歩み寄れないものばかり3
かつてないほどの怒りが爆発していた。
人にも、良い種類のものがいると知ったばかりだが、目の前にいるのは「悪い」種類の人間たちだ。
ザイードは、なにもしていない。
相手が近づいて来るのを待っていた。
なぜなら、キャスが「皇帝とは話ができる」と言ったからだ。
なにかキャスと話し合おうとしているのだと思い、黙っていた。
なのに、突然、攻撃をしかけられ、キャスを奪われている。
話し合いもなにもない。
キャスに、その気はあったかもしれないが、相手にはなかったのだ。
そもそも、と思う。
(あの者が、キャスから大事な者を奪うたのだ)
それでも、キャスは話し合おうとした。
その気持ちを足蹴にし、自分からも大事なものを奪おうとしている。
思うと、腹の底から怒りがわきあがってきたのだ。
過去のことは、取り返しがつかない。
とはいえ、ザイードに頭を下げた「人間」もいた。
ほかの種族はわからないが、ザイードは、彼らを許している。
詫びる気持ちがあるのなら、同じ過ちは繰り返さないはずだ。
話が通じるのであれば「皇帝」も「過ち」をおかさないようにするだろう。
そう考えていたのだが、とんだ見込み違いだった。
(皇帝なぞと三角の天辺でふんぞり返り、すべて己が思うままと考えておるのか。なんと厭わしき者よ)
ザイードは、魔物の国でも、この姿を見せたことはない。
ガリダだけではなく、ほかの種族も、長までをも委縮させてしまうからだ。
ただでさえ、大きな魔力を持っているため、日々、隠す努力をしている。
それが、まさか人の国で露わにするとは、想定外だった。
けれど、それほどにザイードは、怒りに満ちている。
空でとぐろを巻き、地上を見下ろした。
口を大きく開き、咆哮する。
ガリガリッと音を立て、空に金色の雷が光った。
雨も強くなる。
キャスが、自ら望み、人の国を選んだのなら、怒りはしなかった。
キャスを置いて、1人で帰っていただろう。
けれど、キャスは嫌がっていたのだ。
必死で、ザイードの名を呼んでいた。
(そなたを置いて逃げたりはせぬ。そなたは、余とともにガリダに帰るのだ)
ひゅうっと、ザイードは速度を上げて下降する。
そのザイードの周りで、風が吹き荒れていた。
地上にいた者たちが、なにか黒いものをザイードに向けている。
赤い点が、いくつも見えた。
「駄目!! 撃たないで……っ……」
風に紛れ、キャスの声が聞こえてくる。
泣き声にも思えるような、悲痛な叫びだった。
体に、雨粒とは違うものが、次々と当たる。
だが、ザイードには関係ない。
全身を覆う硬い鱗に守られている。
魔力も、すべて解放していた。
尾を振り薙ぎ、地上のものたちを、弾き飛ばす。
地面を転がり、傷を負いながらも、人間たちが立ち上がるのが見えた。
それでも、ザイードが「手加減」をしているからだ。
人が魔物を恐れず、なのに、魔獣を避ける理由。
それがなぜなのか、わかった。
魔物には感情もあれば、思考もする。
状況によっては、今のザイードのように「躊躇う」ことさえあった。
魔獣のように、敵と見なす相手を殺すことしか考えない生き物とは違う。
魔獣は強弱を本能で見極め、弱いものから集団で襲い、屠るのだ。
人もまた、本能的に知っているのだろう。
魔物は、本能だけで動く生き物ではないと、わかっている。
魔獣から子を奪っても、怒るだけで、抑止することはできない。
が、魔物は子のために、自らの命を差し出す。
要は、魔獣に感情で訴えても無駄だが、魔物には、それが効く、ということ。
人と似た部分であるはずなのに、理解しようとするのではなく、利用するのだ。
最も効果的な武器として。
ごうっと、ザイードは炎の息を吐き出す。
皇帝の周りを囲んでいた「人間」たちを威嚇した。
暴雨の中では、体に火がついても、死に至るほどの傷にはならない。
殺すつもりなら、雷を落とせばいいだけのことだ。
態勢を立て直そうとしている人間たちを眼下に、ザイードが魔力で、さらに強く風を吹き上げる。
キャスから聞いていた「乗り物」がひっくり返った。
皇帝が、キャスを腕に、そこから飛び降りる。
瞬間、ザイードは、ひゅんっと近づいた。
皇帝の腕を、長い爪で引き裂く。
真っ赤な血が飛び散った。
「カサンドラ……っ……!」
傷ついた腕では支えきれなかったのだろう、
皇帝が、キャスの体を離した。
その一瞬を、逃さない。
今は前脚となっている手で、キャスをすくい上げる。
「ザイード! 怪我はっ?!」
「かすり傷はあるが、この程度、ダイスの背に乗っておってもできる傷ぞ」
「でも、これじゃ壁が越えられない! どこかに、一旦、退避してから……」
「いや、さような時は残されておらぬようだ」
強い雨風から、キャスを体で庇いつつ、目を、ぎょろっと動かした。
変化は解けていて、ミネリネの光の調整もザイードの強大な魔力によってかき消されている。
そのため、完全に瞳孔は縦の筋状になっていた。
金色の細い瞳孔は、皇帝を捉える。
この強風と、暴雨にも断ち切れない「糸」のようなものが、ザイードの後ろ脚と尾に、からみついていた。
純血種の魔物が壁を越えるには、魔力を完全に抑制しなければならない。
当然だが、魔力を体の内に封じ込めれば、この姿は維持できなくなる。
ガリダの中でも、この形態をとれるのは、ザイードだけだった。
過去の文献を調べたが、似た事例すらなかったのだ。
だが、いざ変わってみると、自分になにができるかを、正しく理解できている。
「ガリダに帰ろうぞ。皆も待っておる」
絡んだ「糸」が、脚や尾に食い込んでいた。
硬い鱗も、少しずつ傷つき始めている。
「そなたを、ここに残してゆくことはできぬ」
キャスの言葉は「皇帝」にはとどきそうにない。
相手に聞く気があるとは、とても思えなかった。
勝手に、自分を「敵」だとし、攻撃を仕掛けてきたのは「皇帝」なのだ。
「あのような者に殺される道理なぞなかろう? そなたの話も聞いておらぬのだ。残していけば、なにをされるか知れたものではない」
キャスを乗せた前脚を体に引き寄せる。
大事に匿うようにして、キャスをつつみこんだ。
そして、一直線。
空に向かって飛翔する。
みるみる、地上が遠ざかった。
が、地上から皇帝が怒鳴っている声が聞こえる。
ザイードには、なにを言っているのかわからないのだが、それはともかく。
「ごめん、なさい。私、どうしても甘いんだよね……話せば分かるかも、とかさ。どっかに期待を残してたんだって、わかったよ……」
キャスは落ちないように、ザイードの体にしがみついていた。
それだけで、十分だと思える。
人の国に残ることを考えていない、と確信が持てた。
頭を撫でたい気持ちになったが、この姿では無理だ。
代わりに、ほんの少しだけ指先で頬にふれる。
「同じ種なのだ。そなたに味方をする良き者もおるゆえ、完全に期待を捨てるのは難しかろう。同族に甘うなるのは、どの種でも同じことぞ」
ザイードも、人間相手よりも魔物の血が入っていた中間種たちに手加減した。
一時的に無力化はしたが、怪我と言えるほどの傷さえ負わせていないのだ。
そのせいで、あっという間に逃げられてしまったのだけれども。
「そのまま……余にしがみついておれよ? けして、離れるでないぞ」
脚を「糸」で巻き取られた状態で高度を上げる。
かなり強度があるのか、これほど引っ張っても切れる様子がない。
魔物が作っている、何重にも寄り合わせて作った「糸」とは質が違うようだ。
(脚や尾を失うても生きてはゆける。キャスと引き換えならば惜しくもない)
ギジギジッと、糸が食い込んでくる。
ザイードが高度を上げるにつれ、硬い鱗にヒビが入っていた。
赤ではなく、紫の血が流れ落ちている。
その厄介な「糸」が、さらに何重にも絡んできた。
ザイードを逃がすまいと、いや、キャスを奪おうと、皇帝も必死らしい。
しかし、ザイードには、理解できずにいる。
(キャスは嫌がっておる。それが、なぜわからぬのだ)
ザイードも、キャスに厳しい言葉を投げたことはあった。
ある意味では、ザイードの意思を押し通したと言っても過言ではない。
だとしても、完全に無視してはいなかった。
キャスの受け止めかた次第ではあるが、ザイードとしては、話し合った結果だと認識している。
「……く……っ……」
「ザイードッ!」
顔が歪んだ。
絡んだ「糸」が深く、ザイードの体を傷つけている。
脚と尾は、諦めざるを得ない。
「も、もういいから……私が投降すれば……」
「そなたは、余とガリダに帰るのだ」
キャスの同胞は、キャスの言葉に従った。
不本意であるのは明白だったが、キャスの言葉を重んじたのだとわかる。
だが、この場に、キャスと話し合える者はいない。
「そなたも、ここにおりたいとは思うておらぬのであろう?」
力の限りに、ザイードは、壁にぶつかった。
全身から魔力をかき集め、1点に集中させる。
ピシ……。
わずかな亀裂が走った。
尾の先が、ちぎれたのを感じたが、かまわず第2撃を加える。