極限の選択 4
ザイードは、憂鬱な気分で歩いている。
ヨアナの家からの帰り道だ。
周囲には明かしていないが、ヨアナは、現在、謹慎中。
知っているのは、ヨアナの両親だけだった。
謹慎と、その理由を本人に説明する際、同席させたのだ。
キャスの返事次第では、ヨアナは罪人として裁かれる。
どの程度の罰になるかはともかく、周りの目が変わるのは覚悟しておかなければならない。
両親には、その心構えが必要だろうと、判断した。
魔物は、同胞に対して寛容ではある。
だからこそ「罪」には厳しいのだ。
同胞だから許してもらえるとなれば、それぞれに好き勝手をするようになる。
秩序が保てない国は、やがて滅ぶだろう。
それを、本能的に悟っているので、魔物は罪を厳しく捉えるのだ。
同胞を危険に晒すものは、同胞とは呼べない。
互いに助け合わなければ生きていけないと知っているから、寛容でいられる。
恨みや妬みがあっても、我慢できる。
自分の身勝手な行動が、周りに害を与えるとわかっているからだ。
(ヨアナの行動を、どう捉えれば良いのか……)
身勝手とばかりも言えない気はする。
だが、ザイードやダイスに、意見も相談もせず、シャノンに会ったのは身勝手な行動だったと言わざるを得ない。
(余が、耳をかさぬとわかっておったのだ。それゆえ、直談判の考えに走った)
文献蔵でのことが思い出される。
あの時、ザイードはヨアナの話を受け入れ難いものとして、拒絶した。
そのこと自体は、間違っていない。
とはいえ、ヨアナがなにをどう危惧しているのかまで、突き詰めて訊かなかったことは、間違いだったと考えている。
ヨアナが納得していないと気づいていながら、引き留めなかった。
ザイードは、キャスを同胞として受け入れていたが、そうでないものがいるのも認めていたからだ。
人との戦いを覚悟するのも、関わらないのも、それぞれが判断すればいいとだけ思っていた。
「兄上~!」
憂鬱なところに、さらに憂鬱を煽るような弟ラシッドが駆け寄って来る。
ここ1ヶ月あまり、ヨアナのところに通っているのを変に勘違いしているのだ。
キャスが帰っていないことも、原因のひとつになっている。
聖者に連れ去られてから、1ヶ月。
まだキャスは帰らない。
「いよいよ、兄上も覚悟を決めたのだろ?」
「人と戦う覚悟ならしておる」
「危機的状況になると、子作りに励みたくなるという」
「お前が、そうしたくばすればよい」
はあ…と、溜め息をつきながら、肩を落とす。
ヨアナのところに通っているのには理由があった。
ザイードは、ヨアナに人語を習っているのだ。
周りには、ヨアナの「謹慎」は秘密にしている。
そのため、今まで商売で、あちこち出歩いていたヨアナが家にこもっていると、不審をまねくに違いない。
なにか家にいる理由が必要だったのだ。
ちょうどザイードも人語を習っておきたいと思っていたため、それを利用した。
なのに、ラシッドのせいで、おかしな噂が出回っている。
ザイードが「手習い」を理由に、ヨアナを口説いているのではないか、と。
「兄上が心配で心配で、己のことに構うてはおられぬ」
「いらぬ心配をいたすな」
「しかし、ヨアナも焦らさずともよかろうに。ずっと前から、兄上を慕うておったくせに、今さらの話……」
「さような話は知らぬ。お前の得意とするのは、作り話ばかりよの」
「兄上は、それだから女が寄りつかぬのだ。まるで、わかっておらぬわ」
ラシッドが、呆れたような顔で、ザイードを見ている。
瞳孔は正直だ。
正直に「呆れ」を伝えるため、狭まっていた。
尾も上を向き、ちょんちょんと、つつくような動きをしている。
「ヨアナは、ガリダのみならず、ほか種族からの求愛もあったが、そのことごとくバッサリ。一途に兄上を慕うておったゆえのこと」
「お前の勝手な決めつけぞ。余は、ヨアナに求愛されたことなんぞない」
「兄上は、ほんに百歳を越えておるのか? 信じられぬほど鈍い。我らが母と同じ積極的な女ばかりではないぞ。男の求愛を待つ、健気な女もおる」
ヨアナへの求愛話が多いのは知っていた。
未だ番を持っていないので、断っているのだろうことも、推測はしていた。
だが、自分に対する「一途な想い」からだとは、1度も考えたことがない。
ザイードは、求愛された経験はなかったが、女が寄りつかないことを悲観してもいなかったのだ。
なるべくして、なる。
時期が来れば自然と番が現れる、くらいの感覚でいた。
仮に、人との戦いで死ぬことになれば、子を成さないままとなる。
だからと言って、焦って番を持とうとは思わない。
それは、本来、魔物にある「自然の摂理」とは違うのだが、ザイードは気づいていなかった。
「もう1ヶ月が経つ。兄上は死ぬまで、番を持たぬ気か?」
「さようなことは言うておらぬ。余は……」
「兄上がキャスを番にと思うておるのはわかる。だが、おらぬものはおらぬのだ。諦めることも……」
「ラシッド。いくら、お前でも、それ以上は許さぬぞ。誰が、番の話なぞした? おかしな噂を広めるのも、大概にしておけ。余のことは、余が決める」
ぴしゃりと言い、ラシッドをにらんだ。
ラシッドは怯えたようでも、反省したようでもなく、肩をすくめる。
「人になろうとしても、魔物は魔物にござりますれば」
やけに辛辣な口調で言い、ラシッドが体を返した。
不機嫌そうに尾を横に振りながら、反対方向に歩いて行く。
その背を、しばし見つめたあと、ザイードは家に向かった。
(わかっておるさ。余は、人になろうとは思うておらぬ)
ガリダを誇りとし、百年以上も変化を学ばずにいたほどだ。
人になりたいとの思いはない。
ただ、ほんの少し、知りたい、とは考える。
キャスの想い人は、どのような者であったのか。
自分と、なにが違うのか。
もちろん、人と魔物という種が違うのは、わかっている。
だが、種を越えたところにある「差」がなにか、知りたいのだ。
それは、キャスが心惹かれた理由にもなっているのだろう。
家の戸にかけた、自分の手を見つめる。
大きくて肉厚で、尖った爪がついている手だった。
緑色をしていて、甲は鱗でびっしり覆われている。
キャスに出会うまで、この手を、この姿を誇りにしていた。
(キャスの手は……小さくて、心もとなかった……余の手が、キャスの手を、握り潰してしまわぬかと……)
ザイードは、何度かキャスと手を繋いでいる。
いつも、小さくて、か細い手だと感じた。
日常的にキャスの見ているはずなのに、手を繋ぐたび思うのだ。
ひょいっと、何気なく、変化する。
覚えてしまえば、簡単に人型になれた。
心地いいものではないだろうとの予想に反して、存外、不満はない。
この姿であれば、まだしもキャスの隣にいても不自然ではないはずだ。
手を握り潰す心配も軽減される。
『魔物は魔物にござりますれば』
ラシッドの声が、耳に蘇っていた。
そんなことは望んでいないと、自分で自分に言う。
種というのは、見た目の問題ではない。
生きる「理」が違うのだ。
(ラシッドの奴め。余は、さような意味でキャスを助けたのではない。いつ、余がキャスを番にしたいと言うた? 言うてはおらぬであろうが)
キャスは中間種だが、人の「理」の中で生きている。
魔物の自分では、相手にはならない。
手の大きさでさえ、あんなにも違うのに。
ザイードは、しょんぼりとうつむく。
鱗も尾も、瞳孔さえ隠す、完璧な人型をとっていても、自分は魔物なのだ。
人の「理」の中では、存在すら許されない生き物。
たとえ、キャスが魔物を助けようとしているとしても、摂理は曲げられない。
(余が求愛したとて……)
思った時、ザイードに、衝撃が走る。
完全に、無意識だった。
だが、自分が「思ったこと」が、なにを意味するかは悟っている。
否定する気にもならなかった。
なにしろ「無意識」に考えてしまったのだから。
つまり、ザイードの心にある「望み」が、こぼれ出た、ということ。
表面的には、ラシッドの言葉を否定できても、これは否定できない。
(余は……キャスを好いておるのか……ゆえに、キャスがおらぬと寂しいのか)
自覚したがゆえの衝撃から、ザイードは混乱している。
いつからなのか、どうしてなのか、まるきりわからなかった。
ともかく、落ち着いて頭を整理することにする。
戸を開き、家の中に入った。
「おかえりなさい、ザイード」
え…?と、整理しようとしていた頭の中が、真っ白になる。
以前と同じように、キャスが板敷の床に座っていた。
その光景に、なにもかもを忘れる。
「あれ? 今日は、変化してるんですね」
口調も、言いかたもキャスだった。
魔力での会話であれ、口は動く。
けれど、ザイードの、はくはくっという口の動きに、言葉は乗らなかった。
思わず、駆け寄る。
そして、キャスの体を抱きしめた。
その体は、やはり小さくて、か細い。
混乱していても、ザイードはキャスを潰してしまわないよう、力加減をする。