いくら望んだところとて 1
聖者は、人が言うところの「善人」ではない。
ある意味、魔人よりもタチが悪い、と、ゼノクルは思っている。
関心と娯楽であれば、娯楽のほうが「邪気」があるからだ。
関心には、邪気がない。
対象を、淡々と、ひも解いていく。
こうしてみたら、どうだろう。
こうなったら、どうするだろう。
この状況だと、どちらの選択をするだろう。
およそ、こんなふうに、ひとつずつ魂とか心とかいうものを剥がしていくのだ。
そして、その結果がどんなものであれ、納得する。
そう、ただ納得するだけだった。
関心とは、そのようなものに過ぎない。
と、ラフロに言われたことがある。
予測とか、期待とか、要望などは、ないのだそうだ。
だから、結果に不満もない。
ああ、そうか、と思うだけ。
思ったら、聖者の関心欲は満たされる。
魔人が、自分たちの意図しない人の行動を面白がるのと似たようなものだ。
結果が見られれば、それでいい。
聖者と違うのは、魔人には「つまらない」があることだった。
あまりにも予測通りだったり、同じことが繰り返されたりすると、飽きる。
つまらないと感じると、魔人の「娯楽欲」は満たされないのだ。
「ラフロはいいよな。満たされねぇってことがねぇんだからよ」
ゼノクルは、小狭く貧相な「庭園」を散策しながら、空を見上げる。
冬のただなかだからか、最近は晴れた日が少ない。
それでも、今日は、薄い青と白くたなびく雲が「晴れ間」を演出している。
空は遠く、その先は見えなかった。
晴れ間の向こうには壁があり、灰色に覆われているはずだ。
壁の中にいる者たちには見えないとしても、確実に、そこにある。
ゼノクル、もといクヴァットとラフロは、3百年前に生じた。
クヴァットは、人の国で「娯楽」を楽しんでいたが、ラフロは違う。
王の間である、あの湖で、百年も、なにもせずにいたのだ。
人の国を見てはいたが、手を出すことはなかった。
ラフロが初めて関心を持ったのが、壁を作ったラーザの女。
とはいえ、壁があったため、聖魔は入ることができなくなっていた。
その後、2百年。
ラフロは、その女に関心を持ち続けていたのだ。
だから、壁を越える方法を考え続けてもいた。
人は違えど、ラフロの関心をひく魂に巡り合ったのは、40年ほど前。
フェリシア・ヴェスキルが産まれた時だ。
その頃に、ラフロは壁を越えるための「条件」を探り当てていて、条件を満たす「人間」と出会うだけとなっていた。
人の時間としては、長く待ったと言えるだろう。
だが、聖魔にとっては、さほど長くはない。
フェリシア・ヴェスキルが18歳で女王となったのち、機会は訪れた。
その「人間」は、壁を越えることができたのだ。
あげく「自らの意思」も持たなかった。
ラフロは力を使い、その者の体を「借りる」ことに成功している。
「でも、ラフロはラフロで、俺を羨ましいって言ってたな。せっかく借りた体が、2年ほどしか保たなかったんじゃ、そう言いたくもなるか」
意思がなければ大丈夫、とはならなかったのだ。
体の持ち主の自我が、ラフロを「異物」だと認識して、弾き出してしまった。
だとしても、ラフロが怪我をしたり、死んだりすることはない。
単に、聖魔の国に帰らざるを得なくなっただけの話だ。
けれど、ラフロの行いを、体の持ち主は肯とはしなかったらしい。
意思はなくとも働く「個」に根づく自我が無意識に罪を悔いて、自死している。
今のところ「ゼノクル」に、その兆候はなかった。
クヴァットのしていることを認識はしているのだろうが、黙している。
おそらく「善悪」の判断もつかないほど、ゼノクルの心は幼いままなのだ。
「しかし、わからねぇもんだな。人間ってのは、交わって子を成す。そこいら中、あふれかえってるじゃねぇか。罪でも、なんでもねぇだろ」
なにを苦にすることがあったのか。
クヴァットには、理解できない。
「だいたいラフロは強制しちゃいねえ。取引に応じたのは、あの女じゃねぇか」
ラフロは「取引」を持ち掛けた。
が、取引に応じたのは、フェリシア・ヴェスキルの意思なのだ。
拒否することもできたし、選択肢も1つだったわけではない。
ラフロと交わる選択をしたのも、フェリシアだった。
「人ってやつぁ、本当に意味わかんねぇ動きするぜ」
ラフロに体を貸した者は、フェリシアの選択を否定したようだ。
とはいえ、フェリシアが選択をする前には戻れなかった。
ラフロは、さっさと「取引」を終わらせてしまっていたから。
その結果を、体の持ち主は、どうしても受け入れられなかったのだろう。
ラフロを追い出したのも、自死をしたのも、それが原因だと推測はしている。
さりとて、理由は推測できても、理解はしていない。
魔人であるクヴァットには「わけがわからない」ことでしかなかった。
クヴァットも「ゼノクル」をやりはじめてから、約20年。
人の女と交わったことがなくはない。
子を成す気はないので予防措置は講じているが、複数の女と関係を持ってきた。
それは「ゼノクル」をするのに必要な行為であり、娯楽のための努力でもある。
「ラフロだって、あの女と交わりたかったわけではないんだよな」
あれは、取引の結果だ。
ラフロは、フェリシアが「どういう選択をするのか」に関心があった。
それに伴う思考や感情が知りたかったのだ。
きっと「関心欲」は満たされたに違いない。
「直後、弾き出されちまって、外から見てるしかなくなったのは残念だったけど、そんでも満足できてたんだろうぜ。あの娘が現れるまでは」
カサンドラ・ヴェスキル。
ラフロとフェリシアの娘について、ラフロは、ずっと前から見守り続けている。
もちろん、クヴァットも、その存在を知っていた。
ただ、体を「借りて」いる間は、相当の無理をしなければ魔力は使えない。
おまけに長く体を離れると戻れなくなるため、そうたびたび聖魔の国に帰ることもできなかった。
そのため、カサンドラの状況を把握できずにいたのだ。
「ラフロ、嬉しそうだな。あの娘は、前の魂とは違う。関心も高まるってもんだ」
クヴァットは、カサンドラが産まれた時に1度だけ魂の色を見ている。
そして、この間、20年ぶりに聖魔の国に帰った時に、カサンドラの魂の色を見た。
その際、産まれた時とは「色」が違うと気づいている。
戦車試合の日にカサンドラとは会っていたが、魔人でない状態だったため気づけなかったのだ。
「今度は、どんな取引をするか、楽しみだぜ、ラフロ」
聖魔には、親子や兄弟姉妹という関係性がない。
カサンドラが、ラフロの娘なのは間違いないのだが、人が持つ「肉親」への情や感覚など、聖魔は持ち合わせていなかった。
ラフロは「関心」を持っているだけだし、クヴァットは「娯楽」として楽しめると感じているだけだ。
「ちぇっ。俺も国に帰れりゃいいのに。人の体ってのは、融通が利かねえ」
魔力が使えないので、ラフロがどんな「取引」を吹っかけるかも、わからない。
共有しているラフロの感情からすると、相当に、楽しそうなのだ。
魔人特有の「娯楽」の性質が、うずうずしている。
とはいえ、もう少し、この体を使いたいので、我慢するよりしかたない。
「……ん?」
不意に、首から下げていた鍵が点滅していることに気づく。
シャノンからの連絡だ。
魔物の国を無事に逃げ出したという連絡だろうか。
あらかじめ逃げる時には、リュドサイオに最も近い壁を目指すように言ってある。
近くまで来ているのなら迎えに行こうか、と思った。
「おう、今どこだ? リュドサイオの近くまで帰ってんなら……」
(逃げ、られなく、なりました……)
「は? なんだと?」
(み、見張りが増えて……今は……鎖で……繋がれて、います……連絡も……)
シャノンの声は、ものすごく小さい。
かなり危険を冒して連絡を取っているようだ。
ちきっと、苛立ちが走る。
シャノンが、人の国と連絡を取ったことがバレるのはわかっていた。
拷問はもとより、殺される恐れもあるため、逃げるように指示をしたのだ。
クヴァットの計画では、壁の外に出るのはカサンドラだけのはずたった。
そこで、ラフロがカサンドラを手に入れる。
魔物は、皇帝を含む「人間」たちが始末すれば、後腐れもない。
魔物の国のものたちが、カサンドラが裏切ったと思うかは別にして、シャノンが情報を流した、とは言いきれない状況になることを想定していた。
人の持つ武器は、魔物に有効だとの思い込みがあったせいだろう。
あの魔物を生きて、外に出してしまったのが悔やまれる。
元々「とんでもない奴」だと思っていたにもかかわらず、それでもまだ見縊っていたのだ。
行き当たりばったりは好きだが、こういう「予定外」は面白くない。
「とにかく生き残ることだけ考えろ。いいか、俺の言う通りにすんだぞ」
(は、はい……ご主人様の…い、言う通りに、します……)
クヴァットは、シャノンという新しい「玩具」を気に入っている。
自分のものを取り上げられるのも、気に食わない。
だが、魔物相手では、たとえ魔人に戻っても、分が悪いのだ。
ゼノクルの側で、やれることをするしかなかった。
シャノンに、すべきことを伝えてから、大きくを息を吸い込む。
ゆっくり吐き出すうちに、少し苛立ちがおさまってきた。
自分のものは、自分で取り戻す。
都合良く動かせる「駒」もあるのだ。
「お前は、俺のものだ。絶対に帰れ」
(……か、帰りたい、です……ご主人様の……ところに……)
「俺が、道を作ってやる。いいな、シャノン。帰って来い、俺のところに」
返事はなく、ぷつんと連絡が途絶える。
手土産なしに、聖魔の国に帰る気はない。
ちきちきとした苛立ちを感じつつも、クヴァットは、ゼノクルを、最大限に使い倒すことにした。