幻想にしか生はなし 3
うつむき加減で、ザイードが考え込んでいる。
人型の顔立ちは日本人風で、俳優になれそうだと感じるくらい整っていた。
すっとした切れ長の目に、鼻はツンと高く、唇はやや薄い。
言葉にすれば、精悍とか凛々しいとかいう表現になるのだろう。
けれど、ほんの少し言葉と雰囲気がズレている。
(なんだろ……フィッツより背は高いんだけど……?)
がっちり体形ではなく、前の世界で言うところの「体育会系」ではない。
むしろ、すらりとしている。
なのに、黙って座っているだけで、存在感があるのだ。
なるほど、ガリダたちが、ザイードを長に推したのも、うなずけた。
(フィッツは、なんでもよく知ってて、備えの人だから……)
ザイードは頭の回転が速く、新しいことも、どんどん吸収する。
経験のないものを試すのに躊躇いもしない。
壁越えの時も、そうだった。
壁を抜けること自体、命の危険があったかもしれないのに、躊躇なく進んだ。
(進んでみないとわからない、って言ってたもんね)
前に進んでいるのか、その先が行き止まりなのか。
それも、その道を進んでみなければわからない。
もし行き止まりだったら、また別の道を探す。
自分たちがすべきなのは「別の道を探して進む」こと、そのひとつだけ。
ザイードは、そう言った。
フィッツとは、真逆な考えだと言える。
フィッツは、いつも多くの道から最も安全性が高く、確実な道を選んでいた。
あらかじめ、いくつもの複雑な想定をし、想定する必要もないほど些細な可能性すらも選択肢に含め、その中から、たったひとつを選ぶ。
フィッツは、ありとあらゆる状況を計算して動いていた。
皇宮にいた頃も、皇宮を逃げ出したあとも、フィッツが、よく口にした言葉。
『問題ありません』
言った時には、結果が見えていたに違いない。
その言葉を疑ったことはなかった。
ただ1度、否定したことはある。
フィッツが怪我をすることになっても、彼女自身の意思を優先させてほしいと、言われた時だ。
フィッツは、フィッツが怪我をすることになっても「問題ない」と言った。
彼女は、それを否定している。
常に、ほとんど即答のフィッツが、言葉に窮する姿を覚えていた。
(私が、自分を大事にしてないから……周りに肩代わりさせちゃうのかな……)
彼女は、前もって自分の考えを示している。
それを口にした時と今とでは意識は変わっているが、内容的な差はなかった。
彼女の願いは変わっていないのだ。
身を挺して守ろうとしないでほしい。
どちらかになにかが起きても、各自の責任。
いずれも「命懸け」はやめてくれという、意思を伝えている。
なのに、フィッツもザイードも、彼女を守ろうとした。
フィッツは命を落とし、ザイードも死ぬところだったのだ。
(私だってさ……私のことより、自分のこと、大事にしてほしかったよ……)
ザイードがキャスを守るつもりはないと言ったので、同行を承諾した。
守るためであれば承諾しないとの意思を、ザイードは理解していたはずだ。
だからこそ、嘘をついた。
わかるから、気が滅入る。
なぜ、そうなってしまうのか。
血だらけで動かなくなったフィッツを思う。
血塗れで倒れたザイードを思い出す。
そうまでして守ってもらえるほど、自分に価値があるのか。
自分の命と、フィッツやザイードの命とを考えると、そんな価値はないと思ってしまう。
彼女は、自分の命に重きを置いて来なかったから。
「ザイード」
ザイードが顔を上げ、キャスに視線を向ける。
まっすぐに繋がった視線の先に、金色の瞳孔があった。
人型はとっていても、髪も濃い緑。
あの「完璧な」人型は、ナニャとミネリネの協力なしには成り得ないのだ。
細く狭められた瞳孔を見つめて、言う。
「私を、守ろうとしないでください。ザイードは、私を助けた責任があると思ってるんだと思いますけど、私が生きているのは、私の意思なので」
ザイードに助けられ、ここで目覚めたあと、最初に考えたことだ。
ガリダを出て、野たれ死ねばいい。
魔獣に襲われて死のうがかまわない。
けれど、キャスは、ガリダに留まり、生きている。
ザイードに助けられた命ではあるが、繋いでいるのは、自分の意思だ。
そして、フィッツを「いなかったこと」にしたくないという身勝手さでもある。
今のキャスの命に、ザイードは、なんの責任もない。
「それはできぬ……できぬのだ、キャス」
まただ、と思った。
ザイードは、淡く微笑んでいる。
だが、ひどく傷ついているように見えた。
なぜか、死の間際にフィッツが見せた笑顔を思い出す。
キャスの胸を苦しくさせる笑み。
そのため、なぜできないのかと訊くことができなかった。
同時に、悲しくなる。
同じことの繰り返し。
それを止めるすべがない。
ザイードは、守ろうする。
命を懸けることも厭わず、その背にキャスを庇おうとするのだ。
この間は、助けることができた。
だが、次は、どうなるかわからない。
フィッツの時のようになるかもしれない。
「そなたは、余のため取引をした。されど、もう1つの取引は断ったのであろう? それは、なぜか? そなたにとって、余の命より大事であったはずだ」
キャスは、机の上に戻した、薄金色のひし形に視線を向ける。
ラフロは「それこそが魂」だと言った。
あのひし形には、フィッツの記憶や思い出が詰まっている。
ティニカがどう思おうと、キャスにとっても、ただの「データ」ではない。
「私が……耐えられないから……」
ぽつん、と言葉を転がす。
取引上、話したけれど、ラフロは理解していないようだった。
当然だ。
ラフロに、わかるわけがない。
「フィッツを取り戻せるんなら、どんな犠牲もはらえる……そう思ったよ……」
無意識に、独り言になっている。
ラフロに取引を持ち出された際に感じたものが蘇っていた。
綺麗事に身をおけなくなる感覚だ。
ディオンヌの時にも、アトゥリノの兵を壊した時にも似た感覚はあった。
だが、それ以上の感情にのみこまれていたと、知っている。
「フィッツが戻ってくるんなら、なにがどうなったって……誰がどうなろうが……かまわないって……本当に、そう思った……」
思い出すのは、フィッツと過ごした日々ばかり。
呼べば、必ず返事がもらえる、そういう日常。
どんなにか恋しかっただろう。
あの日々、あの時間を、また手にできるのなら、なんでもできそうな気がした。
初めて、自分の意思で関りたいと思った人。
それは、フィッツだけだ。
自分のことさえ、どうでもいいのに、フィッツだけは、そう思えない。
「こんなに大勢の人間がいるのにさ……なんでフィッツが犠牲にならなきゃいけないんだって……フィッツじゃなくたっていいじゃんって……どうしてフィッツだったんだろうって……ほかの人が犠牲になれば良かったのにって……」
その犠牲には、彼女自身も含まれている。
自分が死ねば良かったのだと、そう思っていた。
今でも。
「だから、あいつの……ラフロの取引に……飛びつきたかった……」
こういうのを「喉から手が出るほど」と言うに違いない。
本当に、それくらい取引したかったのだ。
フィッツと抱きしめ合い、再会を喜びたかった。
自分の選択を、フィッツが否定しないこともわかっていたし。
「でも……無理だったんだよ、私が……私が駄目で……」
知らず、涙がこぼれる。
わずかに喉がしゃくりあげ、肩が震えた。
それで、自分が泣いていることに気づく。
「私は弱くて……弱くてさぁ……」
無理だと思ったのだ。
耐えられないと感じたのだ。
進んでみなければわからない道を、彼女は進むことができなかった。
せっかく生き返らせてもらえるチャンスを掴めなかった。
いや、掴まなかった。
「フィッツは……私を全力で……命懸けで守ろうと……するから……いつだって、私のことが優先で……だから……」
自分が危険な状況になれば、また同じことをする。
命を懸けてしまう。
どんなに頼んでも、それだけは、フィッツは、うなずいてくれない。
「自分のこと大事にしてって……もし死ぬなら一緒がいいって言っても……」
フィッツは、うなずかないのだ。
大丈夫だとか平気だとか言って。
「また……フィッツが……」
安全は確約されていない。
むしろ、状況は前よりも危険度を増していた。
犠牲を伴うであろう戦だ。
ドラマや小説の中なら、どんなにピンチになっても「仲間」が無事であることは多い。
だが、現実では、犠牲のない戦争なんて有り得なかった。
そして、大事に抱きしめていた「幸せ」を簡単に消し飛ばす。
また目の前で倒れるところを見なければならないのか。
何度、同じ場面を繰り返さなければならないのか。
フィッツは、彼女にとってのすべて。
簡単に「生き返らせる」なんて決断ができないくらいに、その存在は大きかったのだ。
今でさえ思い出や記憶をかき集め、フィッツのためにだけ生きている。
彼女に「次」はない。
なかった。
人は、言葉で心を伝え合う。
けれど、呼びかけても呼びかけても、返事はなかった.。
自分の言葉はとどかず、相手の言葉も、もらえなくなる。
人が死ぬ、というのは、そういうことなのだ。
今度、同じことが起きたら、フィッツを思い出すこともできなくなる。
たとえ、それがフィッツを生かすことだと言われても、あまりにも苦し過ぎて心が拒絶するに違いない。
優しい思い出すら手放すことになる。
ぐっと、喉が詰まった。
両手を握りしめ、奥歯を嚙み締める。
そうしなければ、大声で泣いてしまいそうだったのだ。
泣く資格もないくらい、弱い心しか持っていないくせに。
「……もう……嫌だったんだ……でも、フィッツは……絶対に……」
絶対に約束してくれない。
彼女を守らない、とは。