混沌の過去 4
ラフロという名の、聖者であり、カサンドラの父。
誰がどう見ても、カサンドラの外見は「父親似」だ。
とはいえ、それは外見に限られている。
ラフロは純血種の聖者であり、その「摂理」の中で生きているのだ。
「それにしても予想外だったよ。きみが戻ってくるとはねえ」
「私が頼んだわけじゃない」
「ああ、いや。魂の話ではないさ」
キャスは、眉をひそめる。
ラフロは、本当に「魂」については、いささかも気にしていないらしかった。
本物だとか、偽物だとか、そういうこだわりを、まったく見せない。
愛しい子と言われても、愛しく思われている気がしないのは、そのせいだろう。
言葉ほどには、愛着を持たれていない、と感じている。
「私が生き戻りの力を与えたのは、フェリシアだったのでね」
「え……? カサンドラじゃなくて?」
「そうとも。もとより子を成すと、人の女性の体には負担がかかる。そのうえに、種が違うとなると、なおさらに命を削るものだから。産んだ直後に死んでしまう女性も少なくないからねえ」
「それでフェリシアに……カサンドラの母親に生き戻る力を与えたんだ」
「私はフェリシアに関心があったし、死んでほしくはなかった。仮に死ぬことがあれば、3年前、私と知り合う前に戻せば、また出会い直せると思ってね」
だから、3年前だったのか、と思った。
カサンドラが死んだのは21歳。
生き返ったのは、3年前、18歳の時だ。
しかも、フェリシアが死んで間もない時期に戻っている。
「人の体の性質なのかもしれない。聖魔は生じるものであって、交わって子を成すことがないものだから、私にも、この結果は予測できなかったよ」
カサンドラは、フェリシアの胎内で、その力を受け継いだのかもしれない。
だが、そこにカサンドラの意思は介在していなさそうだ。
別の世界に魂だけ飛ばされるほど、カサンドラは生き戻ることを望まなかった。
だから、力の「譲渡」は、ラフロの言うように、人の体の性質によって行われたと考えるのが正しい。
「なら、フェリシアじゃなくて、がっかりしたんじゃない?」
「そうでもないさ。きみが戻ってきたじゃないか。魂の色の違う、きみがね」
はあ…と、溜め息をつく。
聖魔には、独特の「摂理」があるのだ。
ザイードが、そんなようなことを言っていた。
人や魔物とは、感情の有り様も異なるに違いない。
「私はきみにとても関心がある」
優しく微笑みかけられているのに、どうにも嫌な感じが振りはらえずにいる。
不快感はなく、嫌悪感もないのに、だ。
信用はできるが、信頼はできない、といったふうだろうか。
ラフロは「取引」で不正はしない。
それは信じられる。
けれど、どんな取引を持ち掛けてくるか。
その内容が「良いもの」だとは、信じられない。
(こいつはザイードを助けてくれた。でも、弱味にツケこんで取引を成立させたのも、こいつなんだよね)
あの状況では、キャスに選択肢はなかった。
結果として損はしていないように思えるが、対等な取引ではない。
正直、取引だとすることさえ、間違っている気がする。
まともに歩ける道は1本しかないのに、好きに歩いていいと言われているようなものなのだから。
「フェリシアは、愛に高潔な女性だったよ、とてもね」
急に、話題が変わった。
ラフロは、こちらを向いている。
なのに、どこか違うところを見ているようだった。
紫紅の瞳には、キャスが映っているけれど、視線は感じない。
「彼女は、キリヴァン・ヴァルキアを愛していた」
キリヴァン・ヴァルキアとの婚姻前、フェリシアは何者かに乱暴された。
それにより「カサンドラ」は産まれたと、カサンドラ自身からもフィッツからも聞いている。
つまり、ラフロがフェリシアに乱暴をした、ということだ。
「ほかに好きな人がいるって知ってて襲うなんてさ。どれだけフェリシアを好きだったかは知らないけど、最低だね」
「襲う? まさか。私は望まないことを強いたりはしない」
「でも、フェリシアはキリヴァンが好きだったんでしょ? あなたが無理強いしなきゃ、カサンドラは産まれなかったはずだけど?」
「そうではないよ。彼女が、キリヴァンを愛していたから、きみは産まれた」
ラフロの話は辻褄が合っていない。
キリヴァンを愛していたのなら、ラフロと関係を持つなど有り得ないだろう。
無理強いされたのであれば、まだしも理解はできる。
が、それもラフロは否定したのだ。
「きみは、魂だけでここに来た割には、やけにこだわるねえ」
「こだわるって、なにに?」
「体だよ。聖魔は、肉体にたいしてこだわらずにいる。だから、体なんてものに縛られている理由が理解できない」
「それは……違う……」
「違う? どう違うのかな?」
「体だけ無事でも、魂だけあっても駄目だって意味」
今度は、ラフロの視線を感じる。
カサンドラという肉体に宿る、自分の魂まで見られている感じがした。
彼女は、倒れている大勢のアトゥリノ兵たちを思い出している。
彼らを殺しはしなかった。
体だけの話で言えば、生きている、と言える。
だが、心は空っぽ、壊れてしまっているはずだ。
それでも「生きている」と言えるだろうか。
答えは「否」だ。
彼らは、もう考えることもしないし、話もしない。
体は命を繋いでいても、動こうという意思はなく、瞬きすらしないのだ。
脳も体のひとつに数えれば、無傷だとはできないが、脳の機能が正常でありさえすればいい、とは思えなかった。
脳は、記憶の入れ物であり、感情を割り振り、学習する演算装置に過ぎない。
思考が感情を生み出し、感情は「個」を形成する。
環境や経験によって、無数に散らばる感情を集約しているのが「魂」と呼ぶべきものではなかろうか。
少なくとも、記憶媒体や演算能力だけでは「魂」とは成り得ない気がした。
感情や意思があってこそ、人は人足り得るのだ。
「あなたもね。魂の色だのなんだの言う割には、魂にこだわりなんてないじゃん」
「やはり、きみは面白いねえ」
「私は少しも面白くないよ。こんなつまらない話を、ずっと続けるつもり?」
取引を承諾したのは自分だと、わかってはいた。
とはいえ、ラフロがなにをしたいのか、そもそもしたいことがあるのかも不明な状態で、延々とつきあわされることには、うんざりする。
フェリシアとキリヴァンの悲恋話に興味がなかったように、フェリシアとラフロの関係についても関心はなかった。
それより、ザイードがガリダに帰れたかどうかのほうが、よほど気にかかる。
もしかすると、ラフロに言えば、ザイードが今頃どうなっているのか、わかるのかもしれない。
だが、ラフロと会ってからいだき続けている「嫌な感じ」が強くなっていて、どうしても頼る気になれなかった。
なにか足元をすくわれそうな危うさがあるのだ。
今さら足元をすくわれたからといって、どうということもない。
そうも思うのに、割り切れずにいる。
そこいら中に落とし穴があると知ってはいるのに、穴の場所がわからないため、1歩が踏み出せない、というように。
「魔物も元は生じる種だったというのは知っているかい? それが、いつしか交わって子を成す種になっていた」
またしても、唐突な話題の転換。
ラフロは、ひとつのことに長く「関心」を持っていられないのだろうか。
それとも、意味があって、あえて話題をすり替えているのか。
判断はしかねるが、ラフロにはラフロなりの考えがあるには違いない。
「聖魔は生じる種なんだよね?」
言いながら、気づいた。
だとしても、フェリシアとは「交わった」のだ。
でなければ「カサンドラ」は産まれていない。
生き戻る力だって、ラフロがフェリシアに与えている。
たぶん、交わった際に、魔力で与えたかなにかしたのだろう。
「壁ができる前、聖魔、とりわけ魔人は、人の体を借りることを好んでいてねえ。酒や薬に溺れている者のうち、一定数は自我を失った者がいて、都合が良かった。そこに、あの壁だ。以来、人の体を借りる条件付けが増えて困っているよ」
「あなたは誰の体を借りたの?」
フェリシアの時代には、すでに壁があったのだ。
聖魔は壁に阻まれ、人の国には入れなくなっていた。
なのに、ラフロはフェリシアと子を成している。
きっと人の体を「借りて」入って来たに違いない。
純血種の魔物や聖魔が壁を越えられないのは、わかっている。
中間種は血という意味でも、魔力が不完全という意味でも、特定の「種」に分類されない。
カサンドラやシャノンが監視室には無視され、いとも簡単に壁を越えられた理由がそこにある。
だが、ザイード曰く聖魔には「魔力を使わないとの選択肢はない」のだ。
よって、聖者であるラフロは、絶対に壁を越えられない。
人という「借り物」の体なくしては。
「気づいているのに、訊くのかい?」
「確信がないから聞いてるんだよ」
ラフロが、にっこりと微笑む。
やはり精神を蝕まれているのだろうか。
弄ぶような言葉遊びにも、キャスは腹立たしさを感じていない。
そっけない口調を貫くことくらいしかできなくなっている。
「確信なんていらないだろう? きみには、もうわかっているのだから」
キャスは無意識にお腹に手をあてた。
そこには、服の内側にしっかりと縫い付けられたポケットがある。
「出来損ないの失敗作だね、それは」
カッと、頭に血が昇った。
ラフロをにらんでから、そっぽを向く。
軽く視線が交錯しただけで、感情の揺らぎがおさまっていた。
すぐさま危険だと判断する。
嫌な感じも、ますます強くなっていた。
「正当なティニカは、自らの意思など持たないものだよ、愛しい子」