極限の選択 1
ティトーヴァは、皇帝の寝室に、1人きりだった。
私室の前にセウテルはいるのだろうが、呼ぶ気にはなれずにいる。
ベンジャミンが、あのような姿になっていなければ、きっとここにいたはずだ。
皇太子の頃から、ベンジャミンにだけは、どこでも自由に出入りを許していた。
「ベンジー……お前なら、どう言うだろうな……もうやめろ、と言うか?」
言いながらも、ティトーヴァが決めたことにベンジャミンが従うことを疑っていない。
政務中は気が紛れているが、こうして1人になると、嫌なことばかりを考える。
ベンジャミンの痛ましい姿や、魔物に連れ去られるカサンドラの姿だ。
どちらも助けられなかった。
「皇帝の権力など無力に等しい。救いたい者も思うように救えんのだからな」
ベンジャミンのことは、医療管理室に任せるしか手立てがない。
だが、カサンドラは、わずかな間ではあったが、ティトーヴァの腕の中にいた。
精神を操られていたとしても、取り返してさえいれば、なんとかなったはずだ。
だからこそ、悔しく、腹が立つ。
「あのまま操られていれば、カサンドラも戻って来られなくなる」
かつて聖魔に精神干渉を受けた者たちが、どうなったのか。
文献によると、浅いうちならば治療ができ、深くまで浸透してしまうと、精神が崩壊してしまうらしい。
おそらく、ベンジャミンに近い状態になる。
「魔物ごときが……俺が壁を抜けた、その時は、ただではおかん」
銃器も、ティトーヴァの武器も、魔物には通用する。
どれだけ硬い鱗だろうが、撃ち抜く力はあった。
つまり、聖魔とは違い、魔物は「倒せる」のだ。
文献にも、それは記されている。
「紫の血で生きるおぞましい生き物め。1匹残らず、殲滅してやる」
魔獣は獣だが、魔物には意思と感情があるらしい。
そのため、人は本能で動く魔獣を恐れても、魔物を恐れることはなかった。
意思や感情があるのなら、恐怖で支配できるからだ。
だが、ティトーヴァは魔物を支配しようとは思わない。
根絶やしにするつもりでいる。
「聖魔もだ。奴らも、皆殺しにしなければ」
人間以外の「種」が存在しているから、平和が脅かされるのだ。
大事なものを奪われることも起こり得る。
阻止する確実な手段は、人間以外の種を駆逐すること。
人が「防御障壁」と呼んでいたものに、将来の安全まで委ねられはしない。
ティトーヴァは、壁に穴が空けられた光景を見ている。
すぐに穴は塞がったが「壊れる」ものだと、わかってしまった。
そんな不確かなものに、人間の未来は賭けられない。
どの道、壁の外に行くのは、決定事項なのだ。
「紫の血の奴らも、血があるのだかないのだかわからん奴らも、害になるだけだ」
そもそも、人間以外の種に、どんな存在理由があるのか。
聖魔がいなくても人は殺し合いをしたかもしれないが、いる時よりは確実に被害も犠牲も少なかったはずだ。
起きることのなかった戦もあったに違いない。
ヴァルキアスが魔物を使役して建国をしたのは知っている。
とはいえ、魔物がいなくても、ヴァルキアスは建国できた。
かかった時間の長短の問題に過ぎない。
魔物は、建国時の必要条件ではなかった。
要は、聖魔も魔物も「いなくていい」存在と言える。
カサンドラが、壁の向こうに姿を消すまでは、想像もせずにいた。
あると知っていた、いると知っていた。
なのに、壁も聖魔も魔物も、夢物語であり、幻。
現実味も実感もない2百年を過ごしてきたのだ。
「だが、これからは違うぞ。俺は、聖魔も魔物も滅ぼし、人間の国を再構築する」
この世界を、人間だけのものとする。
そして、その世界を帝国が支配する。
一定の不自由さはあるだろう。
それでも、安心して暮らせる日々を、民は選択するものだ。
「皇帝陛下、お休みのところ、申し訳ございません」
「かまわん。どうした?」
「ロキティス国王から連絡が入っております」
「繋げ」
セウテルに、短く支持する。
くだらない言い訳のために連絡してきたのなら、冷たくあしらうまでだ。
すべきことのできない臣下を重用する意味はない。
カサンドラを攫われたことで、ロキティスへの信用は、がた落ちしている。
「用件だけ言え、ロキティス。お前と無駄話をする時間はない」
「陛下は、僕に半年の猶予を、お与えくださいました。ですが、聖魔への対策を、3ヶ月で実用化すると、お約束いたします」
「それは、真なのだな。失敗は許さんぞ」
「心得てございます、陛下。ただ、聖魔への対策装置は、部隊ごと防御領域を作るものになるかと」
少しだけ考える。
個別に精神干渉を防ぐのは、困難らしい。
ロキティスが完成させる予定の装置は「防御障壁」の小型版といったところだ。
領域で防御するとなると、そこから出ないようにしながらの戦いとなる。
個別での防御に比べて、動きが制限されるのはしかたがない。
(ないよりはマシだ。こちらから打って出られる)
そして、期間も3ヶ月に短縮できるという。
ならば、個にこだわってはいられなかった。
戦いかたなら、いくらでもあるのだ。
聖魔という障害がなければ、魔物など、どうとでもなる。
ロキティスは「個」ではなく、領域に作用する装置でもティトーヴァが「認可」するかどうか、確認するために連絡をしてきたのだろう。
「いいだろう。装置については、お前に任せる。今度こそ成果を見せろ」
「かしこまりました。完成次第、ご報告いたします」
少し弾んだ声のロキティスの返事を聞いてから、回線を閉じた。
代わりに、セウテルとの通信を開く。
「ルディカーン・ホルトレを更迭する」
「かしこまりました」
ベンジャミンであれは「よろしいのですか」と、訊いてきただろうと思った。
だが、セウテルは、黙って承諾する。
皇帝の忠臣、親衛隊隊長、忠のリュドサイオ出身のセウテルに、皇帝を問い質すという選択肢はないのだ。
「後任は、アルフォンソ・ルトゥエとする。明日、謁見に来るよう申し伝えよ」
「承知いたしました」
律儀に返事をしてくるが、理由を訊かれもしないことに不満を感じる。
どうしても、ベンジャミンなら、あれこれ訊いてきたはずだと思ってしまう。
自分の考えを整理するためにも、人に話すのは効果的なのだ。
こちらの考えを理解しようとするベンジャミンの姿勢も好ましかった。
それに、セウテルは「父の代」の親衛隊長であり、心を開くのは難しい。
父から疎んじられていた時間は長かったし、憎悪されていたことも知った。
それをセウテルが自分よりも先に知っていたのが、どうしても引っ掛かる。
セウテルの「皇帝」に対する忠誠心は称賛されるべきことだ。
今はティトーヴァに、その忠誠心が向けられているのを疑ってもいない。
とはいえ、ティトーヴァ個人となると、他人事として語れないものがある。
セウテルが、ほんの少し、遠回しにでも父の心情を教えてくれていれば、父への気持ちも違っていたのではないか、と思えるのだ。
カサンドラのことだって。
だからかもしれない。
不意に、アルフォンソ・ルトゥエの名を思いついた。
アルフォンソは、ベンジャミンの異母弟だ。
公にはされていないが、ベンジャミンの父の不義によりできた子だった。
母親は、ルトゥエ侯爵の愛妾の娘であり、普通なら認知もされなかっただろう。
アルフォンソは、どこにも居場所がなかったと、知っている。
ベンジャミンの父は、不義を認めてはいた。
だが、格下である侯爵家の愛妾の娘と遊んだだけだと、アルフォンソをサレスで認知はしなかった。
ルトゥエ侯爵家でも似たようなものだ。
所詮は、愛妾の娘の子、しかも不義によりできた子など認知するはずがない。
結局、アルフォンソは14歳を迎えるまで婚外子扱いすらしてもらえず、侯爵家の下男として働かされていた。
周りから冷たい視線を投げられ、虐げられながら、だ。
そういうアルフォンソのことで、ベンジャミンが悩んでいる時期があった。
ともに貴族教育を受けていた頃だ。
1度きりではあったが、ティトーヴァに内心を打ち明けている。
そして、出征前に「片付けたいことがある」と言い出した。
その時は、戦になると思っていたので、死ぬ覚悟もしていたのだろう。
(ベンジーに忘れてくれと言われて、本当に忘れていたが)
帝国直轄の侯爵家に乗り込んだ日のことを、思い出している。
ラーザに出征する前の年だ。
すでに皇太子となっていたティトーヴァが関わるのを、ベンジャミンは嫌がったけれど、それを却下して、行動をともにした。
当時、ルトゥエ侯爵家当主は30歳。
アルフォンソの叔父だ。
その当主の子は幼く、まだ十歳。
体も弱かった。
2人は、ルトゥエ侯爵に圧力をかけ、アルフォンソを認知させたのだ。
ベンジャミンは侯爵がうなずかなければ、その場で殺そうと思っていたかもしれない。
事実、出征から戻ったあと、侯爵は33歳で他界している。
鹿狩りの最中に「流れ弾」に当たって。
それについて、ティトーヴァはベンジャミンに訊かなかったし、ベンジャミンもなにも言っていない。
ただ、あれほど気にかけていたアルフォンソが当主になっても、挨拶に行こうとしなかったのは、そのせいだと思っている。
アルフォンソだけではなく、異母弟である「凄腕」のベンジャミンが疑われて、さらにはティトーヴァも巻き込まれるのを避けたのだ。
「もう平気だぞ、ベンジー。誰がどう疑おうとかまいはしない。俺が、ひと言で、退けてやる。だから、お前は……もう弟に会っても……いいのだぞ……」
ようやく会えるようになったのに、ベンジャミンの目に弟が映ることはない。