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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第1章 彼女の言葉はわからない
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無関心の高見 2

 ヴァルキアス皇帝キリヴァン・ヴァルキアは、ベッドに横たわっていた。

 45歳と、まだ年若い皇帝は寝込んでいても、金色の髪が美しい。

 目は伏せられている。

 金色の瞳は、髪と同じく美しいままだろうか、と思った。

 

「死んでも同じ場所に逝けるとは限りませんよ」

 

 彼女は静かに言う。

 皇帝の命は残り少ない。

 誰とも謁見しないのは、したくないからではなく、できないのだ。

 皇帝の死は、帝国に大きな波を起こす。

 ぎりぎりまで隠しておくのは当然だった。

 

「だが、この世界にフェリスがいないのは確実だ」

 

 死を間近に控えているとは思えないくらい、皇帝の声は凛としている。

 ゆっくりと目が開いた。

 向けられた瞳は、美しい金色。

 これで肌の色が青白くなく、目に生気が宿っていれば、死が迫っているとは誰も感じないだろう。

 

「それで、私を呼んだのは、復讐のためですか?」

 

 金色の瞳に、微かな憎悪が走る。

 けれど、それも一瞬だ。

 憎しみすら維持し続けていられないほど弱っているらしい。

 

「なにを知っている?」

「なにもかも。だから、あえて私に話す必要はなかったんですよ」

 

 皇帝の言葉にも、彼女は淡々と答える。

 実際、知っていることを、重ねて「病人」から聞くのは時間の無駄だ。

 皇帝の想いやら複雑な心境やらを聞かされるはめになる。

 

「なぜ?と問うのも、やめてください」

 

 皇帝は、カサンドラの暮らしぶりを知っていた。

 なのに、カサンドラの母、そして皇后であるフェリシアには話さなかった。

 それどころか、手を差し伸べようともせず、放っておいたのだ。

 カサンドラを敬わせることなど簡単だったはずなのに、なにもしなかった。

 

 実情を母親に話さずにいたカサンドラの心情を知っていてなお、放置し続けた。

 

 結果を考えれば、皇帝の訊きたいことは想像に容易い。

 カサンドラは、この2年、1度たりとも自らの生活を変えなかった。

 母親に話せば皇帝に伝わる。

 皇帝に伝われば、周囲の者は罰せられ、暮らしは激変したはずだ。

 

 が、カサンドラは話さなかった。

 

 黙ってディオンヌの言うなりになり、惨めで孤独な暮らしを受け入れている。

 そして、母親の前では幸せな振りをしていたのだ。

 

「母は、あなたと再会した時、すでに余命が幾ばくも無いと知っていたようです。ですが、娘に対する罪悪感が、その余命を、さらに縮めたのかもしれませんね」

「罪悪感……」

「あなたが知っていることを、母が気づかないと思いますか?」

 

 おそらく、母親はカサンドラの実情を察していたに違いない。

 彼女は、そのように推察している。

 その上で、カサンドラよりも「皇帝との愛」を優先した。

 残り僅かな命を、皇帝のために使ったとも言える。

 カサンドラという娘を切り捨てて。

 

「お前は……フェリスを……」

「恨んではいません。いっときでも幸せであったのなら、それでいいでしょう」

 

 皇帝の瞳が、少しだけ生気を取り戻した。

 カサンドラの母親に意識が向いている時にだけ命を吹き返すのかもしれない。

 

「正直、母とあなたの悲恋話に興味はありません」

「知っていたのか」

「なにもかも、と言ったはずですよ。でも、その話と、私があなたを憎んでいないこととは、まったくの無関係です」

 

 皇帝が、小さく笑った。

 ハッという投げやりともとれる笑いかたに心情が現れている。

 

 皇帝は「最期の復讐」に失敗したことを理解したのだ。

 

 長々しく悲恋話を語り、カサンドラへの憎しみを語り、悲しみと恐怖を遺して、死んでいくつもりだったに違いない。

 もちろんカサンドラが皇帝に向けるだろう憎しみも計算に入っていたはずだ。

 その目算が外れた。

 

 悔しがっているのか、嘆いているのか。

 

 皇帝の心情がどうあれ、事実は変わらない。

 彼女は、目の前の「病人」を憎んでも憐れんでもいないのだ。

 相手が死の間際だからといって、茶番につきあう義理はなかった。

 驚愕したり、悲しんだりすれば、皇帝を満足させられたのかもしれないけれど。

 

「私は、あなたにも、あなたの息子にも興味がありません」

「あれには、話さない……ということか」

「関係ありませんから」

 

 皇帝の言う「あれ」とは、皇太子のことだ。

 彼女は、なにもかもを知っている。

 だが、皇太子には「なにも」話す気はない。

 

「ご自身のことは、ご自身で決めてください。どうぞ、お好きに」

 

 そっけなく言った。

 2人きりでもなければ、護衛騎士たちに取り押さえられていたかもしれない。

 この部屋に入ってから、終始、ぞんざいな口調で話している。

 セウテルと同じく、早々に会話を打ち切ってしまいたかったのだ。

 

 もとより、彼女には「無関係」だったので。

 

 ここに来たのだって、面倒を避けるために過ぎない。

 皇帝との会話と護衛騎士たちに取り囲まれるのと、どちらが、より面倒かを秤にかけた結果だ。

 

「これが、お前の本性だったのだな」

「さあ、どうでしょうね。私が義理堅い人間じゃないのは確かだと思いますけど」

 

 言うべきことは言った。

 

 彼女は、くるりと皇帝に背を向ける。

 本来、皇帝の許しなく会話を打ち切ったりはできない。

 とはいえ、ここには2人きりだし、皇帝は動けないのだ。

 あとからセウテルに捕まえられ、引き戻される可能性は、限りなくゼロに近い。

 そう判断している。

 

「本当に……」

 

 皇帝の声は小さかった。

 溜め息をつき、振り向く。

 

「恨んでも憎んでもいませんよ。あなたは、あなたのすべきことをしました」

「私の……すべきこと……」

「母に幸せな時間を与えたでしょう」

 

 返事は待たず、扉を開いた。

 皇帝に呼び止められることはなく、すんなりと部屋を出る。

 廊下を挟んで向かい側の扉の前に、セウテルが立っていた。

 ほかの護衛騎士はいない。

 

 カサンドラは黙っている。

 セウテルも無言だった。

 部屋を出てきたのだから「終わった」ことは分かりきっている。

 会話は必要ない。

 無言で、カサンドラに歩み寄って来る。

 

 セウテルが前に立ち、後ろをカサンドラがついて歩いた。

 どんな言葉も交わさないまま、皇太子宮までの長い廊下を進んだ。

 また皇太子と顔を合わせなければならないのかと思うと憂鬱さに拍車がかかる。

 だが、皇帝との「謁見」が、どういうものだったか、あの場にいた全員が興味を持っているのは間違いない。

 

 セウテルは、謁見前、そのことを心配していた。

 カサンドラを信じると言ってはいたが、半信半疑だろう。

 おそらく案内だけではなく、監視の意味もこめて、その場に居座るはずだ。

 セウテルの信頼を得たいなどとは思っていないが、それはともかく。

 

(皇帝が臥せっていて、今にも死にそうだった、なんてことは言わない)

 

 それは、彼女の義務ではない。

 皇帝の義務だ。

 カサンドラに話すつもりだった内容や、自らの残り火について、皇太子に話すも話さないも、皇帝自身が決めるべきことだと思っている。

 

 そもそも会話だって、ほとんどしていない。

 「謁見」自体、無意味だったし。

 

(私は正直者じゃないしね。性根も悪いから、適当なこと言って誤魔化そうっと)

 

 嘘つきと不誠実な者ばかりの中、カサンドラだけが「善人」でいることはない。

 得てして、正直者は馬鹿をみる。

 

 誠意には誠意を、誠実さには誠実さを。

 

 元来、人の心情とは、そうしたものでのみ動くのだ。

 今のところ、彼女が同等のものを返すべき相手がいるとするならば、少々、頭のイカレたフィッツだけだった。


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