キャスが首を横に振る。
「許すっていうのとは、違うんですよ。思ったんですけど……正攻法で戦う必要はないんじゃないかなって」
「搦め手を考えておるのだな」
「意表を突くって意味では、そうなるかもしれませんね」
人の国に行き、ザイードにも思うところができた。
昔、魔物たちは、あまりにも真正面から戦い過ぎたのだ。
キャスの言う「正攻法」という戦いかたをした。
だが、人は真正面から戦ったりしなかっただろう。
魔物には感情がある。
それを知り、利用した。
単に、魔力での攻撃が通用しなかっただけではない。
自分たちがすることのない「戦いかた」において、負けたのだ。
「シャノンを利用しようと思うておるのか」
「はい。だから、ヨアナを咎めると都合が悪いんです」
シャノンを咎めるなら、ヨアナも咎めなければならないが、逆も同じ。
ヨアナを咎めようとすれば、当然、シャノンも咎めることになる。
それでは都合が悪い。
罰してしまうと、利用できなくなる。
「ザイードは……シャノンを利用することを、どう思いますか?」
魔物の戦いかたとは違う、とは思う。
だが、生き残るために、なんでもする、というのは当然だ。
むしろ、自然の摂理と言える。
淘汰されるのが嫌なら、足掻かなければならない。
虐げられるとわかっていながら、かつての魔物たちが負けを認めたのは、絶滅を避けるためだ。
少しでも種族を生かそうという思いにほかならない。
そうやって繋いだ命が、今を生きている。
(我らの命は、同胞らの思いや屍の上にあるのだ)
ならば、自分たちも、なにをしてでも生き残り、命を繋がなければ、と思った。
汚いだの卑怯だのと言われても、かまわない。
足搔くことこそ、自然の理なのだ。
生き残れる可能性の高い道を選ぶべきだった。
「人との戦いにおいては、そうした手も必要であろうな。余は、この戦に負けとうないのだ。勝とうとは思うておらぬが、絶対に負けられぬと思うておる」
「わかりました。私も……負けたくはありません」
「いかがするつもりだ?」
「まずは、ヨアナを無罪放免にしましょう。シャノンの言ったことを信じたって、思わせる必要がありますからね」
謹慎のことは、ヨアナと、ヨアナの両親しか知らない。
悪気はなかったことを理由に咎めはなしだと言えば、おさまりはつく。
ただし、ヨアナ自身が罪の意識を消せるかはわからなかった。
ザイードも、ヨアナとは、これまで通りに接することはできないと感じている。
連日、人語を習いに通っていたが、気軽な会話はできなかったのだ。
ヨアナが、ザイードの変化を察していないはずもない。
「では、そのように手を打つといたそう」
「お願いします。それで、次に……えっと……」
キャスが、ジュポナから持ち帰った袋の中を覗き込んでいる。
4つの袋のうち、2つには「機械」が入っていた。
あとの2つは、帝国の内情を記した資料や、機械の「説明書」だという。
ザイードは、主に資料の整理をしている。
簡単なものであれば、読めるものもあったのだ。
それにより、人の国がどういうものか、理解が進んでいる。
以前、キャスに聞いた「帝国の支配」についても知識が深まっていた。
「これを使おうと思ってます」
キャスが指で、小さな四角い機械をつまんでいる。
先端に虫の触角のようなものがついていた。
「それは? ずいぶんと小さなものだが、なにに使うのだ?」
「通信を遮断する機械……」
「なんと……そのような……」
「あ、いえ、シャノンに、そう思わせるってことで、これは録画装置です」
「いずれにせよ、人の技術というのは恐ろしきものよな」
キャスが困ったように眉を下げながら、小さく肩をすくめる。
責めるつもりではなかったのだが、そう思われたかもしれないと心配になった。
距離を取り、自分の想いを封じていても、キャスに対する気持ちがなくなるわけではない。
するべきことに縋りついているキャスを愛しいと思っている。
「まぁ、使いかた次第だの。良きように使うこともできよう」
「そうですね。この機械だって監視に使うんじゃなくて、たとえば子供の成長する姿を撮っておくのに使うんなら、良い機械って言えますから」
「良きものの手にあれば良きものに、悪しきものが持てば悪しきものに、か」
「そういうことです。あ、それと……こっちが、本当の通信を遮断する機械です」
言いながら、キャスが、さらに機械を取り出していた。
今度は、キャスの手のひらほどの大きさだ。
触角のようなものはついていない。
「完全に遮断する気はないんですけど、それなりに雑音くらいは入れておかないと怪しまれると思うので」
「シャノンの向こうにおる者を騙すため、策を弄するのだな」
なんとなく、キャスのしようとしていることが見えてくる。
要は、相手に「偽」の情報を掴ませようとしているのだ。
シャノンには「通信を遮断」したと言う。
それに信憑性を持たせるため、雑音を交えつつも、完全な遮断はしない。
シャノンの向こうにいる者に「遮断」が上手くいっていない、と思わせることができれば成功となる。
「我らは連絡を遮断しておるゆえ、シャノンと人語で話してもかまわぬと思うて、よけいなことを話す」
「主に、私が、ですね。シャノンから情報を聞き出そうとして、逆にいらない話をしてしまうってふうに……私は性根が悪いので、その辺りは上手くやれますよ」
その言葉を否定しようとしてやめた。
キャスも否定してほしくて言ったわけではないのだろう。
事実として言葉にしたに過ぎない。
キャスは、自分を、そのように評価している。
それがなぜなのか、知りたかった。
だが、相手を知ろうとするのは、距離を縮めようとする行為でもある。
また不用意に、キャスの心に踏み込むことになりかねない。
思って、ザイードは、あえて訊かずにおいた。
「それは、そなたに任す。にしても、そなたは、シャノンの話を信じておらぬようだが、なぜか? 通信具のことは、それなりに理屈が通っておろう?」
シャノン自身は、それが通信具だとは知らなかった。
ヨアナが人語で話したので、意図せずして相手に伝わってしまった。
ヨアナからシャノンに接触したのであって、シャノンが呼んだのではない。
意図的ではなかったというのは、有り得る話だ。
「シャノンがロキティスの実験材料だったのは間違いないですね。でも、今はロキティスとは繋がってないと思うんです」
キャスに説明を受けたり、資料を読み進めたりすることで、ザイードは人の国の「統治」というものを知った。
帝国には、3つの「直轄国」があり、そのひとつがアトゥリノだ。
ロキティスは、アトゥリノの国王で、ジュポナはアトゥリノの支配下にある。
「シャノンの通信を、ロキティスが拾ったんなら、リュドサイオが出てくるはずがないんですよね。皇帝が、あの場にいたのもおかしいですし」
「奴は、そなたを殺そうとしておるようだしの」
「実際、ロキティスの手下の中間種たちが、私を殺しに来たじゃないですか」
「すなわち、奴は出遅れたのだな」
皇帝がキャスを殺したがっていないことだけは、ザイードも認めている。
確かに、シャノンと繋がっているのが、ロキティスであれば皇帝には黙って動いたはずだ。
中間種たちは、皇帝たちが来た時には逃げていた。
もし皇帝という「邪魔」が入らなければ、もっと粘っていたに違いない。
たとえザイードという障害があっても、数では勝っていたのだから。
「その者が、盤面を動かしておるようだ」
「たぶん……だから、意図的かどうかはともかく、シャノンを利用して、その先にいる奴を騙したいと思ってるんです」