いくら望んだところとて 3
シャノンが鎖に繋がれ、体を震わせている。
だが、ザイードの心には、まるで同情心がわかない。
というより、その怯えた様子に、怒りの抑制すら難しくなっている。
ガリダに帰ったのは、今朝だった。
帰る途中、ファニの領地に入った際、ルーポに連絡を頼んでいる。
シャノンを拘束するよう、言付けた。
その後、ザイードは、ノノマとシュザを含めた何頭かに事情を話して、そのままルーポに向かったのだ。
「お前が、人と連絡を取っておったのはわかっておる」
「人は魔力が使えねぇし、魔力じゃ遠くにいる奴との連絡は取れねぇんだ。なんか隠し持ってんだろ? 今さら、そんな演技しても意味ねぇぞ」
隣で、ダイスも冷たくシャノンを突き放す。
ルーポ特有の土を盛ってできた家のひとつ。
子供でも土を巻き上げられるのは、将来のための本能のようなものなのだ。
ルーポは「家」の出来で、器量を測られる。
粗末なものしか作れないと、異性に好まれない。
ここは、そういう「粗末」な家だった。
間口は狭いし、天井も低い。
壁から天井までは、ゆるやかな曲線となっているのだが、最も高い位置でさえ、ダイスの耳が当たっている。
人型に変化しているというのに。
「……し、知りません……私は……れ、連絡なんて……」
「嘘をつくか、白蟻が」
「だから、家は土で作るのがいい。けど、オレもシロアリは嫌いだぜ? だって、あいつら、アリじゃなくてゴキブリだろ。ゾッとするね」
シャノンは体を丸め、ザイードたちから顔を背けている。
その様子は、幼く半人前のルーポが、大人を怖がっているようにしか見えない。
けれど、見た目に惑わされていられるほど、ザイードは平静ではなかった。
シャノンよりも、キャスのほうが、ずっと「大事」だからだ。
「お前は同胞に非ず。余が、お前を縊り殺さぬなぞとは思うぬがよい」
「オレも止めねぇよ。ていうか、もう殺しちまったほうが安全じゃねぇか?」
ダイスの言葉に、やっとシャノンが反応する。
青色をした大きな瞳を向けられ、苛々した。
ダイスも「同胞ではない」と判断したからか、少し嫌そうに鼻にしわを寄せる。
ルーポに青い瞳のものはいない。
シャノンは「人」なのだ。
そして、魔物に味方をする者でもない。
「わ、私は……し、知らなかった……だけ……」
「知らなかった? なにをだ?」
「……こ、これ……」
シャノンが、自らの首元を見せる。
そこには傷跡が残されていた。
怪我を負ったのかはわからないが、雑な治療しか成されなかったようだ。
傷跡が、くっきりと見てとれる。
「……に、逃げても……い、居場所……わかるように……」
「なにか仕込まれておるのか」
「で、でも……っ……か、壁の外に出れば……使えなく、なる……」
「だが、それだけではなかろう」
「し、知らなかった……っ……つ、追跡、そ、装置だと思っ……ぅぐ……っ」
ザイードは、足を鎖で繋がれたシャノンの首を掴み上げた。
ダイスからの制止はない。
ザイードに任せると、決めているのだろう。
シャノンは同胞ではなく、キャスは同胞なのだ。
魔物は、同胞を優先する。
「そのような戯言は信じぬ。お前が通じておらねば、あのように都合良く、人の兵たちが、我らの場所をつきとめられるはずがない」
「ち、ちが……っ……私は、な、なに……も……っ……」
「お前以外、さようなことはできぬ」
首を掴んだ手に、力をこめる。
あくまでも、白を切るような言い草に腹が立った。
どうせ生かしておいても害になるだけだ。
本当は、キャスに意見を求めたい。
だが、キャスは、ここにいないのだ。
シャノンの耳と尾が、パタパタと揺れている。
口を開き、両手でザイードの手を掴んでいた。
もがく足から、カチャカチャと鎖の音がする。
「……っ……人、語……っ……」
微かな声に、ザイードは、わずかに手の力を緩めた。
たとえ殺すにしても、情報があるのなら、手に入れておく必要がある。
「話すべきことがあるのなら申せ」
「つ、追跡、そ、装置に……つ、通信、機能ついていても……伝わるのは……人語だけ……っ……私は……通信できる、とは……知らなかった……っ……」
「しかし、人語を解すものなど、ルーポにはおらぬ。ガリダでも……」
ザイードは、言葉を止めた。
魔物の中で、最も古い歴史を持つのがガリダだ。
老体には人語を解するものもいる。
その「身内」にも。
「ガ、リダ……の……女……っ……私に、話しかけて……っ……あの時……」
情報が漏れた。
シャノンは意図的ではなかったと言いたいらしい。
ガリダの女が「人語」で話したがために、通信装置をしかけた「人間」に情報が漏れてしまった、と言っているのだ。
「……ザイード……それって……」
バサッと、ザイードの手からシャノンが落ちる。
むせこんでいるシャノンを見下ろした。
すべてを信じることはできない。
とはいえ、嘘とするには「真実味」がある。
「ダイス、このものとヨアナが接触したかどうか、確認いたせ」
「ああ……わかった……」
シャノンの魔力は小さいが、会話は魔力で行っていた。
つまり、魔力での会話をしてさえいれば、情報が漏れることはないのだ。
魔物と人とでは「会話」の方法が異なる。
そもそも「言葉」としては伝わらないのだろう。
「わ、私は……に、逃げて来ただけ……ろ、ロキティスは、怖い人……悪いことを、たくさんしてるアトゥリノ人……カサンドラ王女様を……殺そうと、してる……」
ぴくっと、ザイードの尾が反応した。
瞳孔も狭まっている。
アトゥリノとは聞いたことがある名だ。
「なにゆえ殺そうとする」
「自分の悪事が……皇帝に……伝わる、から……」
「口封じか」
シャノンが、ザイードの目を見て、ゆっくりとうなずいた。
そのあと、ぶるっと身震いする。
ロキティスという人間を、それほど恐れているようだ。
思うザイードの背後で、ダイスの気配がした。
「ザイード、すまねぇな。悪ィ答えしか返せねえ。そいつの言ったことは本当だ」
「では、ヨアナが……」
もちろん、ヨアナもシャノンに、そんな通信具がつけられているとは思いもしなかったのだろう。
ヨアナは、キャスに関わるのを反対していた。
ザイードは知らずにいたが、人の国に行くことにも反対していたのだ。
だから、なにか阻止する方法はないかと考え、シャノンに接触したに違いない。
「あの前の日、ヨアナは、ルーポに来てたんだ。いつも通りの商売さ。コルコから帰る途中で寄ったって言ってたな」
「それで、翌朝、お前がおらぬことに、気づいたか」
「だろうな。ほかの奴らに、オレがどこに行ったか聞いてたみてぇだ。はっきりと口止めしてなかった、オレも悪い」
それは、ザイードも同じだ。
シャノンがガリダにいても、状況は変わらなかったと言える。
魔物は同胞に対して警戒心が薄いし、疑う理由もなかった。
巻き込まないためや、迷惑をかけないために隠すことはあっても、猜疑心からのものではない。
事が起きるまで、シャノンに害があるとの決定的な判断もしていなかった。
なので、ヨアナがシャノンを見たいと言えば、拒否する必要がない。
めずらしい中間種を見に来た、とでも思って、接触を許したのだ。
「こいつ、どうする? やっぱり殺しとくか?」
「……キャスが帰ってくるまで保留といたす。だが、警戒は厳重にせよ」
「そうだな。関わるのはオレの身内だけにしとく。ほかの奴は近づけさせねぇよ」
「それが良い」
ルーポは気の良いものが多く、シャノンに同情的なものもいる。
疑っているというよりは、そういう気質につけこまれる可能性を危惧した。
ダイスも、自らの種族の性質を知っているだけに、用心したがっている。
ヨアナのように、知らず敵に与することになってはいけない、と。
シャノンを殺さなかったのは、ヨアナが関わっているからだった。
無自覚だったとしても、ザイードの命が危険に晒され、キャスが攫われることに繋がっている。
キャスを、同胞を害したからシャノンを殺した。
そう公にするのは、ヨアナの罪も明らかにすることを意味する。
シャノンを殺す理由と無関係にはできないからだ。
事実が伝われば、ノノマやシュザは、ヨアナを許さない。
ほかのガリダの民も、これまでと同じように接することはなくなる。
わざとであろうがなかろうが、同胞を危険に晒したことに変わりはないのだ。
魔物は集団で互いを守りあっているからこそ、生きていられる。
たった1頭の勝手な振る舞いが、種を絶滅させることも有り得た。
だから、周囲の目が厳しくなるのは当然なのだ。
「万が一、キャスが帰れぬようなことがあれば、このものもヨアナも処断いたす」
「そんなことにはならねぇさ」
「そうよな」
ザイードは、146歳。
壁ができる以前のことは知らない。
毎日が平和であるのを、あたり前に受け止めていた。
穏便に物事を解決するほうを選び、事を荒立てるのを好まずに生きてきたのだ。
けれど、それでは、なにも守れない。
壁は壊れようとしている。
そんな予感がした。
2百年、保たれていた平和が崩れ去る日は遠くない。
魔物と人と、聖者、3つの種の戦いとなる。
人の持つ武器の凄まじさを、ザイードは身をもって知った。
すべての魔力を解放してさえ、最後には鱗を貫かれたのだ。
(キャス、そなたは、あのようなものと戦うておったのだな)
キャスが喪った相手に、自分が成り代われるとは思っていない。
ただ、互いに助け合い、支え合って、生き残りたかった。
(余は、そなたがおらぬと、たまらなく寂しいのだ、キャス)